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【短編】ノルディンの魔術師

 柔らかな光を取り込む窓の向こうで、生い茂る草木が伸びをするように身を揺らす。よく手入れされた、しかし部外者が見ればただの草原に見えるだろう庭に、赤帽子を被った男が姿を現した。
 男は丈の高い草の合間になんとか足の踏み場を見いだしながら、一歩ずつ慎重にポストへ向かう。その間も頭はせわしなく辺りを窺い、持っていた封筒を押し込んだかと思うと、踵を返して全速力で駆け戻っていった。
「……全く。あの配達員は何時になったら、ポストは人の手を食わんと学ぶのだろうな」
 室内から一部始終を見守っていたヴィルディナスは、半眼のまま息を零す。持っていたカゴををテーブルに載せ、木製の扉を押し開けて外に出た。朝の光に清められた空気が、柔らかく流れて鼻腔をくすぐる。甘く、透き通った草の香りは、今日も森が平和であることを告げていた。
 慣れた足取りで庭を横切り、ポストを開く。金属の蓋が、僅かにきしんだ音を立てた。
 中には、紫の封蝋が押された真っ白な封筒。
「エレノアか。よくもまあ飽きもせず」
「ピギィ」
 誰に言うでもなく呟いた言葉に、鳥に似た鳴き声が応じる。と同時に、ヴィルディナスの首筋にぞわりと粟肌が立った。
「ひ?!」
 咄嗟に振り返る。首元で括った長髪が、曲線を描いて振り抜かれた。
「ピィ! ピィ!」
 鳴き声に踊らされるように、その場でぐるぐると回転する。鮮やかな緑の風景に、紫がかった黒色が滅茶苦茶な線を描く。
 激しく動いているというのに、ぞわりとした感覚が止む様子はない。
「びっ、ビーノ! そなたも何時になれば我輩が遊具ではないと学ぶのだ!」
 両手で己の身体をまさぐる。相手も心得ているようで、小さな刺激が素早くあちこちへ逃げ回った。ようやく人差し指がざらりとした表皮を見つけた頃には唐突に気配が消えて、思わず硬直する。
 直後。ヴィルディナスは、頭部に小さな手足が着地した感覚をくっきりと捉えた。
「ピッ!」
 抜けるような鳴き声は、どこか誇らしげですらある。
「……ビーノ……」
 声が戦慄き、右手が頭部に伸びる。掴むより前に、手の甲に小さな衝撃が載った。払ってしまいたい衝動を抑え、眼前へと連れてくる。
「ピ」
 白い体に暁の橙と宵闇の薄紫を纏う森の精霊は、つぶらな瞳をヴィルディナスに向けた。
「そなた、あまり悪ふざけが過ぎると黒焼きにするぞ」
「ビィ」
「それはイモリだと? あぁ、そなたがトカゲを模していることくらい承知している。我輩が言いたいのは、見た目が愛らしければ悪行が許される訳ではないということだ」
 精霊は、パクンと口を閉じると、ヴィルディナスの腕を伝って胸元まで移動した。素早い身のこなしは、追いかけた左手が、全て己を叩くほどだ。幸い、魔力を込めて仕立てられた黒いローブが、衝撃の殆どを吸い上げてくれた。
「ビィ、ビッ!」
 不満げな声を上げ、ビーノはヴィルディナスの胸元に掛かる逆涙型の石を、小さな手で叩く。深い青紫を湛えたそれは、くすんだ金色の台座の中で静かに輝いていた。
「う。まぁ “夜の雫”を見つけたのは、そなたのおかげであるが……。いや、一体何百年前の功績を持ち出すのだ。しかも何度目であるか」
「ピィッ!」
「確かに、例え我輩が決めようとも、土地に拒絶されればそれまでだ。森の住人であるそなたの功績は大きいのだろうよ。しかしだな」
 滔々と続けるヴィルディナスの言葉を、咳払いが止める。見ると、男が数人、門の前に立っていた。殆ど関わりを持たないヴィルディナスでも、彼らが森の隣にある村の住人でないことは分かる。
「失礼。我々は、この家に住む老人に用があって来たのですが」
「それは、我輩のことだな」
