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【短編】魔法の杖

 コンビニで単三電池を買った。
 何年ぶりだろう。最近じゃ充電池を使った製品ばかり使っていたし、この先電池を買うなんてこと、しないと思ってたんだが。
 そのまま当てもなく歩いて、近所の公園に辿り着く。暖かくなってきたせいか、小さな子どもが駆け回っていた。近くでは母親たちが楽しげに話している。
 あの空間に、俺みたいな得体の知れない男がふらりと近寄れば、間違いなく不審に思われるだろう。人のいない場所はないかと辺りを見回し、まぁまぁ人の少ない通り沿いのベンチに腰を下ろした。
 おもむろに鞄に手を入れ、ブツを取り出す。ぱっと見には枝をそのまま折ったような、ちょっと観察すればどこかの土産物屋で売ってそうな木の棒。
 魔法の杖らしい。
 しばらく眺めてから失笑する。なんだ、魔法の杖って。一昔前には信じられなかった速度で技術が発達していく現代社会で、おとぎ話の中でしか登場しないアイテムの話をされて、誰が信じるというのだろう。
 会社の帰り道だった。残業を片付け、帰路を黙々と進む俺を、しわがれ声が呼び止めた。自分が呼ばれたと思わなかったが、気付けば俺は、声の主を見下ろす形で仁王立ちしていた。
 夜も遅く店じまいした商店街。シャッターを下ろしたその前で堂々と敷物を広げ、件の“魔法の杖”を並べて座る、一人の老人。着古したコートを纏い、顔と髪の境界が分からないくらい毛むくじゃらで、明らかにそこだけ世界が違う。
 本能的に危険を察知したが、そもそもどうして声掛けに応じて老人と向かい合っているかが、俺には分からなかった。こういう手合い、普段は無視しているというのに。
 そして既に向き合ってしまっているがために、俺は老人の話を聞かないわけにいかなかった。
 魔法使いを自称する老人は、杖を買わないかと俺に勧めた。俺は魔法使いじゃないし、独身で子どもがいないからおもちゃは要らないよと丁寧に断ってみたが、無駄だった。
 魔法使いじゃなくても使えるよ。老人は言った。
 ただし、単三電池三本分の願いを一度しか、叶えられない。老人は続けた。
 意味が分からない。
 電池で動くならおもちゃなのだろうし、百歩譲ってそれで本当に魔法の一つでも使えるなら前代未聞が過ぎる。
 どちらにせよ、売る相手を間違えている。そう言ってみたが、老人は譲らない。この時間、このご時世だ。通る相手は誰だろうと捕まえなければ、やっていられないのだろう。
 とはいえ、こちらもしがないサラリーマンである。仕事を行き来するだけの生活で持ち合わせがあるわけでもない。詐欺ではないという確証もなし、むしろ詐欺や追い剥ぎの一味だと言われた方がしっくりくる。応じる理由が見当たらない。
 どうしたものか。無視して歩き去っても、買ってやったとしても、追々どんな目に遭うか分かったものではない。悩んでいると、老人が指を三本、立てて見せた。
 三千? 三万? 三十万か?
 どの道得体の知れない木の棒に出す金額じゃないと思ったら、三百だった。
 三百万ではなく、三百である。食玩と同レベルの値段だ。どう考えても、コストがおかしい。
 やはりただの木の枝なのか。呆れていた俺は、気付けば杖の一つを握っていた。老人に渡されたのを、そのまま受け取ってしまったらしい。
 残業はするべきではないと、強く思った。判断能力が大分おかしくなっている。
 俺は仕方なく三百円を老人に渡した。自称魔法使いはにこにこしながら、俺を見送った。
 追い剥ぎは来なかった。
 夢だと思いたかったが、今朝起きた時も杖はテーブルに置かれていて、俺に脱力と後悔とやるせない思いを味合わせてくれた。
 どうしたものかと手に取ると、驚いたことに底の部分にフタがあることを示す溝が切ってあった。外してみると、電池を入れる場所がちゃんとある。しかし家には電池がない。
 で、コンビニで電池を買ったわけだ。
 望み通り三本の電池を押し込んで、フタを閉める。先端が光ったりするのだろうかと思ったが、何もない。スイッチの類いがあるわけでもない。
 まさか、呪文を口走れとか、言わないよな。
 それはさすがに、こんな場所で試せない。休日の真っ昼間、木の枝を手にベンチに座ってるだけで怪しいのに、ブツブツ呟き始めたら不審者確定である。遠巻きにされるならまだしも、職質はゴメンだ。
