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【短編連作】観測者の箱庭01

 研ぎ澄まされた空気を放つ白の金属扉が、僅かな駆動音と共に横滑りする。
 現れたのは、頭髪も衣服も真っ白な男。
 彼は汗で顔に張り付く髪を跳ねのけながら部屋に踏み込み、空間に向けて呼びかけた。
「ただいまぁーっつーい! 509~お水貰ってもいいー?」
『その前に、あなたの所持している大量の金属反応について説明を願います。オーリネス』
「え?!」
 天井から降り注ぐ想定外の詰問に、白い男――オーリネスは硬直する。表出した動揺が、肩までの真っすぐなアシンメトリーヘアを揺らした。
「あぁ。正常に機能しているようだな」
 部屋の奥、自身の端末に向かっていた男が振り返る。オーリネスと同じ白衣を纏うが、髪はオーリネスと対照的で、うねりのある漆黒。彼は席を立つと、いたずらが成功した子供のような笑みを浮かべ、歩を進めた。
「ちょ、スオウ! どういうこと?」
「調査に出るたび、不審な行動を取る人間がいたものでね」
「……!」
 吸った息がそのまま止まる。反論の言葉は、見つからなかった。
 一日も早い安定稼働が望まれる地下コロニーに、職種や身分は関係ない。オーリネスたち科学者チームも、地上で資源回収を行う任を担っていた。
『風向、砂嵐の規模、地上の浸食状況。あなた方科学者チームが向かうからこそ得られるデータがあるのは確かです。しかしオーリネス。あなたは地上に向かうたび、他のメンバーとは違う動きをしている。反乱分子であると疑われても、仕方ありませんよ?』
 機械音の混ざる声の主は、柱のごとく部屋を貫く重厚な円柱――コロニーの命綱となるメインコンピュータに納められたAIのものだ。
 相手がまだ限られた区画しか“見られない”のを逆手に、オーリネスは抵抗の言葉を紡ぐ。
「そりゃ、ぼくは曲がりなりにも室長だし。報告だのなんだので、みんなとは違う動きをすることくらいあるよ」
『では何故、これまでわたしにスキャン機能を付けなかったのでしょうか?』
「……それは、いくら効率と安定を重視するからって、人としての尊厳とか権利とかをやすやすと侵害しちゃいけないと思ったからで」
 言い訳の防壁にひび割れが生じ、オーリネスは段々と勢いを失っていく。
「横流しされた資源が原因で、尊厳やら権利が奪われる可能性もあるのだが?」
 すかさず差し挟まれた“口撃”に抗う術なく、オーリネスは口を閉ざした。
 資源には、コロニー構築の建材、衣食住の支えになるようなものの他に、惑星脱出のための宇宙船部品となりうる金属素材や、火器、銃器などもある。
 日々の重労働と先の見えない不安を抱えた者たちが、手にした物資を元に反乱を起こさないとも限らない。平和と規律のため、いずれはコロニー管理を一任する予定のこのAIに、それなりの機能を付けなければならないことは、オーリネスとて分かっていた。
 ……分かってはいたのだが。
「君がいつまで経っても計画に組み入れないのでね。勝手に作らせてもらった」
「そりゃ、どうも」
 人類存続を賭けた一大プロジェクト。そのために集められた科学者たちは皆、一流という言葉すら超越した才能の持ち主たち。
 彼らと、彼らが己の全てを捧げ構築しているAI――ver.5.09の前で秘め事を貫くのは、いくらオーリネスでも不可能というものであった。
 スオウが、作業机の空いた場所を指で叩く。
「さ、出したまえ」
「…………」
 今、部屋には二人と一基しかいない。それでも、オーリネスはポケットに入れた手を出すのを躊躇った。
 スオウはまだしも、これを知ったAIの反応が怖い。
「そんなに追放されたいかね?」
「それは、困る」
 抵抗を試みる前に退路を塞がれ、諦めたオーリネスは隠し持っていた物を机に零した。
 大量の記録メディアチップが、紛れ込んだ砂粒と一緒に小山を作る。
「よくもまぁ、これだけの量をちょろまかしたな」
 驚くような、呆れたようなスオウの言葉。
『よりによって貴重な資源ばかり……』
 AIが合成音声を震わせる。感情表現のプログラムはまだ自然な領域に達しておらず、その声音は寒さに震えていると言った方が似ていた。
『あなたは、己の役割を知りながら、それに必要なパーツを私欲で』
