【短編連作】観測者の箱庭07
天井に開けられた穴から、作業ズボンを履いた二本の足がぶら下がっている。脚立から遠く中空を揺れるそれを、オーリネスははらはらと見つめていた。
いつ落ちるかと、気が気ではない。
「ほーい。繋いだぞー。ゴーマルキュー」
穴の中から、くぐもった声が流れ出る。続けて、隠れていた身体が徐々に現れ、やはりそれなりに距離があるところから、正確に脚立の上に降り立った。鮮やかな動きに、オーリネスは思わず感嘆の息をつく。
「ほいっ、と。どうだ?」
『しょ、少々お待ちください……』
ミオニスの問いかけに、AIが遅れがちに返答する。
「処理かかってんなー」
脚立の上で仁王立ちするミオニスが、茶化すように言う。
『ミオニスが早すぎるのですよ! 今日だけで何カ所繋いでいると思っているのですか!』
「文句言うのは早いのな」
『あーもう!』
「ご、ごめんね509。ミオニスの作業速度が思ったより速くて、ついつい次を頼んじゃって」
こちらのやり取りを優先させてしまえば、ただでさえ不足気味のメモリが余計に足りなくなってしまう。オーリネスは慌ててAIを宥めに掛かった。
基礎的な部分が実用レベルに達したと判断し、今まで中央制御室のみで運用していたAIを、コロニーの設備運営に携わらせることになった。計画ではメモリの増設に伴い段階的に各施設と繋いでいく予定だったが、ミオニスの勢いにつられ、予定外の場所まで来てしまったのだ。
邪魔にならないようにと人が少ない廊下で始めたのに、段々と人通りが多くなっている。各エリアへ通じる十字路が近いせいだろう。
「あれ、オレのせい? デカい仕事だって張り切ったんだけど。509だって、早く仕事したいだろ?」
『そりゃ、皆様のお役に立つために作られた以上、喜ばしい事態ではあるのですが。これ程の速度で処理すべき情報が増えると思っていませんでした。正直、メモリが足りません』
先行で繋いでいたスピーカーからは問題なくAIの音声が流れているが、先ほど繋いだ電気制御の処理は追いついていないようだ。廊下の向こうで、明かりが不規則に揺らいでいる。何かに気を向ければ、どこかが疎かになる状態のようだ。
「あー、工業班も頑張ってるっぽいけどなぁ」
ミオニスも明かりの不安定さに気付いたらしく、苦笑を浮かべている。
「資材不足はどうにもなんねぇな。照明なんざ止まったところで死にゃしないが、他の設備は考えて繋がないとヤバいかもなぁ」
言いながら脚立の上でしゃがみ込み、立てかけられていた天板に手を伸ばそうとする。オーリネスは慌てて天板を持ち上げると、ミオニスに向けて掲げた。
「サンキュ、室長」
両腕を広げないと持てないほどの大きさに、腕にずしりとくる重量。それを、ミオニスは何の苦もなく元の位置へ取り付けていく。
「ミオニスって、プログラマーだよね?」
「そだよ? どした急に」
「いや、力持ちだなぁって」
自分だったら天板を外した瞬間に落っことして叱られるだろう姿が、ナチュラルに想像できる。
「あー、それは多分、レジスタンス時代に散々こき使われて体力ついたせいだわ」
パチンと気持ち良い音がして、天板が戻される。そこを拳で数回叩いてから、ミオニスは脚立を降りてきた。
「……どした?」
振り返ったミオニスが目を丸くする。それで、我に返った。
「そういえば、ミオニスってレジスタンスだったなぁって……」
「元、な。今は関係ないだろ」
「もしかして、509に入ったりした?」
レジスタンスからはたびたび攻撃を受けていた。もしかしたらあの中にミオニスがいたかもしれないと思うと、不謹慎と分かっていても感慨深い気がしてしまう。
「あー、それなー」
ミオニスは脚立を閉じながら苦笑する。
「オレさー。どっちかっていうとクラッカーなんだよな」
「……どゆこと?」
「オレの勤めてたトコ、セキュリティソフト開発の会社だったのよ。だからどうしたら壊されないかー、とか、逆にどうしたら壊せるーとか、そういうのを日々研究してたワケ。で、自然と壊すのが得意になっちまってな」
守るためのソフトを作る会社でそれは本末転倒な気もするが、その技術はレジスタンスとしては重宝されるものではないのだろうか。
「え、じゃあ」
前のめりになるオーリネスに、ミオニスは空いた手を振ってみせる。
