【短編】ジェピア4番地区廃墟にて
踏み込んだ瞬間、床板が悲鳴を上げた。背後に続く者が硬直したのが、気配で分かる。
長期間放置され、破れた窓から砂埃が入り込んだ室内は、経年劣化か家捜しの被害か見分けが付かない荒れようだ。辺りをざっと窺うと、スオウは己の防塵マスクに手を掛けた。跳ね上げるように取り去って、ベルトに留め付ける。
「……なんていうか、普通の建物よね」
隣に進み出たアスカレアが、抑えた声で言う。その間にも、両手は銃の準備に余念がない。
「頭上に気を付けたまえ。倒壊の恐れがある」
「ゾッとしないわね」
「見たところ、木造ですからね」
アスカレアが答えると、後ろから声が戻った。皆、こういった“現場”に慣れている精鋭だ。言葉を発している間にも、随所で金属のこすれる音が続く。
廃墟と化しているという部分を除けば、ごく普通の邸宅だ。板張りの床に小花柄の壁紙。落ち着いた色合いのカーペット、質が良かっただろうレースのカーテンと、重厚な遮光カーテン。調度品はカントリー調で揃えられ、家庭的な印象を受ける。複数ある個室にはきちんとベッドやタンスが置かれ、広間には花が飾られていた形跡が残る。何の情報も持たずに入れば、さぞ幸せな一家が暮らしていたと錯覚するだろう。
人の気配はない。砂粒が壁を叩き、隙間から滑り込む音だけが響く。幸い、壊れた窓から差し込む光だけで、十分に調査が出来そうだった。
「ねぇリーダー。いい加減説明してくれない?」
ダイニングに使われていたと見られる大部屋に踏み込んだ時、アスカレアが口を開いた。ここまで人はおろか獣の気配もなく、会話をする余裕を見て取ったのだろう。
「オーリネスが住んでいた施設だ」
振り返りざま、スオウは答えた。同行する五人の目が、一斉に丸くなる。
「本人に言わずに来たのでね。向こうで話すわけにいかなかった」
オーリネスはスオウがあの“日記”だけで善悪を判断していると思っているが、実行前にできる限りの情報を集めるのが本来のやり方だ。大統領に仕えていた人間は一人残らず調べ上げている。その中で、オーリネスは特異な存在だった。
当人は自覚がないらしいが、“稀代の天才”は様々な学会で有名な存在だった。ただ、彼が発表する論文も、雑誌などのインタビュー記事も、名前しか紹介しない。この時点で、スオウはオーリネスの家庭に相当な問題があるか、孤児であるかの見当は付けていた。
「509の拡張も進んでいる。迂闊に話せば作り手に情報が行くのも時間の問題だ。だが、おかげでオーリネスがあちこち動き回るようになって、僕の不在に気付きにくくなっている。今しかないと思ったのだよ」
「なるほど?」
アスカレアの声音は、説明が不十分であることへの不満を隠そうともしない。
「どうにも引っかかるのでね」
――ぼくのいたとこ酷くてさ。何にも教えてもらえなかった。
「聞く限り、子どもへの対応が杜撰すぎる。違法性を問われたら逃れられまい。まぁ、ここが孤児院なら、の話ではあるのだが」
「どういう事です?」
皆の相づちが食い気味になってきている。黙って付いてきてくれたものの、話を聞きたくて仕方なかったのだろう。
「この場所は、孤児院として登録されていない」
「そっ、それって、何か裏組織的なってことですか?」
「少なくとも、堂々と看板を出せる類いの場所ではないだろうな」
「……本人の許可なく来て良かったの?」
アスカレアがぽつりと呟く。スオウがオーリネス達と親密になっているのを分かっているからこそ訊ねたのだろう。
「オーリネスは、この場所について何も知らない。僕が行くと言えば、間違いなく付いてきただろう。だが、自身のルーツとはいえ、知りたくもない真実を見る必要もあるまい?」
「要するに、ショック受ける情報がないか確かめに来たのね? リーダーってば、相変わらずお人好しなんだから」
「呆れたのなら先に帰ってくれて構わないが」
「行くわよ。何年の付き合いだと思ってんの」
アスカレアの言葉に、他の者たちが頷く。スオウは小さく笑うと、踵を返した。
――あれは、本当に何も知らなくて。
イスタトゥーミスの言葉を思い出す。互いの素性が知れた今ならと、二人きりの時に零したのだった。
自身の名前は分かる。だが、他の名詞を知らない。それ故、指示詞で物の名称を知ろうとする。その様子があまりにも必死で、幼心に相当な環境で生きてきたのだろうと想像したと言っていた。
彼の言葉の意味が、今なら分かる。
この施設には、本棚の類いが一つもない。