「あのね509。この中に」
『わたしに腕があったなら、迷わず叩きのめしているところです』
 過熱していくAIの言葉にオーリネスが辟易する中、スオウが笑いを含んだ声音を挟んだ。
「509、君もなかなかのユーモアを扱えるようになったではないか」
『わたしが冗談など』
「まさか本気ではないだろう。優秀な君が、僕らの教えた禁則事項を破るはずがない」
 部屋の中を、鋭利な刃物が撫でるような一瞬。
『……当然です。コロニーの管理AIたるもの、皆の気持ちをほぐすのも大事な役割ですから』
 天井から降り注ぐ声は、正しい震えを帯びて流れた。
「さて。言い訳を聞こうか?」
 何事もなかったかのように、スオウがオーリネスを見やる。今や場の主導権は、完全に彼が握っていた。
「……データを抽出したら、チップの方は提出する予定だったんだ。というか、今までもそうしてきた。ぼくが欲しいのは中身だからね」
「個人記録の覗き見かね」
 趣味が悪い、と言いたげなスオウに、オーリネスは負けじと言い返す。
「だってこのままじゃ、ぼくらが今まで築いてきたもの全部、捨てることになるじゃん。そりゃ、主要な記録とかは持ち込まれてるけど、個人の記録とか紡がれた物語とかは地上に置きっぱなわけで」
 計画を立てる時間も、この先の展望を決める暇もなく始まったプロジェクト。そこに、人類の軌跡を保存する術を考える余裕はなかった。
 今を生き延び、現状を切り抜け、安住の地を目指す。存続を求めるのなら、それらは優先すべきものだ。しかし、仮に全ての試練をくぐり抜けたとして、その先にあるのは。
「歴史を、文化を、思い出を。何一つ振り返れないなんて、寂しいじゃないか」
 このプロジェクトが成功すれば、故郷には二度と戻れない。自分たちのルーツは、遠く記憶の彼方に掠れてしまう。
「今だって、どんどん砂の下に埋もれていってるんだ」
 誰もに余裕がない時代。ましてプロジェクトの中枢を担う自分が、感傷に流され余計な仕事に手を出すなど、許されるはずがない。
「だから」
 知られるわけにはいかなかった。と、オーリネスは消え入る声で呟いた。
 うなだれる彼をじっと見つめ、スオウはおもむろに口を開く。
「その心は?」
「……娯楽がないとか死んじゃうじゃん」
 全て見抜かれていることを悟り、オーリネスはため息と共に言葉を吐き出した。
「市民の多くは、娯楽どころか自由もないまま労働に従事しているのだが?」
 続けて飛んでくる皮肉に、オーリネスは両耳を押さえたい衝動に駆られる。
 職種も身分も関係ない。皆に言い渡されたその言葉が字義通りでないことは、自分たちが一番よく知っている。
 ほとんどの人間は、他愛ないお喋りをする時間すら、与えられないのだから。
 室長の身分にすがるつもりはない。しかし、追放だけは避けたい。皆が大変な時に身勝手だと分かっていても、どうにか切り抜ける策はないか、考えを巡らせてしまう。
 しかし、既に秘め事を見破っている相手に良案は浮かばず、気が沈んだ。
「まぁ、僕も人のことは言えない身だが」
 何を思ったのか、スオウが呟く。小さな吐息に、肩の荷が降りたと言わんばかりの気安さがにじむ。
「……どういう意味?」
『さ、スオウ。あなたの要求は果たしましたよ。約束は守ってくれるのでしょうね?』
「そうだな。まぁ、良しとするかね」
「え? え?」
 答えを得る間もなく交わされる会話に、オーリネスは為す術もなく流されていく。
 部屋の空気が、明らかに変わっていた。
「ところで、オーリネス」
 スオウはおもむろに机のチップを一枚摘まみ取ると、顔の前に掲げてみせた。
「僕もいくつかこういったデータは持っているが、欲しいかね?」
 浮かべる笑みは、最初と同じ。
 いたずらが成功した、子供のような――。
「ちょ、スオウ、それって……!」
「ま、僕らの性というものだな」
「ちょっと! いつから騙してたのさ!」
 不敵な笑みを浮かべるスオウに、オーリネスは開いた口が塞がらない。
「もーーーーっ!」
 やり場のない叫びが、研究室内に響く。
『大声を出すと喉が枯れますよ。こちらをどうぞ』
 AIがワゴンを操作し、二人分のお茶を運んだ。
 

終。


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