逸野識音
短編連作と短編の時系列まとめです。
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研ぎ澄まされた空気を放つ白の金属扉が、僅かな駆動音と共に横滑りする。 現れたのは、頭髪も衣服も真っ白な男。 彼は汗で顔に張り付く髪を跳ねのけながら部屋に踏み込み、空間に向けて呼びかけた。 「ただいまぁーっつーい! 509~お水貰ってもいいー?」 『その前に、あなたの所持している大量の金属反応について説明を願います。オーリネス』 「え?!」 天井から降り注ぐ想定外の詰問に、白い男――オーリネスは硬直する。表出した動揺が、肩までの真っすぐなアシンメトリーヘアを揺らした。
あの日は、大雪が降った後で、世界一面真っ白だった。 みんなが慎重に真ん中を避けて通った校庭は『さぁ、あそんでください』と言わんばかりで、当然ながら、誰も授業に集中出来やしなかった。 昼休み。皆が一斉に飛び出して、厚く積もった雪に足を取られながら、雪玉を投げて、雪玉を転がして、積み上げて。あっという間に、慎重に準備された真っ白なキャンバスが、遊びの色に染まった。 校庭中を駆け回ってもみんなの熱は冷めやらず。帰り道、いつもと違う景色に、心が疼いた。 「冒険隊、結成!」
前の話へ 端末を操作する音が静かに響く。 部屋では多数の人間が動いているのに、まるで一人で作業しているような錯覚に陥る。皆が黙々と作業を進め、コミュニケーションは最低限、小声でしか交わされない。 以前からオーリネスを避ける者はいたが、最近は寄ってくる者を数える方が早いくらいになってしまった。近くにいるのも嫌らしく、オーリネスの席の周りは、壁があるかのように誰も座らない。 分かっているから、オーリネスも部屋の隅の端末しか使わない。 出来ることなら、自室に籠りたい。だ
居間のカーテンを開くと、部屋がさっと明るくなった。レース越しに差し込む光が熱を含んでいる。休日だからと寝坊した私に、“しょうがないなぁ”と温かく笑いかけるようだ。 お昼ご飯には早いけど、待つにはお腹がきびしい。私は台所に向かい、食パンの袋を取り上げた。一瞬だけ迷って、とりあえず自分の分をトースターに放り込む。 コーヒーメーカーをセットして、レタスをちぎる。卵を焼こうかなと考えていたところで、パンが焼けた。あわあわとお皿に取り出して、同じノリで冷蔵庫を開ける。 紙箱に収
村に歩を踏み入れると、途端にあちこちからカタカタと音がした。 ここもなのか。 男は背から剣を抜き、おもむろに構える。漆黒の刀身に白い影が映るやいなや身を捌き、最小の動きで敵を貫く。剣の切っ先は迷うことなく相手の胸骨と背骨を砕き、力を失った体はバラバラと地面に崩れ落ちた。 肉のひとかけらも残っていない、ガイコツの魔物である。 砕けた骨の上にどさりと頭蓋骨が落ちる。目のないくぼみが男を恨めしげに見上げ、顎骨が僅かにカタカタと音を鳴らしたが、それきり動かなくなった。 そ
彼女の発見は、この国の歴史を揺るがせた。 どの文献にも見られない、今やとても再現不可能な技術。 機械仕掛けの飛行竜。 永く埋もれていたにもかかわらず、染み一つない真っ白な姿とその優美さから、“白雪姫”と名付けられた。 沢山の研究者が。沢山の技術者が。沢山の権力者が。そして、沢山の人間が。 白雪姫の再稼働を望み、構造を調べようとし、機体を修復しようとし、その姿を一目見ようとし、集まった。 莫大な資金と人材が投入され、研究所兼展示場として、塔が造られた。そうして調査
前の話へ 記録の殆どは、断片的に手に入る。 避難するときに、回収するときに、強奪するときに。偶然零れ落ちた、物語の欠片。 日記、報告書、メモ、画像、映像、音声データ……形は様々で、一つだけではそれが何であるか分からないことも多い。まして、それが事実なのか創作物なのか、判断する術はない。 それでも、共鳴するものが見つかることがある。 「いつも思うのだが。お前たち、休憩中によくそんな作業が出来るな」 画面にずらりと並ぶファイル名をのぞき込み、イスタトゥーミスが呆れ声を
籠から布を引っ張り出す。砂にまみれたそれをはたくと、空に掲げるように広げた。所々に虫食いや引き裂いたような穴が開き、裾もほつれてしまっている。 「結構きてるねぇ」 既に仕事にとりかかっていたジェシーが、私の持つニットシャツに目を向ける。 「いけるよ……多分」 原型があるうちは、布を当てて繕うのが基本だ。私は端切れの詰まった袋を引き寄せると、似たような色はないか探り始めた。とはいえ、砂で黄色く染まった布の元の色を正確に見抜くのは至難の業で、大概は愉快なデザインになってしま
