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【短編連作】観測者の箱庭05

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 記録の殆どは、断片的に手に入る。
 避難するときに、回収するときに、強奪するときに。偶然零れ落ちた、物語の欠片。
 日記、報告書、メモ、画像、映像、音声データ……形は様々で、一つだけではそれが何であるか分からないことも多い。まして、それが事実なのか創作物なのか、判断する術はない。
 それでも、共鳴するものが見つかることがある。
「いつも思うのだが。お前たち、休憩中によくそんな作業が出来るな」
 画面にずらりと並ぶファイル名をのぞき込み、イスタトゥーミスが呆れ声を出した。
 記録メディアを資源に回すため、データは全てオーリネスの個人端末に集めている。見つけた日で纏めているものの、中身の確認と整理は休憩中にしか出来ない。
「仕事でデータを捌くのと大差ないじゃないか」
「いいんだよ。楽しいんだから」
 友人はオーリネスの活動の殆どを助けてくれるが、これだけは手伝ってくれない。オーリネスも趣味でやっている自覚があるため、無理強いするつもりはないのだが。
「なんだかんだ、君も一緒に見ていると思うがね」
 隣で片肘をついて作業を眺めていたスオウの言葉に、オーリネスは内心同意する。今も、他に席があるというのに、イスタトゥーミスはオーリネスの隣に腰かけた。おかげで、休憩中は二人に挟まれて座るのが恒例になっている。
 仮設休憩室というだけあって、部屋にはテーブルと椅子しかない。箱だけ出来ている場所はあちこちにあって、皆がそれぞれ、未使用の部屋でつかの間の休息を味わっていた。ここは509のいる部屋から一番近いということで、主にオーリネスが使っている。
「この星の記録を残すとのたまいながら、平気で改ざんするやつがいるからな」
「改ざんなんかしてないよ。確かに、不足分をぼくの解釈で補ってる部分があるのは認めるけど」
「殆どを解釈で補ったら、それはもう記録ではなく創作だ」
「そうでもしないと結局なんのデータか分からないんだからしょうがないじゃん」
「……やらないのかね」
 スオウの一言に、我に返る。貴重な休憩時間を、議論で終わらせるわけにはいかない。データは日々増えていくのだ。ただでさえ処理が追い付いていないのに、更に溺れてしまう。
「お前は歴史が捏造される現場にいて何も思わんのか」
 勢い収まらず、イスタトゥーミスは議論の矛先をスオウへと向ける。
「確かに、この詩人が手を加えると記録が叙事詩のようになるとは思っているが」
 淡々と紡がれる返答は、糾弾されるよりもよほど堪えた。
「……ぼくって、そんなに詩人かなぁ」
「別に良いのではないかね。ここにある膨大な記録の断片を見て、それぞれを紐づけられる強者はなかなかいない。古には歴史を伝えるのは詩人の役目だった。今日でも学者の解釈一つで、それまで正しかったはずの歴史が間違いに変わる。逆も然りだ。どうせ誤読されるのなら、多少脚色しようが問題あるまい」
「……褒められてる気がしない」
「褒めていないが貶してもいない。そもそも、元のデータが事実であるという保証がどこにもないのでね」
「まぁ、それは」
 史実らしき記録を見つけたとして、それを証明する別の記録を見つけられる可能性は限りなく低い。だから結局、“この星で紡がれたもの”という括りで纏めざるを得ず、オーリネスの活動は趣味の領域を出られない。着手した時には既に記録は世界中に散らばり、また埋もれていた。仕方ないとは言え、歯がゆさが残る。
 知りたい。その思いが、オーリネスをここまで導いてきたのだ。
「これ、動画だ」
 映し出されたのは、金属質の壁に覆われた広い空間。中央に向かい合わせの形で人と獣が並ぶ。獣は息絶えているのか床に横たわり、人もどうやら普通の様相ではない。
 彩度の低い緑の髪は、床に届くほど長い。所々に茶色い房も見受けられる。肩幅があり恐らく長身で、一枚布の簡素な服を纏う。
「……うん?」
 思わず身を乗り出す。
 差し色に見えた茶色の房は、よく見れば肩から伸びていた。袖と思ったものはどうやらむき出しの腕で、樹皮を思わせる硬質のパーツが付けられている。肌の色は茶、髪は緑。おまけに付けられた装飾品のせいで、遠目には樹木と見間違えてもおかしくない様相だ。
 カメラ脇から、白衣姿の男性が姿を現す。彼はクリップボードを手に、カメラを見ながら己の立ち位置を調整した。
