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【短編】歯車砂時計

 どこまでも続く森の中を、一人の少年が歩いていた。
 服は汚れ、靴は擦り切れ、荷は軽く、足取りがおぼつかない。
 それでも、少年は歩いていた。元より失われていたかもしれない命だ。今更どこで尽きようとも同じだと思った。
 生い茂る木々は日の光の殆どを遮り、足元がよく見えない。少年は湿った苔に足を取られ、転んでしまった。そのまま、滑るように落ちていく。なすがままに身を預ける。
 柔らかい土と草に塗れ、どちらが天でどちらが地かも分からなくなったところで、少年の体は止まった。草の上に大の字になる。視界の隅に、光が見える。つと、視線を動かすと、木々の切れた場所から、暖かな日差しが差していた。
 呼ばれるように身を捩る。懐かしむように立ち上がる。未だふらつく足取りで、少年は歩き出した。
 温かな陽だまりに呼ばれるように。
「あ……あぁ……!」
 目の前に聳える、巨大な遺跡。その壮大さに、その荘厳さに、少年はしばし言葉を失った。
 黄味がかった石の積み上げられた建築物。その所々に苔がはびこり、隙間からは草が伸び、柱には蔦が絡みつく。それらが、年月を匂わせる。だが、塀や窓枠、入り口のアーチに刻まれた細かな模様。なにより、大きさと風格が、ここがかつて王族の住まう城であったことを思わせた。
 疲れも忘れ、足が動く。入り口まで続く長い階段を、一段一段踏みしめる。そうして入口に立つ。天井も所々抜け落ちているのだろう。そこかしこに日が差し込み、思ったより中を見渡せる。
 石畳の床。中央には頂点へ続く真っ直ぐな階段。その途中から伸びる通路に、沢山の個室。
 外観と同じく、全てが自然に覆われている。そして。
「…………」
 石畳の隙間から顔を出す根の間に、階段の脇に、個室の前に。
 骨が、落ちていた。
 鎧や布の服に身を包むそれは、かつての住人のなれの果て。城の最期を共にした住人たち。
 剣を持つ手があった。小さな骨を抱き締める体があった。彼らはここで生き、ここで死んだ。少年が知る歴史に記されていなかった、遠い遠い昔に。
 少年は再び歩を踏み出した。城の中心を走る階段に足を載せる。苔に足を取られないように、根に歩を妨げられないように、階段が崩れないことを祈りながら、ゆっくりゆっくりと体を動かす。
 途中の階には目もくれず、向かうは最上階。
 階段を上りきる。小さな個室へと続く。
 そこは、ひときわ植物の侵食が酷かった。壁も所々が崩れ、床に石が積み上がっている。椅子や机の残骸がひっくり返り、壊れ、傷つき、辺りに転がっている。
 そして、部屋の一番奥、周りの侵食から逃れた床の上、天井からの光を浴びて。
 一人の少女が、座っていた。
 少年は思わずびくりと体を強張らせたが、少女に反応はない。彼女は瞼を閉じていた。
 煤と埃と蜘蛛の巣で薄汚れた髪は床に広がり、同じく汚れたワンピースは、あちこちが破れてしまっている。
「あの……」
 緊張で強張った声が、少年の口から零れる。やはり少女に反応はない。少年は意を決して少女に近付いた。
 そして、気付いた。
 瞳から下がる線。その周りについた小さな螺子。剥き出しの腕も、そこから伸びる手も。沢山の関節部品に支えられた繊細な作りだが、材質が鋼である事に変わりない。
 年月を思わせない滑らかな肌だったから、気付かなかった。少女は、機械なのだ。
 見惚れていた少年だったが、少女の胸の辺りの服が破れてはだけていることに気付き、咄嗟に視線を逸らした。
「…………?」
 逸らしていた視線が、悪いと思いつつも戻る。更に悪いと思いつつも、少女の服に手が伸びる。