「へ? ……これまた随分、お若く見えますねぇ」
 相手が面食らったように目を丸くする。慣れた反応に、応じる気にもならない。
「何用か?」
「このたび、我が社はノルディンの森の開発に乗り出すことになりまして」
 切り出すや否や、一人が薄く四角い光の板を取り出し、写真や図面らしきものを映し出す。もう一人はつらつらと言葉を並べ立てていく。彼らの扱う言語や道具は、ヴィルディナスからしてみれば未知のものだ。
 分かったのは“立ち退き”を要求されているらしいことだけ。
「我輩はこの土地を離れる訳にいかぬ」
 相手の主張が終了したところで、静かに言葉を返す。終始したり顔で笑う相手を、どうにも好きになれそうになかった。
「この森はあなたの土地ではありませんね?」
「……それは」
「調べはついているのですよ」
 今の世は、どこもかしこも誰かしらの所有物だ。彼らからすれば、ヴィルディナスは契約を無視して居座る不届き者に過ぎない。
 例え、その契約が交わされる前からこの場所に暮らしていたとしても。
「ビィ!」
「ビーノ、止せ」
 抗議の声を上げる精霊の頭を、人差し指で撫でてやる。
「ピギィ」
「確かに、我輩はここの魔術師だ。場所と住人を守る義務を負う。だがな」
「ピギィ、ピギー!」
「言いたいことは分かるが、今の者たちは、もののやり取りを“目に見えない貨幣”でするだろう? 我輩には、その交渉材料がないのだ」
「ピー……」
 ビーノの勢いが衰えていく。労るように、その背を撫でてやった。
「分かっておる。この森は防衛の要所だ。土地を抉られては結界が崩れる」
 男たちが見せてきた“構想”によれば、木々は殆ど切り倒され、いくつもの光り輝く鉄の箱が並び立つ予定らしい。娯楽施設だと言っていたが、あれだけ作り替えられては、魔力の流れは大きく変わってしまうだろう。今まで通り結界を施したところで、どれだけの効果を上げられるかは分からない。
 それ以前に、工事で壊された結界の隙間から魔の者が入り込み、騒ぎになるだろう事態をどう防いだものか。
「ビイ」
「……うん?」
 ビーノに促され、視線を動かす。男たちが顔を寄せ合い、何やら話し合っていた。
「あの老人もどき、結構危ない人じゃないです?」
 合間にはっきりとそう聞こえて、思わず半眼になる。精霊の言葉を解せない彼らには、そう見えても仕方ないのだが。
「ビ」
「……何? 土地を荒らすような輩を守る必要があるのか、だと?」
 これでもかと言わんばかりの不満に、ヴィルディナスは苦笑を浮かべる。精霊は、ヴィルディナスの考えることなどお見通しらしい。
「何があろうが我輩はここの魔術師だ。守る相手に優劣など付けぬ」
 紡ぐ言葉が本心であっても、奥底に燻る不安は拭えない。思わず、胸元の石に触れた。
 “夜の雫”。この地にて育まれた魔力の結晶にして、ヴィルディナスが土地の守護者である証。
 魔術師は己が決めた場所と住人を守るのが役目だ。誰に言われずとも遂行すると誓ったその想いは、千年前から変わらない。
 だが、魔術師に出来るのは、この世界に入り込んでくる魔の者を退けることくらいだ。それが遠く絵空事の存在とされてしまった今では、己の存在自体、おとぎ話のようなもの。古きより秘密裏に封じてきた存在が表に出たとして、きっと彼らは磨かれた技術で乗り越えていくのだろう。
 人は自然よりも技術を、維持よりも進歩を選ぶことで、繁栄してきたのだから。
「……潮時、か」
 各地で仲間が零してきた言葉を己が紡ぐ日が来たと思うと、仕方ないとはいえやるせない思いがする。
 ともあれこの場をどう切り抜けようか思考を巡らせた矢先、鮮烈な気配が空気を滑った。
「ピ!」
「……これは」
 上空から滑らかな弧を描いてやってきたそれは、ヴィルディナスの背後、我が家の前で凝縮された空気と光を散らす。
