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【短編】王様のトルソー

 大臣が部屋に戻ると、片隅に立つトルソーの足元に外套が落ちていた。
 脱げてしまったのか。
 大臣は服を拾い上げると軽く振るう。
「どうした?」
 訊ねてみるも反応はない。着せてやるとすると、トルソーは両肩を前後に捻るようにして拒絶の意を示した。
 どうやら、自ら脱いだらしい。
 厚手のものだから、長時間の着用は重かっただろうか。
 いや、今はそれよりも。
「今朝、驚くことがあってな……」
 弾んだ口調の大臣と対照的に、トルソーは身じろぎ一つしない。気付いた大臣は、言葉を止めた。
 昨日も遅くまで付き合ってもらったから、疲れているのかもしれない。
「すまんな。ゆっくり休んでくれ」
 大臣は優しく言って、持っていた服を畳んだ。
 
 店の扉を開くと、仕立て屋がびくりとして振り返る。来店者を確認するなり笑みを浮かべるも、その中には引きつったものが残っていた。
「予め用意しておけば良いものを」
 王も悟ったのか、声音にいら立ちが混じる。
「申し訳ございません」
 委縮する仕立て屋に、大臣もつられてしまう。予定より早く来たのはこちらなのだ。しかし、下手な言葉を紡ぎだせない。
「服は出来ているのだろうな」
「勿論でございます」
 平静を取り戻した仕立て屋が、満面の笑みで手を打ち鳴らす。すると、部屋の奥から一体のトルソーが現れた。
 トルソーは台座をひょこひょこと動かしながら近づいてくると、仕立て屋の傍らでぴたりと止まり、背を伸ばす。
 着ているのは、黒い天鵞絨に金の縫い取りがなされ、各所に宝石が散りばめられた、贅沢な上衣。あまりの完成度に、大臣は思わず息を漏らした。当の王は表情一つ変えず、着ていた服を脱ぎ始める。すかさず、仕立て屋はトルソーから服を外しにかかった。
 王は上衣を脱ぐと、空いたトルソーに無造作に投げつけた。服はトルソーの肩に引っかかり、だらりと垂れる。ぞんざいな扱いを受けても、トルソーは静かに佇んでいた。
 そうしている間に、王は仕立て屋が掲げる新しいものに袖を通す。
 服は、王にぴたりと合っていた。
「お似合いでございます」
「とてもよく似合いでございます。王」
 仕立て屋と大臣が口々に言ったが、王の表情は変わらない。
「行くぞ」
 さっさと退店しようとする背に、仕立て屋がおずおずと呼び掛ける。
「あの、こちらの服は……?」
 差し出されたのは、先ほどまで着ていた服。以前この店で仕立てたものだ。
 深い青色に豪華な装飾がなされた高価なものだが、着ていた回数は数えるほどしかない。
 王はちらりと振り返り、すぐに踵を返した。
「適当に捨て置け」
 吐き捨てるように言って、店を出て行く。大臣は慌てて後を追おうとして、仕立て屋を振り返った。
 仕立て屋は、脱ぎ捨てられた服を捧げ持ったまま、取り残されたように立っている。
「申し訳ない」
 小さく何度も頭を下げると、仕立て屋は大臣に気付き、困ったような笑みを浮かべた。続けて掛ける言葉が見つからないまま、大臣も店を出る。
「お前が頭を下げる必要はない」
 扉を閉めると同時に、王の鋭い言葉が飛んだ。
 どうやら、見られていたらしい。
「申し訳ございません」
 王はしばらく無表情に大臣を見下ろしていたが、やがて踵を返すと馬車に向かう。
 大臣は慌てて後を追った。
 