「システム壊すな、情報だけ抜けって言われてさ。早々に向いてないと辞退した。だから、オレは物理的な面でハッキングの手伝いはしてたけど、室長と対戦はしてない」
「ほえ」
「てか知ってるか室長。室長と対戦してたの殆どスオウだぞ」
「それは、なんとなく知ってる」
「じゃあ、そのスオウのハッキング技術が独学だって知ってたか?」
「え」
開いた口が塞がらなくなるのが分かった。
「てか聞きたかったんだけどさ。室長ってあの技術は習ったの?」
「習った……いや、確かに、そう聞かれるとぼくも独学になっちゃうな……」
大学時代、興味の広さからあれこれ手を出してはいたものの、先達から教わったのは本来の専攻分野のみで、後は全て趣味の一環として勝手に学んだものばかりだ。
「マジか。独学同士であのレベルのぶつかり合いはもう意味分かんねぇぞ」
「ぼく、スオウはプロなんだって思ってたよ……」
いつだって、オーリネスは防戦一方だった。一方スオウは、ミオニスに告げていたミッションを自分でこなしているのだ。
「……え。あれ?」
スオウは、自己紹介の際に自分の専門が何であると言っていただろうか。
勝手にエンジニアやプログラマー系だと思い込んでいたせいで、当時の記憶を引き出すことが出来ない。何より、あの時は自分の出自をどう誤魔化すかで頭がいっぱいで、皆の話を真面目に聞いていなかった。
「どした?」
「あ、いや」
脚立を担いだミオニスが首を傾げる。オーリネスは咄嗟に頭を振った。当人の情報を、第三者から聞き出すのは憚られた。相手がスオウとなると特に、その思いが強くなる。
事態が収束してから合流してきた者たちと異なり、レジスタンスメンバーの中にはオーリネスを警戒する者が残っている。かつてのリーダーの信頼を損ねることは、そのままレジスタンスたちの信を失うことに繋がる。
何より、スオウは今や大切な友人でもあった。
「ゴーマルキュー、こっち、明かり消えてるよー」
「ゴーゼロキュウ、なんかここだけ光強くねぇ?」
十字路にたどり着いたせいで、あちこちからAIを呼ぶ声が聞こえてくる。
運用試験を行うことは事前に告知していたため、行き交う者たちに混乱は見られない。逆にAIの方が追いついていないようだ。先程から、スピーカーが完全に沈黙している。
「……なぁ、室長。前から聞こうと思ってたんだけど」
廊下の向こうに視線を向け、ミオニスが切り出す。
「509の正式名称って何?」
「あー……」
「ニーゼロサン。暗くて先に進めないのですが」
「サンサンイチっ、ホラーみたいにちらつかせるのやめてっ。怖いから!」
オーリネスが言い淀む間にも、AIを呼ぶ声がそこここで上がる。
ミオニスが、脚立を持ち直した。
「言いたくないんだけどさー」
「……わかってる」
『オーリネス! わたしはいつまでバージョン名で呼ばれなければならないのですか?! せめて統一してください!』
「ごめんて」
ついに天井から苦情が降り注ぐと共に、明かりが消えた。
「ホント、文句は早いな。今は余計なメモリ使うなって」
『うぅ~……』
ミオニスに諭され、余韻を残しながら声が消えると、明かりが戻った。
「なんか理由あんの?」
「理由というか、単純に余裕がなかったというか」
開発当初、オーリネスには仕事が山ほどあった。
コロニーの設計、建築の優先順位、必要資材の発注。それに加えて大統領の要望をいかに躱すかに精神を削り、レジスタンスからの攻撃に肝を冷やしていた。AIのために名前を考える余裕など、あるはずがない。
「まぁ、室長は一人で切り盛りしてたもんなぁ。分からんでもないが、このままだと、まず名前の認識で余計なメモリ食うぞ」
「そうだよねぇ」
「しかも、509呼びじゃないヤツが結構いるし」
「バージョンアップのたびに変えてくれって頼み辛くてさ。割と皆、自分が入った時期の呼び名を使い続けてたりするんだよね」
そもそも、こんなにバージョンが変わると思っていなかった。人手が増えたからこその恩恵だが、喜んでばかりもいられない。完成に近付いてはいるものの、改善の余地はある。このまま名前を付けなければ、また余計な呼び名が増えてしまうだろう。
「何が良いんだろ」
インフラ系の制御を任せる予定である以上、オーリネスたちだけでなく、コロニーの住人全員がAIを呼ぶことになる。となれば、呼びやすいものが良いだろう。しかし、ありふれた名前は誤認する可能性もある。かといって、長かったり小難しかったりすれば、呼ぶのも覚えるのも一苦労だ。