気付けば、口元にすっぽりと紙コップが嵌まっていた。 「いゃだ、もう!」 頓狂な声が、紙コップの中でビリビリと響く。 咄嗟に引っ張ってみたものの、びくともしない。コップと一緒に顔周りの皮が引っ張られるだけだ。端から見ればさぞ滑稽だろう。なんて恥ずかしいのかと辺りを見回すも、幸いなことに人通りはない。 むしろ不自然だった。 スーパーの中である。天井から賑やかな音楽が流れ、商品はずらりと並び、奥に見える窓に映るは快晴、明らかに営業時間である。片腕に下げたカゴに野菜が入って
前の話へ 端末を操作するオーリネスの背後に、誰かに追われているのかと錯覚する勢いで足音が近付いてくる。合間に聞こえる声は荒々しいリズムに呑まれて互いに絡みつき、見えない圧となって空気を震わせた。 迫りくる波に背を向けていては危険だ。オーリネスは咄嗟に振り返り、反射的に頭を仰け反らせた。 眼前に、何かが突き付けられている。 「パイセン!」 「オーリネスちゃん!」 嵐の主たちが、写真らしき紙を手に左右から迫る。一人は橙に染めた短髪をあちこちに跳ねさせた子犬のような青年で
何もしたくない。 曇天が重くのしかかる。空がどばどばと白い綿をまき散らす。それは綿のくせに冷たくて、重くて、湿っている。 見ているだけで気が滅入って、思わずカーテンを引いた。イスに座って、頭を机に投げ出して、ぼんやりとスマホを眺める。 何もしたくない。 適当にネットの海を揺蕩う。文字の羅列は意味もなさずに思考を通り過ぎていく。 適当に文字をいじって、次の窓に飛んで、飛んで、飛んで。 気付いたら、部屋の中でセミが大合唱していた。 冬なのに。 こんなに寒いのに、
ガタガタと音を立てながら机を直し、教室を出て行く教師たち。その声を背に、高藤は文字と図の書き殴られた黒板に向き直った。おもむろに黒板消しを取り、端からゆっくりと撫でていく。白い線は面に、チョークの粉が塗り広げられていった。 一度ではとても、消しきれそうにない。 書き込みが多いのは、議論が進んだ証だ。とは言え、こうも厚く塗りたくられてしまうと、綺麗にするには少々手間が掛かるだろう。 二つある黒板消しを駆使し、消しては窓の外で粉を叩き、消しては叩きを繰り返す。明日になれば
神々しいまでの朝日が、礼拝堂に続く通路を照らす。身が引き締まる空気に包まれて尚、瞼が重い。掲げた手で口元を隠し、こみ上げた眠気を吐き出そうとしかけたところで、目的地から怒号が響いた。 「またお前かぁっっっっ!」 半端にあくびを吐き出した口が、ゆっくりと閉じる。これはと思って浮かんだ涙を拭うと、案の定。勢いよく開いた扉から、少女が飛び出してきた。 「はわわわわ!」 「おはよー、見習いちゃん。またやったの?」 苦笑交じりに呼びかける。 料理人のお仕着せに身を包んだ、おさげ
「違う」 簡潔で非情なる声が響く。 闇のように濃い紫の法衣に身を包んだ魔女は、指先で摘まんだ小さなカタツムリを一瞥するなり言い放った。自信がないことを伝えたかった青年の口が、何か言おうと口を開く隙すらない。 「必要なのはホオジロマイマイ。これはサカシロマイマイ。テンシロマイマイならまだしもこれは全く違うもの。キミ、ここに来て何年経つの」 切れ長の目が、にらみ上げるように青年を見つめる。射貫くような視線に、青年は体温が上がるのを感じた。 「……五年、です」 やっとのこと
前の話へ やばい。 やばいやばいやばい。 速度がえげつない。だが、ここで押されたら負ける。 頼みの綱が、壊されてしまう。 指がもつれそうになる。実際、何度か縺れた。 相手はこちらの疲労など知らぬ顔で、遠慮なしに踏み荒らしてくる。 やめて。お願いだから。 モニター越しの、正体不明の相手に呼びかける。 届くはずがない。分かっていても止められない。 食い止めるのが先か、キーボードが壊れるのが先か。 貴重な資源に遠慮する余裕もないほど、力任せに叩き続ける。
集落の鐘が打ち鳴らされている。 生まれて初めて聞く轟音に、否応でも急き立てられる。音は集落を囲う谷にぶつかり、反響して、ますます大きくなった。まるで触れられそうなくらい厚みのある音に背を押され、ひたすらにロニーは走る。集落の奥へ奥へ、谷の根元の洞穴へ。 赤茶けた岩肌にぽかりと空いた暗闇に飛び込むと、淡い黄緑色の光がふわりと動いた。ロニーはその光を頼りに鉄格子をつかみ、手探りで扉に向かう。逆光で見えない苛立ちを抑え、鍵をこすりつけるようにして鍵穴を探した。 かみ合わせの