「数は集まったのか」
 視線は窓の外へ向けたまま、王は言った。車輪の音が煩いというのに、その鋭い声ははっきりと向かいの大臣に突き刺さる。
「いえ……体制が変わって、戸惑う者も多いですから」
 代が変わると早々に、王は今までより広範囲から徴兵を始めた。
 先代が外交で勝ち得てきた恵みを、現王は力で奪い取ろうとしている。当然ながら、急な方針転換に国民がついてこられるはずがなかった。
「お前の“顔”で王の命だと言うだけで良い。お前の取り柄はそれくらいだろう?」
「…………」
 大臣を知る者は多い。しかし、それは先代と共に築き上げたものだ。あの方の真逆へ向かう現王の言葉を大臣が口にしたところで、誰かに響くはずがない。むしろ信頼が突き崩れていくだけだ。
 分かっていても、大臣に逆らう術はない。
 馬車が止まる。腰が浮きかけたところで、王が言った。
「お前はこのまま “視察”に戻れ」
 投げつけられた言葉に、動けなくなる。その間に、王はするりと馬車を降りた。
「こういう日が一番、反逆の芽を見つけやすい」
 心が拒絶の意を叫んでいる。気を抜けば口から飛び出してしまいそうだ。
「……仰せのままに」
 必死に紡いだ言葉が終わらないうちに、馬車の扉が音を立てて閉まった。
 石畳に車輪が乗る音を聞きながら、ぼんやりと外を眺める。
 姿を見れば、自然と話題にも上る。今日はもう来ないだろうと、気持ちも緩む。だからこそ、大臣は行きたくない。
 彼らの不満を、王のために潰すのは間違っている。自分が王のために皆を監視していると思われるのも辛い。
 現状を変える力のない己が、恨めしかった。
 広場に差し掛かると、人々の声が聞こえてきた。
 普段は走行音で殆どかき消されてしまうその音が、妙に強く響いている。
 それも、不穏な色を帯びているように、大臣は感じた。
「止めてくれ」
 御者に声を掛けるため顔を出した瞬間、それが見えた。
 歓声が不協和音を奏で、辺りを満たす。不安定な旋律が、益々彼らの感情を掻き立てているようだった。興奮した者たちがこぶしを突き上げ、中心に向けて振っている。
 異様なまでの熱狂。混ざり合う声が紡ぎ出す言葉の意味を理解した時、大臣は体を強張らせた。
 民が、王への不満を叫んでいる。
 今、最も見たくなかったもの。
 彼らの気持ちは、痛いほど理解できた。しかし、白昼堂々広場の真ん中でこんなことをすれば、大臣が黙ったとしても、遠からず王の耳まで届いてしまう。そうなれば王がどんな手段に出るかなど容易に想像がついた。
 だが、止めたくても動けない。この状況で王室関係者が現れたらどうなるか。答えは分かりきっていた。
 先代ならどうしただろう。力でねじ伏せるやり方を嫌い、最後の最後まで平和的な方法を模索したあの人だったら。
 先代がそういう人だったから、国内では暴力事件はほとんど起こらなかった。
 言葉を尽くせば、分かってくれるかもしれない。しかし、大臣は現王に逆らえない。民の見る目も変わっているだろう。己の言葉が届くことはあるのだろうか。
 躊躇う気持ちが行動を阻害する。じっと外を見つめる大臣の目に、きらりと光るものが映った。
 気付けば、馬車を飛び出していた。
「お前たち、止めないか!」
 無我夢中で人の輪に飛び込む。近くの者たちが大臣に気付いて飛び退く気配があったが、構わずに進む。
 輪の中心へ。
「暴力はいかん!」
 太陽の光に呼応したのは、間違いようもない一振りの刃。誰かが危険にさらされている。
 王の人柄に、民はこうも影響を受けてしまうのか。
 民衆が叫んでいたのは王への不満だ。ならばあそこで暴行を受けているのは、王に賛同している者の可能性が高い。それでも、どんな理由であれ、実力行使はいけない。ここで黙認してしまったら。
 先代に合わせる顔がない。
 無数の手が一か所へ向けられている。その隙間から、叩かれ、切り裂かれ、ぼろぼろになった服が見えた。
「止めるのだ!」
 たどり着いた。
 大臣は被害者を庇うように抱きしめる。
 割り込んだ存在が大臣であることはすぐに知れるだろう。次の標的が自分になるのも時間の問題だ。
 それでも、誰かの命を救えるのなら。
 大臣は腕の力を強めた。
「……うん?」
 違和感に気付いて、体を離す。
 深い青色の上衣はぼろぼろで、力なく体に張り付いている。ほつれた糸と縺れた装飾品。割れたボタン。どれも、見覚えのある意匠だ。
 それを纏うは。
「トルソー……?」
 恐らく、あの仕立て屋のトルソーだった。
 己には何の咎もないというのに、黙って民の怒りを受け止めていたらしい。
「そうか……」
 理不尽な暴力に無抵抗で耐え抜いた姿勢に、懐かしい姿が重なる。
「お前さんは、立派だなぁ」
 畏敬を込めて呟くと、トルソーは小刻みに体を揺すった。
 体についた埃を払い、トルソーを立たせてやる。異様な静けさに気付いて辺りを見回すと、広場から人が消えていた。
 顔を知られたくなかっただろう。
「わたしも、堕ちたものだ」
 大臣は自嘲気味に笑った。
 王からは体のいい保証書のように扱われ、民からは王の犬として見下げられる。それを否定出来ない自分に。
 トルソーが大臣をのぞき込むように体を傾け、肩を前後に揺するような動きを見せた。
 どうやら、否定してくれているらしい。
「ありがとう」
 トルソーは小さく体を揺すり、頷いた。
「お前さん。どうする?」
 仕立て屋に連れていくことも考えたが、何かが違う気がする。間違いなく、トルソーと王の服を提供したのが仕立て屋だからだ。
 トルソーは小さく体を揺すると、大臣に近づいた。
「まぁ、そうなるなぁ」
 苦笑しつつ、大臣はトルソーを馬車に乗せた。
 城に戻るまでに、衣服を取り除いておかなければ。
 
