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【短編】樹術師の束縛

 籠から布を引っ張り出す。砂にまみれたそれをはたくと、空に掲げるように広げた。所々に虫食いや引き裂いたような穴が開き、裾もほつれてしまっている。
「結構きてるねぇ」
 既に仕事にとりかかっていたジェシーが、私の持つニットシャツに目を向ける。
「いけるよ……多分」
 原型があるうちは、布を当てて繕うのが基本だ。私は端切れの詰まった袋を引き寄せると、似たような色はないか探り始めた。とはいえ、砂で黄色く染まった布の元の色を正確に見抜くのは至難の業で、大概は愉快なデザインになってしまう。
 洗う工程が最後に設定されているせいだ。
「地下に行ければねぇ」
「そういうこと言わないの」
 友人の言葉にどきりとする。思わず周囲に目を配るも、皆自分たちの会話に夢中で、私たちのことを気にも留めていない様子だった。
 思わず安堵の息が零れる、瞬間。
「ルミア」
「ひゃ!」
 背後から声を掛けられ、体が飛び上がった。地面に布を敷いただけの場所にぺたりと座っていたせいで、動きが完全に不審者だ。
「えっと、ごめん」
「で、ででででで、ディロ! びっくりさせないで!」
 端切れの束を握りしめ、振り仰ぐ。逆光に照らされ、ディロが立っていた。
「…………」
「ルミア?」
 まだ、見慣れない。
 原型は残ってる。けど、肩から枝分かれするように伸びた蔦、ふくらはぎから垂れ下がる根。わき腹から背中、顎先まで覆う硬質の皮膚は樹皮そのもので、髪に至っては掠れた緑色に変わってしまった。
 ディロは、私たち家族と自分をコロニーに受け入れてもらうために、樹術師になった。
 地下コロニーは偉い人やお金持ちが占領して入れない。からと言って、砂塵が吹き荒れる地上にも、本来は居場所なんかない。難民となりかけた私たちを、巨大ドームを被せることで地上に拠点を作った研究所が、条件付きで受け入れてくれた。
 それが、団体一つにつき最低一人が、研究に“協力”すること。
 命を差し出すに等しい行為。本来なら私か、家族が犠牲にならなければならなかったのに、ディロは自分を差し出してしまった。一緒に行動していて、同じ団体とみなされたというだけで。
 私たちは、ただの幼馴染でしかないというのに。
「……ごめんね」
「どうして? 僕はルミアのためなら、何だって出来るよ」
 ディロは笑顔でそう言って、私の隣に膝を折った。
「仕事は?」
 戸惑う私に構わず、ディロは私の左手首に、自分の手を添えた。
「これから行くよ。今日は少し遠くの狩場に行くんだ。だから、その前にルミアの顔を見ておきたくって」
 話している間に、彼の指から伸びた蔓が、私の手首に絡みつく。細いそれは自ら体を編んで輪を作った。中心に一つ、白い花がぷわりと開く。
 少し乾いた、だけど可愛らしい小さな花。
「……ふえ?」
「悪い虫がつかないように、おまじない」
 私の反応に笑いながら、ディロは手を離した。完成したばかりの腕輪が、するりと肌を撫でる。
「じゃあ、行ってくるね」
「いって、らっしゃい」
 私は硬直したまま、小さくなるディロの背を見送った。
「いいなぁ、ルミアの彼氏」
 ジェシーの声に、我に返る。
「優秀な樹術師なんでしょ?」
 命を落とす可能性がある実験に、ディロは適合した。その上、今やコロニーにいる樹術師の中で、トップクラスの力を持つらしい。
 ただ、ディロは幼馴染であって、恋人ではない。そのはずだ。確かに昔からやたら懐かれていたし、周りが勘違いする言動を平気で取るが、違うはずだ。
 けれど、訂正は出来ない。
「みたい、だね」
 ディロは、命の恩人なのだ。
 私は、腕輪に咲いた花をそっと撫でた。
 