端末の類いが存在したとも思えない。なにせ、テレビがあった形跡すら見当たらないのだ。冷蔵庫など最低限の家電があっただろう空白は読み取れたが、どうにもこの家だけ存在する時代を間違えている風に感じる。
間違えているなら、本棚くらいあっても良いはずだ。それが、本はおろか、紙の一枚も見つからない。
何も知らない。何も与えられない。
部屋数を見る限り、ここにはオーリネス以外にも子どもが預けられていたはずだ。彼らも同じように育てられていたとしたら。
「…………」
思わず表情が歪む。どんなに思考を巡らせても、最悪の状況しか浮かばない。
「リーダー!」
声にぴくりと反応する。別室を調べていたメンバーが、堰を切ったように駆け込んできた。
「扉が」
その言葉だけで、弾かれたように相手の導きに従う。
件の場所は、階段下の物置に存在した。カモフラージュのため載せられていた床板が脇に除けられ、無機質な金属が剥き出しになっている。
狭い部屋に全員は入れず、スオウが扉の前に膝を折った。
「ただ、電子ロックが」
「……電気が生きているのだな」
皆まで聞かずに発した言葉に、沈黙が降りる。
この地区は、とうの昔に電気が止まっているのだ。
「リーダー」
何も言う前から、メンバーの一人が端末を持って現れる。スオウは黙ったまま受け取った。その間に他のメンバーが扉を探ってパネルを見つけ出し、コードを繋いでいく。端子を受け取ったスオウは、端末に繋ぐと同時に、床に置いた。
手の空いた者たちが、改めて武器を構え始める。その中で、スオウはパネルを操作し、システムに侵入を試みた。
「…………」
両手が滑らかにパネルを叩く。複雑怪奇な暗号に眉が寄った。恐らく施設関係者しか入らないだろう場所に、随分と厳重な鍵だ。司法の介入を恐れたのか、それとも。
壊した方が早いな。
思考は即物的な結果を求め、しかし手元は仕事を続ける。下手に破壊して仲間に被害が出るのは避けたい。
元々は。
考えている間に、ロックが外れた。金属扉が跳ね上がるように開く。闇から覗く石段を見つめながら、スオウは口を開いた。
「誰か、扉が勝手に閉まらないよう、見張って貰えるかね」
「了解」
「というか、全員ここに残ってくれるかね」
彼らとは長い付き合いだ。いつでも指示を出せば、間髪入れずに返事が戻る。
だというのに、この時ばかりは全員が口をつぐんだ。スオウが顔を向けると、驚き顔の者と不満顔の者。見事に二手に分かれている。
「元々、僕の我儘なのでね。命の危険に付き合わせるつもりはないのだよ」
地上調査と資源回収の名目で出てきたからこそ人数を集めただけで、偽装工作の必要がなければ一人で動いていただろう。
「……あんた、たまにあたし達のことバカにするわよね」
明らかに不満顔のアスカレアが、苛立ちを隠しもせずに言い放つ。スオウは呆れ顔で応戦した。
「何故そうなるんだね」
「あんたが直々に招集かけた時点でこういう事になるかもって、あたしたちは分かってんの。余計な心配してないでちゃんと使いなさいよ」
アスカレアの言葉に、他の者たちが追随するように頷く。
「ここに二人、残りは下。異論は聞かない」
放たれた宣言に、今度は間髪入れず皆が了承の頷きを交わす。
「……好きにしたまえ」
それしか言えない自分が情けないと同時に、どこか誇らしくもあった。
息を潜め、気配を消す。
一段ごとに、人工的な空気が頬を撫でる。木材で彩られた温かな空間は背後へと遠ざかり、金属質の壁が取って代わる。階段が終わりに近付くほど、辺りは明るくなる。青みを帯びた白い輝きと、機械の駆動音。
金属が擦れ、機械に浄化され、それでも場の異様さを吸い込んだ臭い。
無意識に刀の鞘を握り込んだ。
階段を抜ける。空間が広がる。
「…………」
想定内の光景に、眉が寄った。
部屋の中央付近に、腰高で、一般的な食卓より大きな白い円柱が鎮座する。その上に径を縮めた円柱が乗り、天井へ向けてガラス柱が伸びる。ガラスの中は薄青く色づいた水で満たされ、円柱から吹き出された泡が絶えず上っては消えていく。太い円柱からは白いカバーを付けられた配線が床を這うように放射状に伸び、それぞれが四角い箱に繋がる。
壁際に端末類が並び、モニターが常に緑色に輝く記号の羅列を刻む。だがそれを確認する人の気配はない。機械の駆動音だけが、空気を震わせている。
用途は知れない。それでも、碌でもないことに使われていたのだろうとアタリが付く。
そうでなければ、家の構造と子ども達の扱いへの説明が付かない。
言葉もなく散開する。全身に緊張を張り巡らせ、空間の意味を探ろうと目をこらす。その中で、スオウはゆっくりと中央の設備に近付いた。
