【短編】魂願
神々しいまでの朝日が、礼拝堂に続く通路を照らす。身が引き締まる空気に包まれて尚、瞼が重い。掲げた手で口元を隠し、こみ上げた眠気を吐き出そうとしかけたところで、目的地から怒号が響いた。
「またお前かぁっっっっ!」
半端にあくびを吐き出した口が、ゆっくりと閉じる。これはと思って浮かんだ涙を拭うと、案の定。勢いよく開いた扉から、少女が飛び出してきた。
「はわわわわ!」
「おはよー、見習いちゃん。またやったの?」
苦笑交じりに呼びかける。
料理人のお仕着せに身を包んだ、おさげ髪の少女だった。
「あきらめませんー」
見習いは帽子が落ちないよう両手で掴みながら、出口に向かって駆けて行った。
「あんの小娘……!」
後から姿を現したのは、豪奢な法衣に身を包んだ大司教。服の重さか年齢の大きさか、礼拝堂からここまでの距離を走っただけで、盛大に息を切らしている。
「おはようございます。大司教様」
両腕に抱いた聖典の位置を直しながら笑みを浮かべる神父に、大司教は顔を顰めた。
「お前は見送っとらんで捕まえんか」
「いやいや、彼女もこれから仕事なんですから。遅刻したら可哀そうじゃないですか」
「バチ当たりに似合いの罰だ!」
大司教は肩を怒らせたまま、礼拝堂へ戻っていく。神父はその背に続いた。入り口をくぐった瞬間、豊かな芳香が鼻腔をくすぐる。
礼拝堂の奥。ひときわ高く作られた天井は、日の光がふんだんに降り注ぐよう、透明な建材で作られている。その下に、瑞々しい葉を茂らせた御神木が立っていた。
部屋の中央を貫く新緑色の絨毯に導かれ、木の根元に立つ。
「おはようございます」
多くの逸話を抱える国の守り神に向け、神父は頭を下げた。
「全く……かようなめでたい日の朝っぱらから、誰かを叱り飛ばさねばならんとは」
「なら、お許しになれば良かったのでは?」
「お前も怒鳴られたいか!」
既に怒号を響かせる大司教に、神父は苦笑を浮かべた。
勇者による魔王討伐が成され、王国はようやく平穏を取り戻した。その祝いの席が設けられ、勇者をはじめ要人が招待される。
入り込んだ少女は城の料理人見習いで、今日は朝から忙しいはずだ。それでも来るのだから、よほど欲しいのだろう。
「以前、『お守りにしたい』と言っていましたが」
「ならば、心から願えばいいのだ。千切るなど言語道断」
逸話の中でも特に有名なのは、“魂からの願いを叶えてくれる”というものだ。とはいえ、御神木の葉を貰うために魂から願う、というのも、少々妙に感じる。
「……葉をいただくより、守って下さいと願った方が良い気もします」
「ならば、そう教えてやれ。こう頻繁に入り込まれては気が休まらん」
確かに、このところ見習いが教会に現れる頻度は上がっている。未遂で済んでいるのは、御神木周りに踏み台になるような物がない上に、神経質になっていく大司教が滞在時間を伸ばしているせいだろう。
「まあ、見習いちゃんの身長だと葉っぱまで届きませんし、何事も努力する姿勢っていうのは素晴らしいことですから」
「かようなことを言って、御神木の皮を剝ぎ出したらどうするつもりだ!」
またも感情の湯が煮えたぎり始めた大司教に向け、神父は御神木の木肌を撫でて見せる。
「ほら、御神木の樹皮は滑らかでとっかかりないですから。だいじょう」
「気安く触るでない馬鹿者が!!」
風圧すら感じさせる怒号を放たれ、咄嗟に御神木に抱き着きそうになる。これ以上の面倒を回避するため、神父は慌てて飛び退くと両手を上げた。
「全く。務めを始めるぞ。今日は遅刻する訳にいかんからな」
「はい……」
大司教の圧を背に感じつつ、神父は急いで準備を始めた。
長く艶やかな髪。色白で線の細い体。装飾のついた細身の剣。今日は祝いの席のため鎧の類は身に付けていないものの、旅人用の衣服は簡素で、頼りない。
魔王討伐のため旅立ったあの日から、勇者は何一つ変わっていないように見えた。
城の中庭。招待客がさざめく中、王に促された勇者が、何か話している。城と敷地を同じくするとは言え、招待客の中で神父の立場はそれほど高くない。そのため、要人たちから離れた席で、ぼんやりと主役を眺めていた。
あの細身で、魔王を倒したかぁ。
正直、成し得るとは思っていなかった。魔王討伐と言えば、屈強な戦士が列をなして乗り込む、といった印象である。しかしあの勇者は、たった一人で偉業を成し遂げたのだった。
優しい顔して、どんな技を持っているんだ……。
控えめに微笑む姿からは、魔王を殺す姿がどうにも想像できない。
「ま、いっか」
そこかしこから乾杯の声が響く中、神父は小声で呟く。
今日は料理を食べに来たようなものだ。要人の相手は大司教に任せ、楽しませてもらおう。
祭りの日でもなかなか見られないような料理の数々が、中庭に並べられた長机を埋め尽くしている。料理長たちの張り切っている様子が、目に浮かぶようだった。
手近な場所から料理を取り分け、口に運ぶ。高級食材の織り成す極上の味に、眩暈がするようだった。
