【短編】好きの同定法
机に並べられた記録チップを見つめる。資源として提出してしまうそれらに、ラベリングすることは出来ない。だが、一通り目を通した今、どれが何の記録を内包しているかは完璧に把握していた。一つ一つ眺め、中身を脳内で再生することは容易い。
ただ、内容を把握したかと問われれば、怪しいことこの上ない。
「うーん……」
温かな食卓を囲う、血の繋がった者たち。
クラスメイトに向け、心揺さぶられた物語について熱弁をふるう学生。
人気の景色よりも互いを見ることの多い男女の観光。
こじんまりとした店の中で酒を酌み交わす会社員たち。
ここにある記録には、何かしらの“好き”が込められている。それは分かる。
「んー……」
唸ることしかできない自分が情けない。そもそも、随所で拒絶反応が起きた。おかげで、内容があまりしみ込んでこない。
「どうしたの? オーリネスちゃん」
端末に頭が突っ込みそうな勢いでうなだれていると、背後からレプリィの声がした。
振り返ると、その向こうにもう一つ影がある。
「なにか悩み事? お姉さんに話してみる?」
「えっ」
ミオニスが声を上げ、直後に口元を抑える。レプリィが振り返るより先に、ものすごい勢いで部屋を出て行った。
「まったくもう。失礼しちゃうわ。ねえ?」
「あはは……」
反応に困ったオーリネスは、愛想笑いを浮かべるしかない。
レプリィは、机に並べられた記録チップに目を留めた。
「オーリネスちゃんでも解析出来ないデータでも見つかった?」
「というか、そもそも分からないから調べてたというか……」
言いながら、端末を操作する。レプリィは「あら、一家団欒」とか「良いわねぇ青春」などと口にしながら、次々に展開される記録に目を通した。
「これがどうかした?」
「やっぱ、レプリィは分かるんだね……」
団欒も、青春も、言葉としては知っている。場面に当てはめることもできるだろう。だが、彼女のように何かしらの感情を絡めて表現することは出来ない。
「……どゆこと?」
「オーリネス」
咎める口調にびくりとする。イスタトゥーミスが半眼で近づいてくるところだった。
「お前は仕事中に何をしている」
「あはは……」
「笑って済ませられると思うな」
「取り込むだけのつもりだったんだよ。それがうっかり一つ開いちゃって、あとは……ね?」
「ね、じゃない! 室長自ら他の者をサボりに導くな!」
「ごめんてば!」
怒号から身を守るように頭を抱える。
「待って待ってイスタちゃん。ここで切られちゃ気になって仕事に集中できないわ」
イスタトゥーミスが、眉を寄せたまま唸る。それでも黙ったのは、作業に影響が出ると言われたからだろう。
「何をそんなに気にしてるの? オーリネスちゃん」
あまり長引かせては機嫌を損ねるだけだと分かっていて、オーリネスも問うことを止められない。こういった話は、きっかけがないと切り出せないからだ。
「レプリィは、誰かを好きになったことある?」
「やだなぁに? カワイイこと訊くのねぇ」
「ふぇ?!」
左手を顎に当てていたレプリィは、オーリネスの問いを聞くなり上体を左右に振り、勢いそのままオーリネスの頭部を抱きしめる。途端、部屋の空気がざわめいた。
普段人に触れられることすら稀なオーリネスは、対応に困ってイスタを探した。しかし腕の隙間から見えた友人も固まっていて、助っ人を望めそうにない。年上で異性であるレプリィを突き飛ばすわけにもいかず、オーリネスの手が宙を掻いた。
「風紀を乱さないで貰えるかね」
不安定にさざめく部屋の空気が、低音に背筋を伸ばした。鋭い一喝にレプリィの拘束が外れる。いつの間にオーリネスたちの周りに出来ていた人だかりを刀の柄で割るように、スオウが姿を現した。
降参とばかりに手を上げたレプリィが、不満げに唇を尖らせる。
「ネタ元にそんなコト言われてもねぇ」
「ネタ元?」
オーリネスの疑問に、今度は口角を上げるレプリィ。深い笑みは、盛り上がった頬肉が目元を細める程だ。
「女の子たちがよくウワサしてるわよ。誰かから告白されたりしてないの? この色男」
レプリィに小突かれ、スオウが眉を寄せた。
先ほどと別種のざわめきが、部屋を揺らす。
「えっ。そう、なの?」
問いを投げやすい相手に、気持ちが跳ねる。