 ぶわりと解き放たれた風圧に、ローブがたなびく。突然の出来事に、男たちが戸惑いの声を上げた。ヴィルディナスは彼らに似た感情で、目を見開く。
 豊かな黒髪が大きく波打つ。腰に両手を当てて仁王立ちする姿は、上品なドレスを纏っていても『勇ましい』という表現の方がよく似合った。強い輝きを放つ新緑の瞳が、彼女の気の強さを殊更証明している。
 その後ろで、お仕着せを纏う執事然とした男が静かに佇む。きちんと合わせられたシャツの襟元に、楕円に仕立てられた赤い石が静かに輝いていた。
「……エレノア?」
「お、お前っ! 王女になんて無礼な口を」
 呆然と名を呼ぶなり、背後から猛然と肩を揺さぶられる。突然のことに、無防備だったヴィルディナスの視界が盛大に揺れた。
「無礼なのは貴様だ! 気安くヴィルディに触れるでない!」
「ひぃえぇぁい!」
 放たれた一括に、突き飛ばされるような衝撃。叫びたいのか了解の返事をしたいのか分からない男の叫び声。怒濤の流れに追いつけないながらも、ふらつき宙を惑う足を大地に戻し、ヴィルディナスは何とか体勢を立て直した。
「ピィ?」
「う、うむ……大丈夫だ、恐らく」
 手元から、精霊の気遣わしげな声が聞こえる。回る視界を止めるように頭に触れ、ヴィルディナスは唸るように答えた。
「誰の許可を得てここに来た?」
 エレノアの声は益々強さを帯び、男たちを糾弾する。本来先に用件を述べる役割を持つはずの執事――ラセットは、僅かに頭を垂れ、滑らかな大地の色を写す前髪を宙に揺らしていた。閉じられたままの瞼は、やり取りに介入する気がないことを窺わせる。
「お、お言葉ですが姫様。この広大な土地を遊ばせるのは勿体なく存じます。そちらのじしょう……いや管理人さんも、いいご年齢のようですし」
 男の言葉に、エレノアの眉がつり上がる。美しく整えられているが故に、角度が付くとより威圧感が増した。
「ラセット」
 鋭く放たれた言葉に、ラセットがゆっくり瞼を開くと同時に、頭を上げる。懐から巻物を取り出すと、男たちへ向けた。見た目こそ古風だが、性能は男たちが持っていた光の板と同じものらしい。輝く盤面を凝視していた男たちが、戸惑いの表情を浮かべる。
「国の直轄? 森をそのまま残す? いや、お気持ちは分かりますが」
「ラセット。飛ばせ!」
「御意」
 巻物を戻したラセットの左手が首元の赤い石に触れ、唇が僅かに震える。揃えた指先に赤い光が集まると、勢いよく右腕を振り上げた。
「ぎぇ」
 蛙が潰れたような音を残し、男の一人が垂直に飛び上がる。突然の出来事に、残された者は唖然として空を見上げた。思わずその中の一人になってしまったヴィルディナスは、我に返ると慌ててラセットを振り返る。
「何をしている?!」
「エレノア様が命じるままに」
「そういう意味ではない! 落ちたら死ぬのだぞ! 早う」
「私は『飛ばせ』としか命じられていない」
 淡々と応じるラセットに、落下を緩める術を唱える素振りはない。
「~~っ! ビーノ、頼む!」
「ピィ!」
 精霊はヴィルディナスが空中へ放ると、身体をしなやかに伸ばし、巨大化する。走り寄ったヴィルディナスが首筋に手を掛けると同時に、弾丸の如く飛び立った。
 鳥たちが悠然と舞い踊る高さまで容赦なく投げられた男の身体は、ようやく重力を思い出した所だった。一瞬その場で止まるような素振りを見せた後、落下を始める。そこに上昇するヴィルディナスが追いつき、男の襟首を空いた手で掴んだ。
「ビギ」
 大人二人分の重さに、ビーノが苦しげな声を上げる。ヴィルディナスは咄嗟にビーノから手を離し、そのまま“夜の雫”に触れた。呪文を唱え、術を男に注ぎ込む。青紫の輝きが身体を包むと、男の身体が浮き上がった。高低差に男を掴んでいられなくなり、ヴィルディナスは手を離す。二人の距離が勢いよく開く。