これは味わい尽くさねば勿体ない。神父は次々と料理に手を付けていった。
「神父さま」
合間に注いだ酒にじんわりと意識が広がる頃。神父は背後からの声にびくりとして振り返る。
満面の笑みを浮かべた、見習いと目が合った。
「あれ、見習いちゃん? どうしたの」
「折角のお祝いの席を見ておいでって、料理長が言ってくださって。配膳のお手伝いがてら来させていただいたのです」
「そっかそっか。料理長も粋な計らいしますねぇ」
「はい。こんな機会めったにないから勉強しておいでって言われました!」
そう言って、見習いは手に持ったお盆を差し出す。
「というわけで、どうぞなのです」
盆の上には、簡素な意匠の深皿に注がれた、柔らかな乳白色のスープが並ぶ。あまりの料理の数に皿が追い付かなくなったかと思ったが、どちらかと言えば家庭料理の趣を持つスープは、食器によく馴染んでいた。
「ありがとう」
一つ受け取り、両手で包む。作りたてらしく、十分すぎる程あたたかい。
「いえいえ、なのです」
神父に笑みを向け、見習いは他の席へと向かった。小さくなる背を見送りながら、スープを口に運ぶ。
うわ。すごく美味しい。
今までの料理に比べると、使われている食材は平凡だ。しかし、漂う香りの元は見当がつかず、作り手のこだわりを感じる。ここまで豪勢なものばかり食べていたせいで、優しい味わいが染みるようだった。
鼻に抜ける豊かな香りを楽しむ視界の端で、見習いが勇者に料理を差し出していた。
勇気あるなぁ。
見習いは、御神木の葉をお守りにしたいという。しかし、勇者相手に物おじせず料理を差し出す姿を見る限り、精神的な支えは不要に思える。まして、スープを受け取った勇者と楽し気に会話までしているのだから、度胸が欲しいという願いと無縁ではないだろうか。
ならば、渡したい相手がいるのだろうか。例えば、想い人がいるとか。
「そういうことなら、話してくれればいいのに」
思わず呟く。年頃の娘にとっては死活問題なのだろうが、そういった相談を聞くのも教会の務めだ。毎日大司教に怒鳴られるより、よほど良いと思うのだが。
考えを巡らせながらも、スープを運ぶ手は止まらない。気付けば、深皿は空になっていた。
「ごちそうさ……」
机に置いた皿に向けて両手を合わせようとしたところで、悲鳴が響いた。驚いて辺りを見回す。客たちの視線を辿ると、地面に倒れる勇者の姿があった。
反射的に駆けだす。王や大司教が勇者に呼び掛けているが、反応している気配はない。
状態を検めようと勇者の傍らに膝をついた神父は、思わず手を止めた。勇者の服は背が大きく開く意匠になっており、横倒しになった今、髪が流れて肌が露わになっている。骨が浮き上がるほど痩せた体は強張っており、恐る恐る触れた指に、非情な現実を伝えた。
「どうして」
数々の疑問が脳裏を駆け巡る。混乱を沈めようとする王の声が、思考を素通りした。
「料理に毒が入っていたんじゃないのか?」
その声は入り混じる戸惑いの渦をまっすぐに突き抜け、事態を益々混沌へ突き落とす。
確かに、勇者の傍らには割れた食器が散乱していた。中身が残っていたのか、乳白色の液体が辺りに飛び散っている。
簡素な食器とスープには見覚えがある。
同じものを、神父も食べた。むしろ完食した。しかし、今のところ何ともない。食事途中で勇者が死んでいるの見る限り、毒だとすれば即効性だ。あの時、神父はおもむろに皿を取った。無差別に殺すつもりだったのか。直前に入れたのか。
「違う、よね」
見習いがやったと思いたくない。だが、状況は彼女を怪しく見せてしまう。
我に返り、真実を知るはずの相手を探す。おさげ髪の少女は、庭の隅で震えていた。
「見習いちゃ」
「お、おい、神父!」
咄嗟に向かおうとした体が、大司教の声に呼び戻される。そこに広がる光景に、目を疑った。
勇者の滑らかな肌から、次々と黒い鱗が生えていく。丸みを帯びた耳が伸び、僅かに開いた口元に、犬歯が覗いた。
極めつけは、骨ばった背から生える、真っ黒な翼。竜を彷彿とさせるそれは、魔族の証。
「ゆうしゃ、さま」
どうして一人で、あんな細身で。疑問の答えが、そこにあった。
戸惑いが、怯えが、怒りが、中庭を埋め尽くす。声が渦巻く中、神父は足元に倒れた勇者の傍らで動けずにいた。
もう一つの答えが、見えてしまった。
「勇者が魔族だったとは……」
「しかし何故急に正体を現したのだ?」
「……から」
声が掠れる。考えたくない。しかし、勇者と自分の違いは、そこにしかない。
「何だ神父。はっきりと言わんか!」
「スープに、御神木の、葉が」
簡素な食器。見慣れた食材。その組み合わせからは立ち上るはずのない、豊かな香り。
どうして気付かなかった。
「まさか、あの小娘……っ!」
怒号を上げた大司教に、王が説明を求める声が重なる。怒りに任せ話す大司教の声の合間に、王の安堵した声が滑り込んだ。
「危うく、魔族を英雄にしてしまうところだった。その娘に感謝せねばならん」
見習いはそこまで分かって、葉を求めた?
