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【短編連作】観測者の箱庭06

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 端末を操作する音が静かに響く。
 部屋では多数の人間が動いているのに、まるで一人で作業しているような錯覚に陥る。皆が黙々と作業を進め、コミュニケーションは最低限、小声でしか交わされない。
 以前からオーリネスを避ける者はいたが、最近は寄ってくる者を数える方が早いくらいになってしまった。近くにいるのも嫌らしく、オーリネスの席の周りは、壁があるかのように誰も座らない。
 分かっているから、オーリネスも部屋の隅の端末しか使わない。
 出来ることなら、自室に籠りたい。だが、己の行動がうがった見方をされ、他の者に被害が及ぶ事態は避けたい。となれば、出来る限り独りで居たいのだとそれらしい理由をつけ、活動を続けるしかなかった。
 ここには数多の物語がある。自然環境、文化、社会構造、種族。リグティラスと似て非なる世界で紡がれる見知らぬ営みを、無尽蔵に眺めることが出来る。
 危険な場所に赴かずとも手に入り、これらが史実かどうか確認する必要もない。すべての情報がこの場から引き出せるから、纏めるのに迷う必要もない。気に入ったら遡って過去を見ることも、その後を探ることも容易だ。やろうと思えば、世界に干渉することすらできる。
 だが、物語を共有する相手は。
「……あの頃は、楽しかったな……」
 無意識に言葉が零れる。その声は、端末を操作する音にかき消されるほど弱い。それでも己の耳には否応なく響き渡り、余計に虚しさが浮き彫りとなる。
「老人みたいなセリフだな」
「?!」
 前方から力強く放たれた言葉に、オーリネスはびくりとして顔を上げた。
 琥珀色の双眸に、真っすぐ見下ろされている。
 その瞳が湛える光も、針葉樹の如く深い緑色に染められた長い髪も、殆どが白で埋め尽くされた部屋の中で、強靭な輝きを放っていた。
 あまりの眩さに瞳を細める。
「みたい、じゃなくて、老人なんだけどな」
 自然と顔が綻ぶ。彼女は、事態が悪化しても態度を変えなかった。表裏のないその気質が、進み続けることを余儀なくされたオーリネスの、支えの一つとなっている。
「見た目じゃわかんねーっての」
 ハオは鼻で笑い、片腕を上げた。書類と同じ規格の黒いシートが、指先で摘ままれた箇所を起点にくるりと回転し、白衣を着た肩に担がれるように納まる。
 中央にホログラムの輝きはない。これから作業にかかるのだろう。
「相変わらず、閲覧制限かけるような記録ばっかり集めてるの?」
 思わず揶揄が零れる。彼女の制作物が下手に表に出せない代物であるのは、有名な話だった。
「あはっ。室長とおんなじこと言う」
 抜けるような笑いに追随したかったのに、放たれた言葉に硬直する。
 体の奥底にある何かが、捩れる感覚がした。
「…………」
「あー、わり。嫌なこと思い出させちまったか」
 表情に出てしまったらしく、ハオが軽い調子で謝罪する。こういう時、腫れ物に触るような対応をしないところも、彼女に好感を持てる一因だった。
 おかげで、余裕をもって返答できる。
「ううん。いい歳して、大人げない反応しちゃった。ごめんね」 
「読むか? 気晴らしになるぞ」
 ハオが肩から下ろしたシートをずらして見せる。黒一面の中心に、小さくホログラムの輝きがあった。完成品も持っていたらしい。
 気遣いはありがたいが、彼女の選ぶ“物語”は、オーリネスに馴染まない。
「遠慮するよ。ぼく、愛とか家族とか、よく分からないから」
「なんで?! アンタ、もろその世代だろ?」
 素っ頓狂な声に、部屋の空気が震えた。他の者たちが怯えた様子でオーリネスを気にしているのが、雰囲気だけで分かる。
「ハオ。声大きい」
「なにも起こらねーうちからビクついてる方が悪い」
 一歩間違えば命にかかわるかも知れないのに、恐れるどころか周りを巻き込んだことに悪びれもしない。その強さが、眩しかった。
「ぼくはどちらかっていうと、君たちに近い境遇なんだ」
「ポッド生まれなのか?」
「……そういう意味じゃなくて」
 認識のズレに苦笑する。ハオはこの手の情報を山ほど集めているはずだが、世代による感覚の違いが、答えを遠ざけてしまっているのだろう。
 もしかしたら、彼女なりに気を使ったのかもしれないが。
「ぼく、孤児なんだ」
 いつかも紡いだ台詞に、記憶がフラッシュバックする。懐かしい顔ぶれが次々と脳裏を過り、息が詰まった。体の中心を締め上げられるような感覚に、平静を保てなくなる。
「……ごめん。ちょっと、まずい」
 気持ちを静めるようにシャツを掴む。周りの空気が張りつめたものに変わった。
「オーリネス」
「大丈夫。ぼくが勝手にこうなっただけ。そう言うから」
 部屋の出入り口に目を向ける。入室して来たら真っ先に宣言しようと身構えた。
 案の定、扉がスライドする。緊張が最高潮に達し、全員の動きが止まった。
「オーリネス!」
 愛らしい声が部屋に響いた瞬間、溶けるように空気が緩む。
 扉向こうに立っていたのは、身長差の激しい凸凹コンビだった。
「フィオが、後で検診しましょうって」
 白衣をはためかせ、小走りで近づいてきたセラティオンが、柔らかな笑みと共に告げる。勢いにつられ、肩までの白金の髪がさらりと揺れた。平静に話しているように見えるが、青い瞳には相変わらず憂いの光を湛えている。
