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【短編連作】観測者の箱庭04

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 端末を操作するオーリネスの背後に、誰かに追われているのかと錯覚する勢いで足音が近付いてくる。合間に聞こえる声は荒々しいリズムに呑まれて互いに絡みつき、見えない圧となって空気を震わせた。
 迫りくる波に背を向けていては危険だ。オーリネスは咄嗟に振り返り、反射的に頭を仰け反らせた。
 眼前に、何かが突き付けられている。
「パイセン!」
「オーリネスちゃん!」
 嵐の主たちが、写真らしき紙を手に左右から迫る。一人は橙に染めた短髪をあちこちに跳ねさせた子犬のような青年で、一人は黒髪をハーフアップにした妙齢の女性。
「なっ、何?!」
 諫めようと掲げた両手の親指と人差し指の間に、一枚ずつ写真が滑り込む。
「えぇ……?」
 どうやら何かのサンプルを撮ったものらしいが、両方とも溶液らしき緑の背景しか見えず、訴えの意図を掴めない。
「お願いがあるのっ!」
「お願いがあるっす!」
 戸惑うオーリネスに構わず、男女の声が斉唱する。かと思うと互いに白衣を翻し、火花が見えそうな勢いで顔を突き合わせた。
 ライデンとレプリィ。共に生命科学が専門の科学者である。
「ちょっと、レディに譲ったらどうなの?」
「今時立場も性別もカンケーないっす! おれが先に声かけたっす!」
 大統領制が終わりを迎え、国や役職を超えて協力しなければ明日の命すら危うい世界はまだ、明確な政治形態を確立していない。今は皆の生活を安定させることを最優先に、オーリネスを中心としたメンバーが暫定的に切り盛りする形で落ち着いていた。
 いずれ作らなければならない新たな理の叩き台として、意見をぶつけ合うのは悪くない方法だと思う。互いに納得できる結論を出してくれるのならそれで構わない。
 ただ、巻き込まないでほしい。
「二人とも落ち着け。オーリネスが固まっている」
 近くにいたイスタトゥーミスが間に入るも、これで事態が解決するとは思えなかった。
「「だって」」
 再び斉唱する声はしかし、別々の旋律を奏で始める。とても聞き取れたものではない。
「わかった。わかったから。順番に聞くよ」
 とは言え、その順番を二人に委ねればまた、口論が始まりかねない。下手に指名してあらぬ誤解を受けるのも困る。
 オーリネスは、最も公正な答えを導ける存在へと、目を向けた。
「509。今、どっちが先だった?」
『質問が不明瞭です。最初にオーリネスに向け言葉を発したのはどちらが先かという問いであるのなら、ライデンの方が0.053秒早く音声を発生させています。再生しますか?』
 曖昧さを指摘しつつ、補足を受けるより前に必要な答えを返したAIに、オーリネスは内心で頷き、頭は横へ振った。
「いや、大丈夫。で?」
 思い思いの反応で三度言葉を絡ませる二人、主にライデンの方へ目を向けながら、オーリネスは訊ねる。
「パイセン! まずは見て欲しいっす!」
 促されるまま、右手に挟まれた写真を片手で持ち直す。中心に据えられた被写体を見据えた瞳が、段々と疑問の色に染まった。
「どうした? オーリネス」
「いや、あの」
 言葉に窮したオーリネスは、頭を寄せてきたイスタトゥーミスに写真を差し出す。
 溶液に浮かぶ透けた丸の中で、もう一つの丸が中心を糸で縛ったようにくびれている。
「……細胞分裂、か?」
「そうなんす! おれの子が生まれたんすよぉ!」
 受精して最初の細胞分裂の時点で『生まれた』という表現は適切なのだろうか。と思ったのも一瞬のことで、オーリネスは目まぐるしく浮かぶ疑問の中で最大級のものをライデンにぶつけた。