「じゃあスオウって、誰かを好きになったこと、ある?」
思わず、率直に訊ねた。
「……好奇心は猫をも殺すということを、今ここで体現させてやろうかね」
握り込まれた刀が音を鳴らす。低く抑えられた声は珍しく、怒りの色を纏っていた。反射的に体が痙攣する。
「そんなに怒らなくてもいいじゃん!」
相手が武器を持っていることもあり、オーリネスは咄嗟に頭を庇う。
「この間言ったじゃん! ぼくそういうの分からないから知りたいんだよ!」
「そう言って最近やたら質問攻めにしてくるが、三歳児かね君は」
「だっ……だって、ぼく、そんな」
「あまり怒らんでやってくれ」
最初に叱ってきたはずのイスタトゥーミスが、オーリネスを庇うように立つ。
「私に恋愛経験がないばかりに、その手の話は説明してやれんのだ」
「スオウちゃんひどーい。イスタちゃんに悲しい告白させちゃって」
レプリィの声に、どういう訳か部屋の空気が同意の声で満たされる。
「……酷いのはどちらだね」
スオウが、呆れたようにため息をついた。
「生憎、君に提供するような情報はない。好かれるのと好くのは別物なのだよ」
「えぇ~ホントぉ~?」
「し、ご、と、に、も、ど、り、た、ま、え」
追随しようとするレプリィたちに向け、スオウが言い放つ。なおも食い下がろうとするやじ馬たちに向け、刀を鳴らした。白銀に煌めく刃を見て、皆が蜘蛛の子を散らすように去っていく。近づけば斬られるとばかり、オーリネスたちの周りに人のいない空間が生まれた。
残ったのは、いつもの三人。
「全く」
振り返ったスオウは、未だに不機嫌が去らない。
「……ごめん」
「せめて休憩時間にしてくれないかね」
「それは私も同感だが」
謝罪の言葉も、非難の声に吹き飛ばされてしまう。逃げ場を失くしたオーリネスは、力なくうなだれた。
「何故そんな話になったのだね」
言われて、オーリネスは上目遣いにイスタトゥーミスを伺う。
「お前、この後の休憩時間返上だぞ」
「それで、いい」
安堵と怯えをない交ぜにした声で言って、オーリネスは端末を操作した。レプリィに見せたのと同じ記録を、二人に見せる。
「君の質問が当てはまるのは、二つ目と三つ目だけだな」
記録を見ながら唸り声を上げるイスタトゥーミスの傍らで、スオウが答える。
「……そうなの?」
「君の言う『好き』の範囲にもよるが。別に、全ての好意が理解できない訳ではないだろう?」
「うん」
スオウの言いたいことは分かる。オーリネスにとってイスタトゥーミスは大事な友人だし、今となってはスオウも同じだ。二人に覚える気安さが、好きの一種であることは理解できる。
「一つ目のこれは、家族の親密さだ。二つ目が己の好みを他者と分かち合いたい欲求。三つめが恋愛感情で、四つ目は、恋愛話も出ているようだが、大枠は仲が良いか食の好みが一緒か、といったところだろう」
「違うの?」
「これを一緒くたに『人を好きになる』で括るのは大分乱暴だ。先程の君の質問だと、大体の者は三つ目を想定する。そうだろう? イスタトゥーミス」
「……そうだな」
疲弊しきった顔で、イスタトゥーミスが呟いた。
「一つ目と二つ目と四つ目なら、私でも説明してやれた」
「三つ目は、他のものと違うの?」
「違う」
「どんな風に?」
「……僕に聞かれても困る」
「お前は経験ありそうだと思っていたが」
「君も斬られたいかね」
スオウに視線を向けられたイスタトゥーミスが、慌てたように両手を上げる。
「生憎、ステータスシンボルとして見られたことしかないのでね」
固い声音に、イスタトゥーミスがぎくりと身を竦ませた。言われた意味が分からずとも、友人の表情を見れば、それが触れてはならない話題であることは分かる。しかし、己の表情から疑問を隠せていなかったらしく、オーリネスと目の合ったスオウが、表情を消した顔で言った。
「君はイスタトゥーミスを、“将来出世して自分にその価値を分けてくれるかもしれない相手”という目では見ないだろう?」
「それは……お零れってこと?」
「ブランド服に近いな」
冷ややかに返され、オーリネスは慌てて頭を振った。
大切な友人を、己を着飾る道具にするはずがない。
「僕はそう思われていたし、恐らく僕も、似たような感覚で付き合っていた。互いに見ていたのは立場だけ。続くはずがない。だから、僕にその質問は無意味なのだよ」