 それでようやく、ヴィルディナスは自分が落下していることに気付いた。
「あ」
「ピィ!」
 風の如く降下してきたビーノが、ヴィルディナスの身体に巻き付くように飛ぶ。精霊の背中に転がされたヴィルディナスの視線が地面を向いた。地上に残った者の姿を確認するより前に、襟首が束ねた髪ごと掴まれる。
 否。この感触は、間違いなく咥えられている。
「びっ」
「ング」
 苦情を叫ぶより前に、ヴィルディナスの両足が大地を踏みしめる。首の後ろが引っ張られる感覚が消え、頭の上に小さな衝撃が載った。
 思わず首筋に触れる。襟首も髪も、精霊の唾液でじっとりと濡れていた。
「ビーノ! もっとこう、やりようがあるだろうに」
「ビ」
「いや、助けて貰ったのには礼を言うがな。何も」
 苦情を続けようとしたヴィルディナスの視線の先に、青紫の光を纏った男がゆっくりと降り立った。男は着地の体勢のまま硬直しており、どうやら青ざめている。
「あぁ。そなた、大丈夫か?」
「……!」
 労ったつもりだが、男はあからさまに身体を痙攣させた。その存在すら知らない者が魔術に触れれば、仕方ないことだろう。ヴィルディナスが続けるより先に、凄まじい勢いで踵を返す。置き去りにされた仲間たちが、慌てて後を追った。
 その様子は、今朝方訪れた配達員を彷彿とさせる。
「……我輩は人を喰わないんだがなぁ」
「ヴィルディ! 何故奴らをさっさと追い返さなかった!」
 エレノアが、上品さからほど遠い歩幅で迫る。王女とは言え、魔術師からしてみれば年端のない相手だ。親しいことも手伝って、呆れの感情を隠す気にもならない。
「そんなことを言われてもな。この森は我輩の所有物ではないが故」
 眼前に回り込んできたエレノアの眉が、僅かに痙攣する。
「……貴様、さては手紙を読んでいないな?」
「え?」
「人が! 貴様の! 規格に! 合わせて! 手紙を! 送ったのに!」
 一声ごとに人差し指を突きつけられ、ヴィルディナスは為す術なく後退する。
「あー……先程届いたあれか」
 視線が泳いだヴィルディナスに、案の定エレノアが怒号を上げた。
「さっき、だと? 配達員は何をしている!」
「そう怒るな。あの村の殆どは我輩を恐れているでな。届けてくれるだけマシと思っている」
「貴様が日頃から村と交流を持っていれば回避できた問題だな」
 ヴィルディナスの背が家の扉にぶつかってようやく、エレノアが歩を止めた。その向こうで、ラセットがポストから手紙を取り出している。
「最近、幾つかの企業がこの森を開発しようと動いているのに気付いてな。先手を打って購入しておいた。その請求書だ」
 戻ってきたラセットに手紙を差し出されたことに気を取られたヴィルディナスは、一歩遅れてエレノアを見返した。
「無茶を言うでない! 我輩が貨幣の類いを持っていないのは知っているだろう!」
「誰が金を払えと言った?」
 エレノアの瞳が細められる。企みを湛えた輝きは、王族が浮かべてはいけないものだとヴィルディナスは思う。
「役割を果たせ、ヴィルディ」
 それでも、命じられた言葉に安堵する。
「……言われずとも」
 謝意を抱こうと、魔術師としての矜持が挑戦的な言葉を選ぶ。反抗的な態度だというのに、エレノアが口角を上げた。
「よし。ならばさっさと食事を用意しろ」
「は?」
「こっちは貴様のために今朝まで働き詰めだったのだぞ」
「ピィ!」
「……ビーノ殿も、先程の対価を寄越せと言っているが」
「言われんでも分かるわ! 全く。好き勝手要求しおって」
 ラセットからひったくるように手紙を奪い、踵を返して扉を開ける。
 苛立ちの言葉をまき散らしながらも、魔術師の口元は微笑んでいた。
 
 
終。



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