「ライデンって、結婚してたっけ?」
「独身っす!」
「…………」
 今日は他にも科学者たちが出入りしているというのに、そのすべてが音を失った。一人満面の笑みで唯一の熱源となったライデンは異変に気付くと、慌ただしく両腕を動かす。
「あ、あ、違うっす。これ、おれの研究の一環でして」
「まぁ、専門だもんね」
「はいっす。今は血液から生殖細胞を作る研究をしてるっす!」
「そういえばアンタ、片っ端から声掛けて回ってた時あったわね」
 レプリィが人差し指を口元に当て、しげしげと写真を眺めている。内容に引っかかりを覚えたオーリネスだったが、それよりも気にかかることがあった。
「……これ、両方ともきみの血から?」
 そもそもこれはコロニー計画に必須だろうかという思いは、ひとまず胸の奥にしまい込む。ここにいるのは精鋭の科学者たちだ。己の役割を忘れている者は一人もいない。ただ、たまに視線が逸れてしまうだけなのだ。
 身に覚えのあるオーリネスに、咎めることなどとてもできない。
「そういう訳にいかないんで、協力者を募ったんすけど……女の子たちにはひじょーに冷たい目で見られたっす」
「そうだろうな。大体、世間に知れれば確実に引っかかるぞ」
「承知の上っす。けど、重労働に加えて人類存続のエネルギーを捻出するのは、こっから先益々困難になることが予想されるっすから。とはいえ将来を見据えて、許可のない材料を使うつもりはなかったっす。ので、お二人に相談しようとしたんすけど」
「ちょっと、キビシいかな」
「ごめんだな」
「って言われると思ったんで、断念したっす……」
 返答を予測していたらしく、ライデンはぎこちない動きで頭を垂れた。
「女性陣に断られ、私たちの返答を予期していたのなら。後は、スオウか?」
「いや、スオウパイセンには先に声掛けてみたっすけど……めっちゃ冷たい目で見られたっす。だからお二人はもっと無理だって悟ったっす」
 スオウを知る者は、殆どが彼を面倒見の良い人物と評価する。その相手からも断られたとなると、いよいよ選択肢が見つからない。
「結局どうしたの? 自分の同士はいくらなんでも」
「ああそれ、オレ」
 脇から聞こえた声に顔を向けると、あふれる程ケーブルの詰められた段ボールを抱えたミオニスがいた。上層から資源を分けてもらった帰りらしい。
「スオウに突撃して玉砕してるライデンを見かけちゃってね」
 艶やかに光る群青色の瞳を細め、箱を持ち直す。モンブラン色の髪が、さらりと揺れた。
「聞いてみたら、スオウどころか全玉砕してるって言うじゃん」
「勇気あるなぁ」
「ていうか成功したんだなぁ。同性だから難しいだろと思ってたのに」
「うまく育つかは別問題なんすが……そうだ、パイセ」
「そろそろあたしの話も聞いてくれない?」
 身を乗り出すライデンを遮り、レプリィがオーリネスに身を寄せる。思わず同じだけ身を引いたオーリネスは、頬を膨らませたレプリィに左手の写真を引き抜かれた。
「……え?!」
 突き付けられた写真には、またも一つの丸――細胞が写っている。ライデンのものと違い、細胞分裂している気配はない。
「今度は何だ」
「こっちはアフターの写真。ビフォーがコ、レ」
 レプリィは白衣のポケットからもう一枚、写真を取り出す。写っているのは一匹のラットだった。
 ビフォーがラット、アフターが一つの細胞。
「……説明貰っていい?」
 感情が言いようのないざわめきを発する。脳が勝手にはじき出した答えから目を逸らし、あえて訊ねる。
「オーリネスちゃんでも分からない?」
「……分かりたくない」
「何でそんなイヤそうな声出すのよぅ。若返りはみんなの夢でしょう?」