「……ありがと」
「何故礼を言われるんだね」
「なんだかんだ、色々教えてもらったから」
発せられる声は硬い。それでも、少し前だったら聞けなかったような話をしてもらえた、その事実が嬉しかった。
「答えになっていなくても、かね」
「うん」
「……そうかね」
そう呟いたスオウは、少しだけ表情を緩めた。
「まぁ、こういう場所だからなぁ。自分の研究対象に関する熱を語ってくれる輩なら、大勢いそうだが」
「思い当たる人間がいない訳ではないが」
イスタトゥーミスのぼやきに、スオウがぽつりと零す。
「知っとるんかい!」
イスタトゥーミスが、普段見ないような勢いで突っ込む。
「知っているが推奨しない。あれは悪いタチの男なのでね」
続くスオウの言葉に、引っかかりを感じる。
「……質が悪い、じゃなくて?」
彼が言葉を間違えるとは思えなかったが、あえて訊ねる。
「違うな」
無表情に続けるスオウの隣で、何故かイスタトゥーミスが青褪めた。
「イスタ?」
「あぁ。君は分かるのだな。なら肝に銘じたまえ。オーリネスを守りたいのなら、ミオに恋愛話は振るな」
イスタトゥーミスはものすごい勢いで首肯した後、「ミオ、ニス、が」と呟いた。スオウに睨まれた時よりよほど、表情が強張っている。
「なに?」
「君が恋愛感情について理解出来たら、教えてやろう」
「なら教えてよ!」
「生憎、僕には答えられない」
意地悪く笑う相手に、オーリネスは切り札とばかり言い放つ。
「じゃあ、ミオニスに訊く」
「だめだ駄目だダメだぜっったいに駄目だ!」
先ほどの首肯と同じくらいの勢いで、イスタトゥーミスが叫ぶ。両肩を掴んで揺さぶられ、オーリネスの視界が盛大に揺れた。
「ちょ、イブバ?!」
頭ががくがくと振り回され、言葉もままならない。
「オレが何?」
「何でもない!」
「何の話?」
定まらない景色と続く叫び声の間に、ミオニスの声が聞こえる。いつの間に戻って来たらしい。オーリネスは必死に腕を伸ばし、イスタトゥーミスを抑えた。
ぐらつく視界の中、スオウが隣に立つミオニスから距離を置いたのが見える。
「何だよもー。てかスオウ、何離れてんの」
「いや。とりあえず離れてもらって良いかね」
「お前が離れてるんだっての! 前から思ってたけど、スオウってオレに対してだけ冷たくない?」
「己の言動を振り返ってから物を言いたまえ」
「ホンット、つれないなー、お前」
確かに、誰にでも面倒見の良いスオウにしては、あからさまに対応が違う。オーリネスが首を傾げて見せても、スオウは何も言わなかった。答える気がないらしい。
その隣で、イスタトゥーミスは揺さぶられたオーリネスよりよほど疲れた顔をしていた。
「……スオウさぁ、何か余計なコト喋っただろ」
ミオニスが瞳を細める。一瞬、誰だか疑うほどに冷たい表情になった。だが、オーリネスが見ているのに気付き、表情を戻す。
「さてね」
こちらも冷たく言い放ったスオウに、ミオニスが不満げに鼻を鳴らした。イスタトゥーミスに向け、肩を竦めて見せる。
「大丈夫だって。オレはスオウにしかきょうみ」
カチャリ、と、刀が鳴った。白銀の刃が照明を反射し、強く瞬く。
「って、なんで持ってんだよ?!」
「出番のないうちに手入れをしようと思ったのだがね」
いつの間に抜き出された刃を突き付けられ、ミオニスが大きく下がった。両手を上げているものの、スオウに下がる様子がない。
というか、目が据わっている。
「スオウ……刃傷沙汰は勘弁してよ?」
「さてね」
静かに繰り返された言葉に、どうしてか背筋を冷たいものが伝った。大統領相手にすら抜かなかったのにと思うと、彼の本気度が窺える。
ただ、何に怒っているのかが分からない。
「いやいやいやいや!」
じりじりと間合いを詰めるスオウに、ミオニスが先に折れた。素早く身を翻し、バタバタと部屋を飛び出す。何事かと視線を動かした者たちがスオウの様子に気付き、部屋が一気に騒然となった。怒り冷めやらぬスオウに代わり、オーリネスたちが火消し役に回る。
当分、“好き”の種類は分かりそうにない。
オーリネスは一人、ため息をついた。
終。
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