 服の詰まった籠を倉庫に収め、体を伸ばす。ゲートのある方角が、にわかに活気づいた。
 樹術師たちが戻ってきた。
 思わず駆けだす。環境変化で狂暴化する獣を前に、命を落とす術師も多い。
 ゲート前には人だかりができていた。その殆どが、茶色い肌と緑色の髪を持つ樹術師で、身に付けた簡素な服が、空調システムの風に吹かれて揺れていた。
 正直、遠目ではどれがディロか分からない。
 地面に積まれた獲物を前に、賑やかに談笑する樹術師たち。家族と抱擁を交わし、無事を喜び合う者たちもいる。
「ディロ?」
 私の声に、近くにいた樹術師が振り返った。背が高くて体格もよく、明らかにディロではない。驚きで丸くなった瞳が、私の左手首に吸い寄せられた。
「あぁ。ディロの彼女か」
 違うけど、否定しても仕方ない。
「あの、ディロは」
 その樹術師は、人懐っこい笑みを浮かべると、指先から手品の如く花を咲かせた。
「無事の帰還に感謝」
「え、あの」
 彼は有無を言わさずその花を私の髪に挿すと、歩み去ってしまった。道中で仲間にも迎えの人たちにも問答無用で花を飾り、あちこちに鮮やかな黄色が咲く。
 思わず、髪に付けられた花を手に取る。普段はディロのくれる白い花を見ることが多いから、なんだか新鮮だ。
「ルミア?」
 探し人の声に、しかし私の身体がびくりと痙攣する。
「その花、どうしたの」
 ディロの声が、低い。
「みんな、貰ってるよ?」
 私が指した先を一応は見てくれたものの、ゆっくりと頭を戻したディロの瞳は鋭い。
「ルミアは、黄色い花が好き?」
「花は大体全部好きよ。今となっては、見られるのも奇跡みたいなものだし」
 土が痩せた世界で花は貴重品だ。今さらながら、慰めのために花を咲かせてくれる樹術師たちの心遣いがありがたい。
「……そう」
 小さく呟いて、ディロは急に歩き出す。
「ちょ、ちょっと! どこ行くの、ディロ!」
「研究所」
 そっけなく戻ってきた言葉に、全身が冷える思いがする。見たところ怪我はない。とすれば、残る可能性は一つ。
「やっ、止めて! これ以上体に障ることしないで」
「平気だよ。僕はルミアのためなら何だってできる」
 朝も言われた言葉が、体の奥に突き刺さる。淡々と紡がれた言葉が、却って恐ろしかった。
 彼なら、本当にやりかねない。
 必死の抵抗もむなしく、研究所の前まで辿り着いてしまった。尚悪いことに、来訪の意を聞いた研究員は、快く私たちを迎え入れた。
 いつかも歩いた、無機質で清潔な施設を進む。扉がスライドし、円形のガラス水槽が並ぶ部屋に通されると、いよいよ私はディロの腕を抱きしめた。
「大丈夫だよ。ルミア」
 ここに来て優しくなったディロの声が、容赦なく胸を締め付ける。
「用事は?」
 鋭い声に、私たちは二人して顔を上げた。突然の来訪者にも、相手は表情一つ揺らさない。
 印象的な人だった。
 膝辺りまでまっすぐに伸びた金髪は、毛先だけがわずかに外側へ跳ねている。肌は鋭利な刃みたいに白く、長いまつ毛に包まれた瞳は目の覚めるような青。
 白衣を纏う女性は、冷たさすら感じる視線で私たちを射抜く。思わず言葉を失った私の隣で、ディロが言った。
「他の色の花が咲かせるようになりたい」
「今は?」
 ディロはおもむろに腕を伸ばした。軽く握った手から人差し指を伸ばすと、そこに蕾が生まれた。それはあっという間に色づき花開く。
 腕輪に付けられたのと同じ、白い花。
「博士。彼は高能力個体です。試す価値は十分にあるかと」
 ここまで案内した科学者が、私たちの背後から声を上げる。思わず殴り倒したくなる衝動を、必死にこらえた。
 博士と呼ばれた女性の表情は読めない。ただじっと、ディロの花を見つめている。
 形のいい唇が、ゆっくりと開いた。
「無理に他の力を得ようとするより、自分の花に磨きをかけなさい」
 表情は読めない。事務的な口調に、抑揚もない。
 けれど、その言葉を聞いた瞬間、私の体から力が抜けた。逆に、ディロの腕がわずかに強張る。
「蔓を研ぎ、枝葉を強靭に、しなやかに。その方がよほど、実用的よ」
 静かだけど、有無を言わせぬ圧がある声が続く。
「…………はい」
 心を現すように、ディロの指先の花が萎れた。
 