 レプリィの声に、ライデンの時とは別の静寂が訪れる。
「やりすぎだろう。卵に戻してどうするのだ」
「ちょっと加減間違えちゃったのよぅ。ラットは時間が短いんだもの」
「いや突っ込むところおかしいでしょ。凄すぎるよ。どんなスペックしてんのここの人たち」
「ミオちゃんもやってみる? そろそろ人の方でも検証したいと思ってたトコなんだけど」
 レプリィが、満面の笑みでミオニスに迫る。両手に抱えた段ボールを近くの机に放り、ミオニスが勢いよく両腕を振った。
「いや、オレはまだ早いっていうか……早い、よな?!」
 せわしなく視線を動かす姿は、実験体にされたくない焦りなのか、年齢に対する焦りなのか、判断がつかない。視線で助けを求められ、オーリネスもどうしたものかと眉を寄せた。
「いや、ミオニスが何歳か知らないからなんとも」
「スオウと同い年だよっ」
 勢いよく投げられた言葉が、オーリネスの脇を通過した。
「ど、どうした? 室長」
 挙動不審なまま、ミオニスが首をかしげる。こわばった表情を、汗が伝っていた。
「スオウって、何歳?」
 オーリネスたちが作る小さな輪の中で、空気が止まった。
「え、あ、知らないの?」
「名前と得意分野の話はしたけど、年齢の話ってしてないよね」
「あー、そうだっけか。そうだったかもなぁ」
 ミオニスはスオウと同じく、元レジスタンスメンバーだ。その時に知り得た情報を、オーリネスが持っていると勘違いしたのだろう。
「ちなみに、室長は? あ、言いたくないなら良いんだけどさ」
「ぼく? イスタと」
 言葉が途切れる。本人が傍らにいるとはいえ、勝手に情報開示をするのは憚られた。
「私とオーリネスは同い年だ。今年で三十になる」
 友人は、意図を正確に汲んで言葉を続けた。ミオニスが片眉を歪ませる。
「微妙な線だな……言っていいか分からねぇ」
「なら最初から聞くんじゃない」
「ちなみに、この流れであたしにトシ聞いたら怒るわよ?」
 レプリィが、笑みの奥に底知れない何かを滲ませる。その場にいた全員が、勢いよく首を振った。
「ていうか、あのさ。これは結果報告? それともなんか」
「「そう!」」
 何度目かの斉唱に、オーリネスの中で嫌な予感ゲージが振り切れる。案の定、二人の声がもつれあって届いた。少なくとも、成果が出たのが嬉しくて話に来たわけではないらしい。
「……509」
『双方とも同様の主張をしています。研究施設を作るのに資源を回して欲しいそうです』
「今?!」
 思わず上げた大声に、皆の視線が集まる。
「びっくりするのは分かるんだけどね、オーリネスちゃん。考えてみて欲しいの。この大掛かりなプロジェクトがどのくらいの期間を要するか分からない以上、そういう道を用意しておくのは悪い話じゃないと思うのよね」
「最悪のパターンは常に考えるべきっす。たとえ今の価値観で拒絶されることでも、その技術を必要とするときが来るかもしれないっすから」
 動揺冷めやらぬオーリネスに対し、我先にプレゼンをしていたはずの二人が、息の合った主張を畳みかける。
「まぁ、お前の趣味より、よほど有用性のある研究だとは思うが」
「イスタ!」
『イスタトゥーミス、発言の撤回を求めます。オーリネスの下さる情報に、不要なものなどありません。データを独占する方がよほど害悪です』
「お前がそうやって妙に気に入っているから、苦言を呈しているのだ」
 天井からの苦情に、イスタトゥーミスは普段通りの険しい表情を返した。
「そりゃ、509ちゃんの育成と拡張も大事なお仕事だけど。設備が完成してなきゃ意味がないじゃない?」
「それはそうなんだけど……」
 二人の主張は理解できる。恐らく、ある程度の成果が出たから申請に踏み切ったのだろう。だが、基礎的な部分が未完の状態で、実現の危うい研究に着手して良いのか。