 王に見つからないよう移動するには難儀したが、視察の報告は困らなかった。
 言うことはない。
 いずれ、民の声は王に届くだろう。その時、報告を怠った大臣を、王は切り捨てるだろう。
 それでいい。
 トルソーは土埃であちこち汚れていたものの、切り傷の大半は服の方が引き受けたらしく、大きな損傷もなく済んでいた。
 とはいえ、王の衣装室に置くわけにいかない。倉庫では不憫すぎる。
 結果的に、大臣の部屋に案内することになった。
「先代は平和主義者でな」
 固く絞った布で、体を拭いてやる。
「なのにどういうわけか、今の王は父親に似なくてなぁ。何かを得るのに貪欲で、かといって得たものを大切にせぬ。この間も……そういえば、先ほどは悪かったなぁ」
 ふと思い出し、口にする。
 新しい服を買うなり、王は前の服を無遠慮にトルソーに投げつけた。そのせいで要らぬ暴行を受けることになってしまったのだから、どんなに謝罪を尽くしても足りないくらいだ。
「お前さんの方がよほど先代に似とるよ」
 手入れを続けながら、気付けば大臣は愚痴を零していた。圧政が始まり、互いに本音を語る隙間のなくなった城内で、久方ぶりに話し相手を得た気分だった。
 トルソーは、時折体を揺すりながら、静かに話を聞いていた。
「さて。こんなものかの」
 店で見たままというわけにはいかずとも、小綺麗になったトルソーを見て、大臣は頷く。実用品しかない部屋の中でトルソーは大分浮いたが、仕方ない。
「……そうだ」
 衣装棚の奥から、外套を取り出す。
 年月の染みた深い緑と、落ち着いた金の縁取りが、控えめな風格を漂わせている。今でも、式典の際には使用しているものだ。
「先王から賜ったものでな。意匠は古いがちゃんと手入れはしておる。着てみるか」
 前後に揺れたのを肯定と取り、外套を着せてやると、トルソーは大分部屋に馴染んだ。
「似合っとるよ。いつもこれが見られると思うと、わたしも嬉しくなる。大事な思い出の品でな」
 小さく体を揺らすトルソーに、大臣はまた思い出話を始めるのだった……。
 
 次の日。大臣は着替えもそこそこに、慌てて王の御前へと向かった。
 つい話し込んで、寝過ごしたからである。
「おはようございます。王」
 嫌味の一つで済めば良いと思いながら頭を下げると、意外な言葉が降ってきた。
「朝食は済んだのか」
「……あー、いえ。まだでございますが」
 寝ぐせだろうか。服が乱れているのかもしれない。どちらにせよ、慌てて支度をしてきたのを見抜かれてしまったようだ。
 どうしたものかと思っていると、王が言った。
「そうか。我もまだなのだ」
「さようで? なら、すぐに準備を」
 驚いて顔を上げる。そのまま、表情が固まってしまった。
 王が笑っている。
 見下すでもない、優しく柔らかな笑み。先代を彷彿とさせる顔は、今まで見たことのないものだった。
「お前も来い」
「……は?」
 呆然とする大臣を気にも留めず、王は立ち上がる。
「行くぞ。大臣」
「は、……はいっ、ただいま!」
 大臣は慌てて後を追う。
 思考が追い付かない。夢でも見ているのだろうか。
 これはぜひ、トルソーに話さなければ。
 
 
終。




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