「ルミアの彼氏、すごいよねー」
 繕いの手を止めて、ジェシーが言う。
 ここにきてしばらく経つのに、私は皆の誤解を解けていない。
「最近また強くなったんでしょ?」
「そう、みたい」
 樹術師に、マニュアルはない。研究所も、能力の伸ばし方までは教えてくれない。分からない、が正確なところだろう。
 手探りの中、ディロは文字通りめきめきと上達している。肩から生える蔦はさらに枝分かれして強靭になり、樹皮の肌は前よりも固い。木のように枝葉を伸ばし、葉を茂らせて光合成をすることも、一度に大量の花を咲かせることもできる。
 ただ、納得のいく水準には達していないようだった。無理をしているのではと心配しても、笑顔でやり過ごされてしまう。
「大丈夫かなぁ……」
「ルミア!」
 背後からの呼び声に、膝から跳ね上がる。
 満面の笑みを浮かべたディロが、ものすごい勢いで駆けてくるところだった。
「分かった! 分かったんだ!」
 言ってる傍から肩の蔓が伸び、私の体をすくい上げる。
「ちょ、ちょっと待って!」
「来て!」
 来ても何も、強引に連れ去られてるんだけど!
 訊ねようにも、舌を噛みそうで声が出せない。完全に全身が強張った状態で、溶けるように流れる景色を見つめるしかなかった。
「ねっ、ねえ、ディロ」
 ようやく下ろして貰った時には、衝撃と振動で眩暈がしていた。揺らぐ頭で辺りを見回す。
「……そうこ?」
 皆が作業中のこともあり、物が少ない。
「見て!」
 言われるままにディロの手元に顔を向けると、溢れるように白い花が咲いていた。瑞々しい花弁は、明らかに以前のものより生き生きとしている。何より、微かに甘い香りがしていた。
「ディロ、これ」
「ルミアのこと考えている時が、一番きれいに咲くんだ」
 思考が止まる。そのままディロを見上げると、幼馴染は花に似た甘い笑みを浮かべていた。
「それも、ルミアへの愛に満たされている時が、一番」
 言葉の糖度が上がるほど、私の思考が冷静になっていく。
 ディロは両手に溢れ咲いた花を数本、私の髪に挿した。
「ルミアのこと想えば想うほど、花につやが増していく」
 花を挿した手をそのまま、私の頭部に沿わせて撫でおろす。
 あれ。これ、まずくない?
「ディロ、あのね」
「好きだ。ルミア」
 真っ直ぐに愛の言葉を向けられて、私は口をつぐんでしまった。
 ディロは幼馴染。命の恩人。確かに懐いてくれている。そう、私の感覚では、ディロは“懐く”って言葉が一番しっくりきてる。素直にそう言えなかったのは、甘えていた部分があるのだと思う。ただ。
 今となっては、力量差が明確すぎて言えない。
「それでね。思ったんだ」
 ディロの体から蔓が伸びる。それは先々で枝分かれして、するすると私の体に巻き付き始めた。間もなく体が浮き上がり、足を揺らしたぐらいじゃ抵抗が出来なくなる。
「ちょっ、ディロ?!」
「ルミアのこと抱きしめたら、花がもっときれいになるんじゃないかって」
 蔓はゆっくりと這うように、隙間なく私の体を絡めとる。
「やっ……あ……」
「大丈夫。痛くしないから」
 いつもなら、蔓は狩りの武器として使っているはずだ。確かに力の制御は出来ているのかもしれない、けど!
「この樹皮みたいな体で抱きしめたらルミアの肌傷つけちゃうって思ったけど、蔓なら平気だ。それに、これならルミアのこと、頭のてっぺんからつま先まで抱きしめてあげられる」
 さすがに頭は避けてくれたけど、ディロは言葉通り、私の体の殆どを蔓で締め上げてしまった。
 脈打つように動く蔓が、ディロの心を映しているようで恐ろしい。
「ディロ……ってば……!」
 必死の声ももはや聞こえていない。ディロはゆっくりと両腕を広げると、蔓に覆われた私を引き寄せ、抱きしめた。
 あちこちに、蕾が膨らみ始める。
「ディ、ロ」
 互いの体が密着する。もう、自分の体が、蔓か、腕か、何と触れているのか分からない。
「あぁ……ルミア……」
 恍惚とした表情で呟くディロの声に呼応し、蕾が一斉に花開く。私の体の痙攣は、彼の束縛のうちに呑み込まれてしまった。
 視界が白で染まる。瑞々しい艶を放つ柔らかな花弁。
 あふれ出した花粉が、辺りをむせ返るほどの甘い香りで満たしていく。
 思考が、ディロの花に埋め尽くされていった。
 
 
終。


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