 ちょっとした募金で教訓を受け取ったことにしようと杖をしまいかけたところで、靴にボールが当たった。持ち主らしい小さな男の子がよたよたと寄ってきて、ボールを掴む。二、三歳だろうか。男児は顔を上げると、俺をじっと見つめた。
 違う。俺の持っている杖を見ていた。
 しまったと思うがもう遅い。子どもが興味を持つには十分すぎる代物なのだ。このまま黙ってしまいこんで泣かれても面倒で、俺は半ば自棄になって訊ねた。
「あー、何か願い事とか、あるか?」
 単三電池三本分だが。
 というかどれくらいだよ単三三本分の願いって。
 男児は子ども特有の大きくて純粋な目で杖と俺を交互に見上げ、ぽつんと呟く。
「……パパにあいたい」
 重い。事情は分からないが重すぎる。
 てっきりお菓子が食べたいとかそういう即物的なもんだと思ってた俺は面くらい、二の句が継げなくなった。
「ゆうちゃん?」
 どうしようか悩んでいると、母親らしき女性が近付いてきた。子どもの気が逸れた隙に杖を隠す。
 当然だが、彼女は明らかに俺を警戒しながらやってきた。俺はボールがここまで転がってきたんだと弁解した。弁解も何も事実だし、幸い男児が頷いてくれて、母親も信じたようだった。
「みんなゆうちゃんのこと、待ってたよ?」
「うん」
 母親に促され、男児が小走りで駆けていく。なんともなしにその背を見送っていた俺は、母親がまだその場に残っていることに気付いた。
「あの、ホントに、ボールがこっちに来ただけなんすけど」
「何か、うちの子に話していませんでした?」
 見られていた。
「あー」
 魔法の杖が、なんて、口が裂けても言えない。
「お宅の息子さんがですね、俺を、父親と勘違いしたみたいで」
 母親の目つきが変わる。やはり苦しいか。
「…………」
「その、失礼ですが、旦那さんは」
「離婚しました」
 気まずさだけが膨れ上がる。やはり先程の男児の願いは大分重かったようだ。とても、電池三本でまかなえる願いとは思えない。
 いや、そもそもおもちゃなのだが。
「そりゃ、ホントに失礼しました」
 腰を浮かせる。長居は無用だった。なのに、先程の男児が走って戻ってきて、俺の肝を冷やさせた。
 話されたら不味い。マジで不味い。
「ママ、ねこさん!」
 男児は母親の服の裾を引き、懸命に訴えかける。もう俺の存在は見えていないようだ。ひとまず安心したものの、男児の様子は気に掛かる。どうにも、ただ猫を見付けて喜んでいる風ではないのだ。
「ネコさんがどうしたの?」
 辛抱強く母親が訊ねると、男児は公園の中心部に生える木々を指さした。
「おりれないの」
 どうやら、木に登った猫が降りられずに、騒ぎになっているらしかった。男児に連れられていく母親について、俺も現場の方へ足を向ける。
 公園内にいた種々雑多な人々が、一本の木を見上げている。葉が多くてどこにいるか分からないものの、遠巻きでも猫のか細い声が聞こえてきた。
 ぱっと見でも、木に登って猫に手を伸ばせそうな者が見当たらない。網はあるようだが、枝葉の多い木では役に立たないだろう。
 なんともなしに、鞄に手が伸びる。固い手触りに、我に返った。
 なんで本物だと思っているんだ俺は。
 明らかに怪しい老人の売っていた、明らかに怪しい棒である。電池を入れたが反応はなく、何か出来たとしてもせいぜい明かりが付く程度だろう。なのに、何かに付け利用価値を探している自分がいる。何が起こるのか興味をそそられている自分がいる。
 猫を木から下ろす。電池三本でも、何とかいけそうな願いの気がした。
 いや、だから電池三本の出力はどれくらいなんだ。
 大体、どうすれば起動するのかも、どう起動してどう反応するのかも分からないのだ。そんな得体の知れないものを生体に向けて良いのか。安全なのかこれは。
 目前では、猫を見上げながら不安げな声を上げる人間たち。途切れ途切れに聞こえてくる猫の声が、哀愁を誘っている。
 仮に成功しても、そして失敗すれば当然、白い目で見られるのは避けられないだろう。
「…………」
 鞄を閉じ、大股で木に近付く。驚く人々に構わず、根元に鞄を放り出すと、取っかかりを探して手を掛ける。ゆっくりではあるが安定して木に登る俺を、止めようとする者はいなかった。
 何を思ったか、猫はてっぺん付近の強度の心許ない枝の上で、動けなくなっていた。まだ子猫で、俺を見るなり毛を逆立てはするが、動けないので憐れみの籠もった声で鳴くしかないらしい。