『0524、始めて下さい』
 声に反応し、樹木のような人物は頭だけ振り返り、口端を吊り上げた。
『始めるのは良いが、何を望む? 貫通、切断、それとも殴打か』
 笑みが混じる口調に呼応し、肩から伸びた茶色い房らしきものがゆらゆらと蠢く。
『あー、そうでした。どうしますかトキ――』
 白衣姿の男性は振り返り、しかし唐突に言葉を詰まらせる。何を見たのか、みるみる表情が青ざめていった。
『はっ、博士。如何なさいますか?』
『……切れるの?』
 カメラの外側から、女性の声が響く。刃を思わせる冷たい口調に、聞いている方の背筋が伸びるようだ。
『お望みとあらば』
 樹木のような人物は女性がいるらしき方へ顔を向け、妖艶に微笑んでみせる。そうして遺骸の方へ向き直ると、片腕を軽く上げた。
 部屋の空気が止まった。
「……創作、だよな?」
 イスタトゥーミスの声が、震えを帯びる。オーリネスも言葉を失った。
 樹木のような人物の肩から伸びた房。あれが質量を無視して伸びたと思えば、鋭く遺骸に振り下ろされ、二つに切断した。一瞬の出来事だった。
 白衣の男性が歓声を上げ、記録を取っている。かと思えば、画面外に消えていった。慌ただしい足音が小さくなっていき、扉の開閉音が後に続く。
 樹木のような男性は、血の付いた房の先端を己の方へ引き寄せ、様子を確かめるように手を添える。
『呼ばれて困る苗字など、捨ててしまえば良い』
 おもむろに切り出すと、血を払うように房を振った。そうして、先程とは違う明るい笑みを、恐らく女性のいる方へ向ける。
『私の苗字で良ければ喜んで献上するよ、ドクター』
『遠慮するわ』
 間断おかずに戻った鋭い返答に、男性が肩を竦めた。
『これは、今となっては唯一の家族の証。私の……大切な宝物』
 女性の声が、噛み締めるように言葉を紡ぐ。そこで、映像が止まった。
「今の……どういう、意味?」
 言いようのないざわめきが、胸中を占領した。
 知りたいけれど、知りたくないもの。
「オーリネス」
「既婚者に求婚した男が振られた図だな」
 無意識のうちに紡がれた疑問は、イスタトゥーミスに咎められ、スオウから答えが戻った。
 それで、我に返った。
 シークバーはまだ画面の途中にある。どうやら、自分で止めてしまったらしい。
「あ、えと、その」
「この間のデータも流し読みで終えていたな。この手の話題は苦手かね」
「誰にでも苦手なものくらいある」
 イスタトゥーミスが助け舟を出してくれているのが分かった。だが、どう乗ればこの場を切り抜けられるかが分からない。
「その、えっと、この間のは、日記っぽかったし。あんまじっくり読んだら失礼かなって」
「どんな記録でも熟読する君らしからぬ行動に思うが」
「……それは」
 スオウの言葉は波のように続く。
「だから気付いていないだろう。この間のテキストデータとこの動画データは、同じ場所の出来事を語っている」
「え?!」
 予想外の方向から波を被せられ、オーリネスはすがろうとした舟から転げ落ちた。
「肩から蔓が生える実験体。この間のものとは別人のようだが、恐らく彼は樹術師だ。研究所で行われた実験記録データ、と言ったところだな」
 慌てて端末を操作し、データを呼び出す。確かに、似た容姿の描写があった。記録者の心理に自らの心が追い付かず、そのまま処理済みに放り込んだデータだった。
「うわぁ、ホントだ。じゃあ、一緒に入れておかないとだよね……」
 誤魔化すように呟いて、端末を操作する。これが事実か創作か、そんなことはどうでもよくなっていた。
 早く終わらせてしまいたい。
「最後まで見ないのかね」
 隣から、静かに言葉が流される。咎められていないのに、手が止まった。
「まぁ、どうしても触れたくないのなら、代わりに纏めようか」
 スオウ自身からの助け舟。恐らく、このまま従えば深追いはしてこない。しかし今後似たような場面に遭遇するたび、同じやり方が通用するとも思えない。それでお互い疎遠になってしまうのは嫌だった。
 本来なら、相容れないはずの相手。
「ぼく、孤児なんだ」
 オーリネスは端末から手を離し、しかし視線は画面に向けたまま切り出した。
「おま……っ!」
「良いんだ。イスタ。ぼく、スオウには知っててほしい」
 慌てて止めようとするイスタトゥーミスに笑みを向ける。
 地上にいた頃は、孤児であることは差別の対象だった。まして、オーリネスのように、“最後まで”孤児であった者は。
 そっと、窺うようにスオウに目を向ける。元レジスタンスのリーダーは、静かにオーリネスを見つめ返した。感情が表に出ないのはさすがと言うべきなのか。