 告げられた名に周りが反応したが、その緊張も、彼の醸す空気がかき消しているように見えた。皆が作業に戻っていく。横目で様子を窺ったオーリネスは、安堵の息をついた。
 とはいえ、向けられた内容に不満は隠せない。
「この間やったばっかなんだけどな……」
「アレなりに心配なんだろ」
 ゆったり歩いていたにも関わらず、フリントはセラティオンと同着でオーリネスの傍らに辿り着く。身長が高い上に歩幅が大きいのだ。
 鈍色の髪は長く、真っすぐに膝のあたりまで伸びている。全身黒づくめで、瞳もまた黒曜石の如く鋭い。全体的に色素の薄いセラティオンとは、何もかもが対照的だ。
 だが、ぶっきらぼうに放たれた低音は、セラティオンに似た気遣いを湛えている。
「そうかもしれないけど。自分で言えばいいのに」
「これから、処置、なので」
 心配させまいと軽口を叩くと、セラティオンが眉を下げた。伝えられた言葉に、吸った息が止まる。
「……そっか」
 痛みをとどめまいと、ため息とともに吐き出した。
 何度も“今なら”と思ったタイミング。しかし、今のオーリネスではとても太刀打ちできない。その結果が、彼らへの負担だ。申し訳ないと思うと同時に、それならば今しがたの動揺は、向こうに感知されていないだろうと安堵する。
「にしても、伝令にセラを使う率高くない?」
 以前から、通信が使えない時に誰かを寄こすことはあった。それが、いつからかセラティオンばかり使われるようになっている。負担が重なったせいで、潰れて欲しくない。
「大丈夫です。こんなことでお役に立てるなら、いくらでもやりますよ」
 自分だってさんざん辛い目にあったはずなのに。憂いは未だ瞳に留まっているのに。セラティオンの笑みは灯火のごとくオーリネスを照らす。ハオとは別種の強さ。
「むしろ、ただの伝言にフリントまで要らなくね? もしくは逆にお前だけ来れば済むんじゃねぇの?」
 思わず見とれていたオーリネスは、傍らからハオが飛ばした揶揄で我に返った。
「こいつ、あちこちで身長足りねーんだよ」
 フリントとセラティオンは、優に頭二つ分は背丈が違う。扉の開閉はまだしも、専門機器の中にはセラティオンの身長では届かないことがあるのは、オーリネスも知っていた。
「すみません、小さくて……。戻そうかなとも思ったんですけど」
「理由があって、その姿にしてるんでしょ?」
 オーリネスの問いに、セラティオンは頷く。
「ならいいんじゃない? そのままで」
 状況は変わった。だが、過酷であることに変わりはない。せめて、己に制御できるものくらい、己の意のままにしてくれればと願う。
 そんなことを言う資格がないと、分かっていても。
「ぼくも、やればいいんだよね」
 確実に人手が減っている。このままではいずれ、独壇場になる。
 渡されたバトンを、落としてしまったから。
「――……」
 思わず口をついて出そうになった言葉を押しとどめる。
 記憶が逆巻くのに身を任せてしまったら。あの光景を思い出してしまったら。
「余計な荷物背負うな。お前、ここの命綱だろ」
 フリントの声が、意識を“今”へ引き戻す。
 漆黒の瞳は、射るようにオーリネスを見ていた。
「ちゃんと生きろよ、室長代理」
「……分かってる」
 オーリネスはフリントを振り仰ぐと、小さく笑ってみせた。
「フリント! きつい言い方をしないでくださいと何度言ったら、ショック症状でも出たらどうするんですか!」
 やっとの思いで作ったはずの笑みが、自然な苦笑に変わった。
「……お前の方がひでぇこと言ってるだろ」
「セラって、あたしより年上だよな?」
 後輩二人から疑念の声を投げられ、セラティオンは青ざめたかと思うと、明らかに挙動不審となった。
「とっ、歳取ってるからって優秀な訳じゃないんですよ! 悪かったですね!!」
「ふっ……はは」
 苦笑が、心からの笑いに変わる。彼らの噓偽りのない言葉に、対応に、やり取りに。全身を包まれるような安らぎを感じた。
 こんな状況でも、彼らは前へ進もうとしている。
 せめて、出来ることをしなければ。
「またうるさく催促される前に行ってくるよ。……ありがとう」
 オーリネスは三人と別れ、部屋を出た。
 
 準備が出来るまで待たされるのだろうし、どうせどこにいても呼び出される。
 ひとまず自室に戻ろうと、オーリネスは居住区へ歩を向けた。最初はそれなりに人とすれ違っていたのが、自室に近付くにつれ減っていく。着く頃には、いなくなった。
 隣室の前で立ち止まる。視界の端に、扉がある。
「…………」
 逡巡したものの、目を離せずに歩を向ける。扉に触れ、そっと額を寄せた。
 金属の冷たく固い質感が、沈黙を貫く者たちの代弁者となり、オーリネスを糾弾する。それでも、ことあるごとに身を寄せてしまうのを止められない。
 今動揺したら、フィオが飛んでくるだろう。だから、これ以上は進めない。
 それでも、考えずにはいられない。
 もしも。
 もしもあの日、施設を抜け出さなかったら。
 何も知らないまま終わっていれば。
 ここに立つたび、何度も可能性について考えた。だが、どんな道を思い描いたところで現実は変わらない。いくら技術が発達しても、過去を変えることは出来ないのだ。
 だから、オーリネスはこれからも間違い続ける。
「ごめん……」
 許されないと、分かっていても。
「ごめんね……イスタ」
 謝罪の言葉は、届かない。
 
 
終。



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