「室長は、この研究に反対って感じ?」
「ううん。状況が許すなら後押ししたいって思うよ。けど、どうしたって優先順位はつけなきゃいけない」
 医療は確かに優先すべきだ。とはいえ、医療だから全てを優先するわけではない。今は生活を安定させるために、自分の研究を脇に置いて手伝ってくれている者もいる。イスタトゥーミスはその筆頭なのだ。
 ちらりと友人を見遣ると、目が合った。何事か考えている風の色を宿す瞳が、ライデンたちに向けられる。
「お前たち、医療棟開発の管轄だったな。進捗はどうなっている」
「おかげさまで、大分設備が充実してきたっす。地上班の怪我人の受け入れ態勢も万全っす」
「病室も増えて、治療と療養の方を分けて受け入れられるようになったし。そういえば、今朝方スオウちゃんがこっち来てたの見かけたわ」
「スオウが?」
 道理で、今日は姿を見ていない。
「えぇ。進捗を見に来たんじゃないかしら。だから、聞いてもらっても大丈夫よ」
「現場見てるんだ……偉いなぁ」
「適材適所でしょ。室長は司令塔の仕事あるし、スオウは元からふらふらするクセあるからね。気にすることないんじゃない?」
「まぁ、順調に進んでいるのなら、検討してもいいんじゃないか?」
 一番遠慮している当人の助け舟に、軽々しく飛びつけない。
「イスタ……いいの? きみは」
「全く何もできない訳じゃない。今は優先順位が低いことくらい承知している」
「だけど」
「副長はやりたいこと申請しないのか?」
「ある程度は勝手にやっている。後はもう、大掛かりになるからな」
「んじゃ、それも申請すれば?」
 ミオニスの言葉に、イスタトゥーミスの眉が寄る。
「だから、優先順位が」
「いやだって、ライデンとレプリィの話も、全体会議の議題にしたいって話だろ?」
 思いがけない言葉に、長二人の動きが止まった。
「そうなの?」
「あ、あ、言葉が足りなかったっす。そうっす」
「いくらあたしたちでも、オーリネスちゃんたちに全部やれとは言わないわよ」
 てっきり、直談判しに来たと思っていた。イスタトゥーミスも同じ考えだったらしい。唇を引き結んだまま、困るべきか笑うべきか、半端な表情になっている。
「そうっす。前もって相談に来たのは、室長たちが知らない訳にいかないと思ったからで」
「議題はあくまで議題じゃん。気楽に提出して、本気でプレゼンすればいい。正直、ここのやつらにとって結果っておまけでしょ。多分否決されても何かしら続けるでしょ」
「それは確かに」
 オーリネスが蒐集するデータも、勝手にやっていることだ。止められたところで別の手を打つだろう。
「なら、とりあえず話し合えばいいじゃん。そのための会議だし」
「そう、だね。分かった。じゃあ、今度の会議で出そう。イスタも出しなよ」
 流れるように友人の背中を押す。案の定、イスタトゥーミスは躊躇いの表情を見せた。
「いやだから、私は」
「遠慮はなし。ね?」
「……分かった」
 これでようやく、友人も本業に戻れるかもしれない。そう思うと、自然と笑みが零れた。
「よし、じゃあ各自議題を纏めておくってこと、で……?」
 頭を戻したオーリネスの視界に、妙に沢山の顔が入り込む。何故こんなに目が合うのかと改めて見回せば、ライデンたちの背後に人が集まっていた。皆が、何かしらを手にしている。
 オーリネスの異変に気付いた四人が振り返り、そのまま硬直した。
「室長、オレも議題出したいなぁ」
 ミオニスの声が、震えを帯びている。
「全体会議の回数、増やそうぜ?」
「……そうだね」
 五人の頬を、冷や汗が伝った。
 
 
終。



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