 視線に先を促され、オーリネスは続けた。
「ぼくのいたとこ酷くてさ。何にも教えてもらえなかった。イスタに会えなかったらきっと、何一つ知らないまま、のたれ死んでたと思う」
 生きるための最低限のことはして貰える。だが本当にそれだけだった。施設にとってオーリネスたちは、売れれば終わりの商品。だからイスタトゥーミスとの出会いは施設にとっての誤算で、オーリネスは恐らく、始まって以来のお荷物だったに違いない。
「イスタにはたくさんのことを教えてもらった。おかげで大学に入れて、たくさん勉強して、色々な人に会えた。物語もたくさん読んだし、専門書も読み漁った。けど。未だに、愛とか、家族とか、そういうのが、よくわからない」
 何度か里親の申請が来た。それらからオーリネスは逃げた。信じられる存在はイスタトゥーミスだけ。施設を出て、彼と離れるのが怖かった。そうしている間に、知る機会を失った。
 規定年齢まで誰の元にも“所属”しなかったオーリネスには、未だに苗字が無い。
「ホントは、知りたいんだ。どうして捨てられたんだろうって。けど、関連しそうな情報を見つけても、気付くと逃げてる。そういう話だってわかった途端、頭に入らなくなっちゃう」
 言葉を止めると、部屋に沈黙が下りた。スオウはオーリネスから視線を外し、何事か考えるように目を伏せている。
「ごめんね。聞きたくなかった?」
 スオウから返ってきた視線に、ぎくりとさせられる。睨みつけられているのかと錯覚するほど強張った瞳は、揺らいでいた。
 恐らく彼は、オーリネスの言葉の意味を、正確に把握している。
「……そんなに真っ直ぐ信頼を向けられては……却ってやるせない」
「いや、だってぼく、スオウには感謝してるんだ」
 大統領の部下と、レジスタンスリーダー。本来ならあの日、オーリネスたちは拘束されていてもおかしくなかった。スオウが助けてくれたから、今もここにいられるのだ。
 たとえ、何かと一緒にいる理由が、監視のためだったとしても。
「信用する相手を間違えている」
 イスタトゥーミスの声が、背後から被さる。咄嗟に振り返りかけたオーリネスを、スオウの声が止めた。
「僕もそう思う」
「なんで?!」
「オーリネス。お前、自分の立ち位置に疑問を抱いたことはないのか」
 イスタトゥーミスに疑問を投げられ、オーリネスは席を立った。このままでは、二人を頻繁に振り返させられて目が回ってしまう。壁に背を預けて辟易とするオーリネスに、イスタトゥーミスは容赦なく続ける。
「普通革命が起こったら、次のリーダーは革命軍の中から排出される。民にとって私とお前は罪人だ。残留措置が取られたとしても、こんな高位に置かれるはずがない」
「そうだけど」
「レジスタンスの規模は尋常じゃなかった。こいつはそれを纏めるだけの人望がある。お前の作ったシステムに入り込む技量も、敵と渡り合うだけの力も。どう考えても、リーダーになるべきはこいつだったはずだ」
 それは確かに、オーリネスも疑問に思っていた。立場上、聞けなかっただけだ。
 答えを求めるように視線を向ける。スオウはちらりとイスタトゥーミスを見て、小さく笑った。
「そこまで分かっていて、僕が誰かを知らないのだな」
「なっ……!」
 スオウは片手を上げてイスタトゥーミスを制すると、今度はオーリネスの方を見た。
「君が苦手とする話題だ。嫌だったら聞き流してくれて構わない」
「え……」
 上げていた手を端末へと伸ばし、操作する。シークバーが動き、切断された獣の傍らに金髪の女性が現れた。画面外で話していた人物だろう。その姿を見たスオウが、小さく息を吐いた。
「樹木は命が長いだろう?」
「……? うん」
「その秘密を解き明かし、人に転用できないか研究していた。だが、倫理に反するという名目で、国からの援助は受けられなかった。父はそれを何とかしようと奔走した挙句暴走し、家族はバラバラになってしまった」
 不意に始まった物語に混乱する。今までの流れと、スオウの言葉が繋がらない。
「……ごめんスオウ。話についていけない」
「私もだ。何が言いたい?」
 呆然とするオーリネスに、不機嫌なイスタトゥーミスの声が重なる。スオウだけがいつもの調子を取り戻し、画面を軽く叩いた。
「フィロファーラ・トキトウ。僕の母だ」
 部屋の空気が止まった。
「「えっっっ?!」」
 頓狂な声が二人分、部屋を揺さぶる。
「やはり地上に残っていたのだな。カメラを付けたところで、見つかるはずもない」
 カメラ?