「よく聞くのは神さんの名前か、物や土地の名前とかだが」
「神様系の名前はちょっとパスかなぁ。どっち向いても誰かの信仰に引っかかりそうというか」
「あー。元が大国だっただけあって、人種めちゃめちゃ多いもんなぁ」
人類の存続を願って作られたコロニーとはいえ、実際に収容できたのはこの場所の真上にあった国――ウィストルムに住んでいた者の一部でしかない。広く移住を受け入れてきたかの国では、複数の国籍を持つ人間が大勢暮らしていた。大統領がその筆頭である。
当然、国教を含めて宗教の数も果てしない。無宗教のオーリネスは各方面に十分な配慮を出来る自信がなかった。
「いっそ公募でもかけるか」
『わたしと致しましては、オーリネスに名付けていただきたいのですが』
オーリネスが何か言うより前に、509が言葉を挟んでくる。苦情だけでなく要望も早い。
「……ぼく今、ミオニスの提案に乗ろうとしたんだけど」
『わたしと致しましては、オーリネスに名付けていただきたいのですが』
AIは全く同じ文句を繰り返す。気が散っているらしく、廊下の明かりがちらつき始めた。
「わかった分かった。仕事に集中して」
光量が安定して安堵する一方、言ってしまったからには何かしら考えなければならない。
「……どうしよう」
「名前もそうだが増設も急務だな。こんなに不安定じゃ迂闊に任せられない」
「あ、そうだ。ミオニス」
オーリネスは手近な扉を開けると、ミオニスを手招きした。相手は首を傾げながらもついてくる。
幸い、部屋には誰もいなかった。手動で明かりを付け、脚立を下ろしたミオニスに向き直る。
「どした?」
「コロニー全体に機能を回すとなると、メモリだけじゃなくて色々増設する必要性が出てくるじゃない? それで、意見を聞きたかったんだけど……」
そう前置きして、オーリネスは計画について話す。ミオニスの目が、みるみる丸くなった。
「それでまた掘ってたのか」
「うん。最終的に今の中央制御室、509で埋まっちゃうと思うんだ。だからと言って今更移動するのも大変だし。近隣の部屋は既に配線通っちゃってるし」
「確かに。そう考えると下に伸ばすのが楽か。で、それをまだ509に言ってないんだな?」
「うん。絶対気が散るから」
廊下はAIが感知できるセンサーの準備が万全になりつつある。あのまま話せば、間違いなくそこら中で停電が発生しただろう。それに対し、部屋に関しては未着手の場所が多い。上層の重要施設に資源を回しているため、下層は特に手つかずだ。
おかげで、AIに聞かれては困る会話が出来る場所には事欠かない。
「で、足りると思う?」
「やってみないと分からんが、それって割とすぐだな?」
オーリネスは頷く。
コロニーの規模は当初のオーリネスの見立てより大きくなっているが、すぐに方針転換したおかげで対応に遅れは出ていない。問題があるとすれば、材料の不足くらいか。
「なら、引っ越すタイミングで名前付けるのが一番キリ良いぞ。あいつにも、オレらにも」
「う。うん、そうだね」
「とりあえず室長は名前考えるのにリソース割けよ。増設だの何だのはこっちで動いておくからさ」
「え、あ、でも」
「適材適所。仕事の振り分けは上の役割だぞ、室長」
ミオニスは人差し指でオーリネスの額を軽く突くと、笑いながら踵を返す。
「一つだけ助言しとく。レジスタンス時代にスオウを信頼してたヤツは、お前らを信用してる。アイツの人を見る目が正確だと知ってるからだ」
突かれた場所を手のひらで抑え、オーリネスは瞬きを繰り返した。
「言ってる意味、分かるな?」
試すような瞳に射貫かれ、反射的に頷く。
「なら一人で全部こなそうとするな。自分のことに集中しろ。名付けなんて得意分野だろ?」
言われること全てに頷きそうになっていたオーリネスは、最後の言葉に急ブレーキを掛けた。勢いよく顔を上げると、意味ありげな笑みを浮かべるミオニスと目が合う。
「なんで?」
「スオウがよく室長のこと詩人って呼んでるからな。詩的な名前を期待してるぜ?」
「……勘弁してよ!」
苦情を躱すように軽やかに歩き去るミオニスの笑い声を追い、オーリネスは部屋を飛び出した。
終。
次の話へ(次回更新日未定)
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