真っ白な筐体は、控えめな駆動音を響かせる。作りの精巧さと正確さを思わせた。
それに、よく手入れされている。真っ白だというのに、埃の一つ、
「……!」
反射的に顔を上げる。中央の機材に視界を遮られた先に、隣室へ続く垂れ壁があった。そこに立つ異形に息が止まる。
真っ白な顔はつるりとしている。同じ材質の胸板、腕、手、足。それらを繋ぐ、黒くしなやかなパーツ。
それが何であるか認識するより前に、右手が動く。ほぼ時を同じくして、それの胸元が二つに割れ、中から無骨な銃口が顔を出す。指で輪を作ったように巨大な暗がりが、メンバーの一人を狙う。
スオウの動きに気づき、全員が一斉にそれを認識する。彼らが武器を構えた瞬間、スオウが発砲した。のっぺらぼうの顔面中心に黒い穴が出現し、着弾の勢いに体が傾く。同時に胸の合間から吹き出された弾丸が、垂れ壁の上部を打ち砕いた。
あちこちから銃声が響くたび、それの体があちこちに跳ね回る。まるで踊り狂うように四肢をバタつかせた後、重苦しい金属音と共に後ろへ倒れた。
舞い上がった緊張がゆっくりと地面に降り注いでやっと、全員が武器を下ろす。
「……なに?」
さすがのアスカレアも声が震えている。スオウは銃をしまうと、倒れたそれの元に歩み寄った。垂れ壁の向こうが無人であることを確認し、膝を折る。
「アンドロイドの類いのようだな」
「こんな、こんなものが」
彼らの動揺は理解できる。技術開発に熱心でいられた時代でも、ここまでの技術は確立されていなかった。
「掃除も、防御行動も、恐らく管理の類いも、これが行っていたのだろう」
人の形はしていたが、硬質の顔面には目も鼻も口も付いていない。恐らく、誰かと対面する予定がなかったのだろう。
「リーダー」
「今更足掻いたところでどうにもならない。当初の目的を果たさせて貰おうかね」
普段通りの声音で言って、近場の端末に手を伸ばす。スオウの言葉を受け、皆が資源回収の行動へシフトした。
システム内にプロテクトの類いはなく、あっさりとデータフォルダを開示する。背後で、仲間達が筐体の解体方法を模索する音が聞こえた。ファイルの一つを開き、内容がモニタいっぱいに表示されると同時に、作業音は床に近付く。
あの小さな箱。
「……っ、待て!」
突然の制止に、全員が硬直した。メンバーの一人が、中央から放射状に散らばる箱の一つを手に取っている。
「開けていないな?」
「ど、毒でも入ってます?」
相手は静かに箱を戻しつつ、不安な瞳をスオウへ向ける。スオウはゆるゆると首を振り、言葉に惑う。躊躇いが、表情を歪ませた。
「はっきり言って」
アスカレアの苛立った声に、尚も逡巡する。
「恐らく、誰かしらが吐く」
「あんた、ホントあたし達のこと」
「君たちが血に慣れていることくらい知っている。だが、生きたまま仕舞われた脳を前にして、冷静でいられるかね」
箱を持っていたメンバーが飛び退いた。他の者たちもぎょっとして足下の箱を見つめる。
何かしらの実験施設である可能性を考えていた。その中でも最悪だ。
ここにオーリネスが住んでいたとは。
「どう、するの」
「……先程も言ったが、今更どうにもならない。管理していたアンドロイドも停止している。恐らく、長くは保たないだろう。ならば」
ゆっくりと刀を引き抜く。全員が息を呑んだ。
「“彼ら”には見えないだろうが。いや、見えているのなら好きに恨めば良い」
「いいの? だってあんた」
「レジスタンスとして動くと決めた日から、信条に背く事は覚悟していたのだよ。それに、言ったはずだ」
アスカレアの言葉を遮り、白銀の刃を獲物に向ける。
「元々、僕の我儘なのだよ」
そう言って、近場の箱から伸びる配線を、躊躇わず切り裂いた。
背後でエラー音が響く。それでも止まらず、全ての箱を命綱から切り離す。ぐるりと一周して全てが終わると、音も止んだ。
刀を振ると、張り付いていた配線とカバーの一部が、はらりと落ちた。
「一度全員退出したまえ。処理が済んだら呼ぶ」
「リー」
「皆まで言わせるな。一番耐性があるのは僕だ」
強く断言すると、二人が弾かれたように部屋を出た。これ以上の議論は無駄だと悟ったのだろう。
それでも尚一人、退出を躊躇う者がいる。
「アスカレア。皆に共有してくれるかね」
気遣っているのは知っている。
だからこそ、残って欲しくない。
「“ここには、何もなかった”」
「……了解」
小さく呟いて踵を返したアスカレアを見送ると、スオウは箱に向き直った。
終。
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