 唐突に現れた単語に、そもそも一気に与えられた情報量に、思考が追い付かない。苦手な話題だ、と言い添えられたことも、混乱の一端を担っていた。
 思わずイスタトゥーミスを見る。友人は目を開いたまま動きを止めていた。
「……待て。まさか」
 視界の端で、スオウが笑みを零した。
「お前の父親、大統領か?!」
 オーリネスの脳裏に、いつも無表情だった男の顔がよぎった。思考も、そのまま止まった。
 感情が追い付かない。
「僕の立ち位置は、君たちと変わらない。父親の暴走を止めたと見る者もいれば、同じことをしでかすのではと警戒する者もいる。僕は上に立つべきではないし、そのつもりもない。父を止めた時点で、目的は果たしているのでね」
「お前、何故今まで話さなかった?!」
「最初の顔合わせで、君たちは苗字を名乗らなかった」
 イスタトゥーミスの怒号に、スオウが鋭く切り返す。
「皆がつられて同じようにして、僕も名乗る機会を失った」
 続く言葉に、イスタトゥーミスが黙り込む。
「……ごめん。ぼくのせいだね」
 イスタトゥーミスは、オーリネスに気を使って名乗らなかった。それはそのまま、“職種も身分も関係ない”というスローガンに繋がっていった。オーリネスを守ってくれていたものが、スオウには弊害だったのだ。
「あの時伝えていれば、君たちはもっと早く気付いただろう。まぁそうなれば、こんな近しい関係になることもなかっただろうが」
「スオウは、ぼくたちのこと信じてくれてるの?」
 まだ、上手く繋がっていない。それでも、言い表しようのない安堵が、己の中を満たしていくのが分かった。
「イスタトゥーミスには信用されていないようだがな」
「今回のことで余計に信を失ったが?」
「まぁ、結果として君たちを騙すことになってしまったのは確かだ。追い出すかね?」
 そう言って、いたずらっぽく笑う。この策士は、既に答えを知っているのだろう。
「追い出さないよ。そんなこと出来る立場じゃないし。スオウには、ぼくらが道を外さないよう、ちゃんと見ててもらわなきゃ」
「どちらかと言うと、僕も君と一緒に道を踏み外す側な気もするがね」
「じゃあ、もしそうなったらイスタに叱ってもらお」
「適任だな」
「私に振るな。責任が重い」
「いつもやってるじゃん」
 部屋の中に、二人分の笑い声が響く。イスタトゥーミスは眉を顰めたが、何も言わなかった。
「オーリネス。このデータ、写しを貰っても良いかね」
「もちろんだよ。スオウのお母さんが映って……」
 端末に戻ったオーリネスの手が止まる。
「……あれ、ちょっと待って」
 画面には、長い金髪が流れるように弧を描いた状態で止まっている。
 研究所。白衣の研究員。人並外れた力を持つ樹術師。
 おとぎ話のような世界。
「この記録、本物? 創作じゃなくて?」
「よほどの偽造がない限りは本物だな」
 オーリネスは現実を飲み込もうと、意味もなく端末を操作する。もう一度切断される獣を見ても、現実味を感じられない。
「……スオウが作った訳じゃないよね?」
 あまりの突飛さに、思考も飛躍を始める。
「そこを疑われてしまうと保証しかねるな」
「いきなり胡散臭い奴に戻るな。人が折角信じたというに」
 スオウは真顔で切り返し、イスタトゥーミスを呆れさせた。二人の様子を見れば本物と確信出来るが、そこで止まってしまう。
 いくらオーリネスでも、休憩中に処理できる情報量を超えている。この後本来の作業が待っているというのに、脳に制御不能の空白が詰まって何も考えられない。
「スオウ。お前責任取ってオーリネスに説明してやれ。仕事にならん」
 状態を的確に見抜いたイスタトゥーミスの声も、どこか遠い。
「……今日は残業だな」
 スオウの声が、楽し気に笑っていた。
 
 
 終。


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