「どーどーどー……痛って!」
 首根っこを掴むと、子猫は当然抵抗し、手を思いっきり引っかかれた。だが太い幹に足を固定していたことが幸いし、体勢は安定していて、上着の中に猫を抱え込む余裕もあった。すっぽりと全身を包まれると、初めは暴れていた猫も落ち着き、それで俺はまたゆっくりと木を降りる時間を貰った。
 無事に降り立つと、歓声が沸いた。途端に気恥ずかしくなって、俺は公園の管理人たちに猫を預けると、そそくさとその場を去る。
 そのまま公園を出ようとしたところで、呼び止められた。
 さっきの親子だった。
「この子が、どうしてもお礼を言いたいって」
「おじさん。ねこ、たすけてくれて、ありがとう!」
「あ、あぁ」
 自分ちの猫でもなかろうに。わざわざ追ってきてまで礼を言う男児が、純粋でまぶしく見えた。
「…………」
 鞄に手を入れる。手探りで杖を取り出し、男児に渡した。
「さっきのつえ!」
「やるよ。電池三本分の願いを叶えてくれる魔法の杖だ」
 当然ながら母親にいぶかしがられたため、露店で買ったおもちゃだ、と、言い訳しなきゃならなくなったわけだが。
 手放しに喜ぶ子どもを見て、三百円(+電池代)も無駄にならなかったな、と、俺はやっと思えた。
 
 日々の忙しさに、そんな小さなエピソードも、怪しい魔法使いに会ったことすら忘れる頃。
 またも残業で会社に詰めていた俺は、スマートフォンの振動で目が覚めた。
 どうやら、居眠りしていたらしい。
 慌てて背広からスマホを取り出す。画面に表示されていたのは、知らない番号だった。
 こんな時間に得体の知らない番号の着信に出ることに抵抗はあったものの、例の如く残業で脳が疲れて判断が鈍っていたせいで、気付けば通話ボタンを押していた。
「えと……もしもし?」
『手品の魔法使いさん?』
 女性の声が、開口一番そういった。あまりのインパクトに、疲労で鈍っていた頭が覚醒する。
「は?」
『それとも新手のナンパだったのかしら』
「いやいやちょっと待て。というかどちらさんです? 間違いじゃないですか」
『あなた、この間うちの子に妙な棒をくれた方?』
 彼女の言葉に、おぼろげな記憶がゆったりと浮かんだ。
「……あー、そうです、ね」
『なら間違っていません』
 冷や汗が流れる。気の向くままに行動したが、思えば、あの棒は得体の知れないものだったのだ。万が一爆発でもして、子どもに怪我をさせてしまっていたら。
 しかしその割に、母親の声音には皮肉とトゲがあるだけで、深刻さは感じられない。
「あの、何か」
『あの子。あの杖に、父親と遊びたいって、願ったんです』
「そ、それ、で?」
 心臓の鼓動が早まる。何だ今の状況。何が起こっている?
『そうしたら、杖が光って、先端から何か出てきて』
「はぁ」
『開いてみたら、名刺だったんだけど』
 そうして、母親は俺の名前を言い当てた。会社名も役職も合っていた。どうやら、紛れもなく俺の名刺らしいが、俺は杖にそんなものを仕込んだ覚えはない。そんな理由もない。
『だから、どういうことか説明して貰おうと思って』
「俺も知りたいですよ。そんなことしてないですし、そんな目的で渡したとしたら、とんだ不審者じゃないですか」
『……そうよね。だから、確かめたくて』
 そりゃそうだ。速攻で警察に持ち込まれなかっただけマシというか。
「よく、電話しましたね」
『悩みましたよ、随分ね。でも、それきり反応のなくなった杖を見て寂しそうにしてるあの子を見たら、やるせなくて』
 まぁ、文句の一つも言いたくなるか。
 いや、待て。
 電池三本分の願いを叶える魔法の杖。あれが、本物だったってのか。
 それより、男児の願いに対する杖の反応はどういう意味だ?
『聞いてます?』
「へっ? な、なんすか」
 聞き逃した俺に、母親はトゲのある声で言った。
『色々と聞きたいことがあるので、時間がある時に会って貰えません?』
「えっ、と」
 疑問が渦を巻く。当然ながら正常な判断など出来はしない。
『どうなんです?』
「あ、はい」
 うっかり肯定してしまった。説明が欲しいのは、俺も同じなのに。
 混乱したまま手帳を開き、予定を書き付ける。
 暗闇の向こうで、あの魔法使いが笑っている気がした。
 
 
終。



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