 そっと、破れた布をずらす。胸の中央にぽっかりと空いた空間。そこに、握りこぶし大の歯車が収まっていた。
 更に、歯車の中には砂時計が収まっており、砂時計の中に、小さな歯車が詰まっていた。歯車は複雑に組み合わされている。鮮やかな青色の砂が、砂時計の底に溜まっている。
 惹かれるように、少年の手が伸び、砂時計を摘まんだ。そして、ゆっくりと回す。砂時計が回るのに重なって、砂時計を内包する大きな歯車が回る。
 時計の上下が反転する。青色の砂が、仕事を始めた小さな歯車に導かれ、下へ下へと落ちていく。
「凄い……」
 少年が呟くと同時に、歯車に導かれていた最初の砂が、砂時計の底へ辿り着いた。
 その瞬間、少女の体からまばゆい光が溢れ、少年の視界を奪う。
「!!」
 咄嗟に目を覆う。光が治まったのを確認すると、ゆっくりと腕を退ける。
 声にならない叫び声を上げた。
「…………(にこ)」
 目を開いた少女が微笑んでいる。服は破れていない。ただ、砂時計の収まったあの歯車はしっかり見えていた。元からそういう作りだったらしい。
 そして、辺りも様変わりしていた。
 ひび割れ、薄汚れていた石壁は美しく輝いており、どこにも自然の侵食は見られず、天井からの光ではなく、窓からの光で部屋が満たされている。
「な……なんで?」
 少年が呆気に取られていると、少女が首を傾げた。そのまま、少年の体をしげしげと観察する。
 美しい部屋の中で唯一、少年の体は薄汚れていた。遺跡に足を踏み入れたままの格好だ。
「あ、いや、これはその、えっと」
「…………(にこ)」
 少年が言葉を取り繕っている間に、少女が少年の腕を取った。そのまま立ち上がり、少年の腕を引いて歩き出す。
「え? あの、どこに……」
 機械仕掛けであることを忘れさせる程に、少女は滑らかに動いて少年を導く。そうして個室を出た瞬間、少年は開いた口が塞がらなくなった。
 あちこちで湧き上がる笑い声。指示を飛ばす声、陽気に語らう声。それらが、一緒くたに少年の耳に飛び込んでくる。
「何で?」
 少年の疑問に答えず、少女は階段を駆け下りていく。真っ直ぐに、下へ下へ。そうして一番下の階層に着くと、入り口に立っていた兵士が敬礼した。少女は兵士に笑い掛け、止まらずに少年を引いて駆ける。
 階段を下りてすぐ脇の個室へ。
「お、来たなー」
「あんれま、客人かい?」
 そこは食堂だった。沢山の人で賑わっている。兵士がいれば、子どももいた。皆が大きなテーブルを囲んで、食事に舌鼓を打っている。芳醇な香りが押し寄せ、少年の胃袋は堪らずに叫び声を上げた。
「よし、食え食え!」
「こっち座りな! 今水もって来てやるよ!」
 屈強な男に開いた腕を掴まれ、少年は問答無用で座らされる。目まぐるしい速度で、目の前に並べられる料理。
 助けを求めるように少女を見るも、彼女は微笑むだけで何も言わない。そうしている内に、少女が腕を伸ばした。示された先には、湯気を立てる料理の群れ。
「そうそう! 男はたっぷり食ってデカくならないとなぁ!」
 気付けば、少年は目の前の食事にかぶりついていた。どれも見た事もない料理ばかりだったが美味しかった。己が餓死寸前だったことを差し引いても。
 周りに囃し立てられながら、次々に皿を開ける。出された皿が全て空になるまで、少年の勢いは止まらなかった。
「はぁ……生き、返った」
 少女に水を渡され、一息。空腹が満たされ思考が正常に動こうとした所で、再び少女に腕を引かれた。
 視線を向ける。彼女の胸の真ん中で、さらさらと落ちていく青い砂。
「はははっ、仲が良いな~」
「いってらっしゃーい」
「ええええ!」
 食堂にいた者たちに見送られ、少年は再び強制的に移動させられる。階段を上り、一つ上の階へ。
「ねぇ、ちょっと待って、君は一体、ここは一体」
「…………(にこ)」
 少女は歩を止めると振り返り、少年に笑い掛けた。
 そして、腕を伸ばして部屋を示す。何やら機械音が聞こえ、部屋の中に火花らしきものが散っているのが見える。
「なに……?」
 連れて来られた先は、工房だった。
 職人風の男性が、金属を火に入れている。その隣で、研究者風の女性がガラス瓶を高く掲げて中を確かめる。ガラス瓶から溢れる、色とりどりの光。それが部屋のあちこちに散り、とても幻想的な眺めだった。
 別の場所では、何人もの人間が集まって金属を加工している。机の上に大量に置かれているのは、歯車。それから、沢山の金属の板。
「凄いな……」
 部屋の者達はそれぞれの作業に集中しているのか、少年に気付く様子はない。腕を引かれて視線を動かすと、少女が部屋を示し、それから自分を示した。言葉はなくとも彼女の言わんとしているものを悟った少年は、口を開く。
「君は、ここで生まれたの?」
「…………(にこ)」
 笑みを浮かべ、少女は頷く。そしてまた、少年の腕を引いて歩き出す。
 少女は、部屋の一つ一つを少年に見せて回った。技術も、知識も、能力も、少年が知る限りどこの国でも真似出来ない高度なものばかりで、圧倒させられる。
 同時に、どうして己がここにいるのか、その認識が曖昧になっていく。
 温かな笑い声。生き生きとして仕事に当たる人たち。平和な空気。
「……いいなぁ。ここに住んだら楽しいだろうね」
 初めに少女と出会った部屋に戻った少年は、少女に向けて言った。
 長い長い旅路を歩いて来た。そろそろ、腰を落ち着けたい。ここはきっと、それに相応しい。少年が心から感じた思いだった。
 だが、その言葉を口にした瞬間、少女の表情が陰った。
「…………(ふるふる)」
 初めて見せる悲しげな顔に戸惑ったものの、少女がいつまでも小刻みに首を振るので、慌てた少年は開いた手を振った。
「ああ、ごめん。困らせるつもりはなかったんだ」
「…………(ふるふる)」
 少女は首を振り続ける。どうしようかと困った少年の耳に、外からの叫びが届いた。
「夜が来るぞーっ!」
「……夜?」
 何時の間にそんな時間が経ったのか。声に呼ばれて部屋の入り口を見ていた少年は、少女に手を引かれて視線を戻した。
 少女は、胸元を示していた。開けられた服、収められた歯車砂時計。
 小さな歯車に導かれ、上から下へ落ちていく青い砂は、あと僅か。
 砂時計の終わりの時間が、近い。
 少女が両腕を伸ばした。反射的に、少年は少女の体を抱き締めた。
 カチリ。
 再び、少女から溢れる光。呼び戻されていく記憶。
「…………(にこ)」
 光に溶ける刹那、少女が見せた笑顔。少年は泣きそうな顔で笑みを作り、呟いた。
「……ありがとう」
 光が弾ける。その後には、闇。
 少年の意識も、その中へと落ちていった。
 
 冴え冴えとした冷たい空気。開いた天井から差し込む、月の光。
「う……ん……」
 ゆっくりと体を起こす。ここへ来るまでに抱いていた疲れも空腹もない。
 ただ。体は満たされていても、心には寂しさが広がっていた。
 目の前に、少女はいた。
 落ち切った青い砂。破れた服の隙間から覗く、動きを止めた歯車砂時計。
 機能を停止し、瞼を閉じ座る少女。
「…………」
 少年は、再びその歯車に手を伸ばそうとして、止めた。代わりに、今はもう汚れてしまった髪を撫でる。
「ありがとう」
 震える心に映る、少女のくれた時間。それが、小さな灯りを生む。
 少年は立ち上がると、少女に背を向けて歩き出す。
 閉じた瞳でそれを見送る少女の口元は、小さく微笑んでいた。
 
 
 終。


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