ならばどうして、倒れた勇者を見て怯えていた?
「見習いちゃん」
視線を巡らす。先ほどまでいた場所に、少女はいなかった。
「あれ?」
「神父」
探しに行こうとして、再度大司教の声に縫い留められる。
「これを御神木の元へ運べ。万が一目覚めては大変だ」
「…………」
神父は黙って勇者の体を抱き上げる。脱力した体はそれでも、驚くほど軽い。
見習いを探さなければ。混乱する心を沈めるように、神父は駆けだした。
体を押し付け、礼拝堂の扉をくぐる。すぐに、床に散らばる御神木の葉が目に入った。
風もないのに、どうして。
呼ばれるように御神木を見上げた神父は、目を見開く。
見習いが、縄を手に御神木の上に立っていた。
「みならい、ちゃ」
「わたしの、せいです」
縄は片方が御神木の枝に巻かれ、片方の先端は輪になっている。
「わたしの作った料理が、人を殺してしまいました」
降り注ぐ光に、頬を伝う雫が光る。
「料理人、失格です」
「見習いちゃん、早まっちゃ駄目だ!」
神父は勇者の亡骸を下ろし、御神木に駆け寄る。
「御神木様。わたしの命を捧げます。どうか」
輪に、小さな頭が通った。
「勇者様を、お救い下さい」
「見習いちゃん!」
少女の体が勢いよく落ちる。苦し気にうめく呼気が途切れる音が、聞こえた気がした。
御神木に縋りつく。登ろうにも取っ掛かりが見つからない。
一体、彼女はどうやってあそこに。
「だめだ! 駄目だ見習いちゃん!」
己の叫びの、何と無力なことだろう。
「御神木様! 駄目です! 連れて行かないで!」
手を伸ばす。
到底届かない。届くはずがない。
縋るように御神木を叩く。呼び掛けるように叫ぶ。
逸話が真実ならば。
真実であってくれ。
彼女を、助けて。
閉じられたはずの部屋の中で、風が動いた。
「え……?」
礼服が舞い上がる。御神木が葉を揺らす。
頭上が陰った。巨大な影は空中でぐらりと揺らぎ、それでも必死に均衡を保ちながら降りてくる。
竜のような翼。
両腕に抱いた、小さな体。
勇者は、床に舞い降りると同時にがくりと膝をついた。
「勇者様!」
「よかっ、た。間に合って……」
勇者は、激しく咳き込む見習いの背を優しくなだめる。呼気を乱しながらも瞳に生の光を宿す見習いを見て、神父の体から力が抜けた。膝どころか両手までが床に落ちる。
「よかった……」
「ゆうしゃ、さま」
呼気に紛れた声が、空気に溶ける。大粒の涙がこぼれると同時に、少女は勇者の首に縋りついた。
「ごめんなさい! ごめんなさいっ……!」
「いえ。分かっていて、飲みました。あなたは悪くない」
「そう、なんですか?!」
唖然とする神父に、勇者は寂し気な笑みを浮かべた。
「私は皆を欺きました。その罪を償うのに相応しいと、思って」
「欺いただなんて。勇者様はこの国をお救い下さったではありませんか」
「そんな高尚なことをしたつもりはありません。自分のためですから。それに、私を勇者だと思う者は、もういないでしょう」
王や大司教の様子が脳裏に浮かぶ。
言い表しようのない衝動にかられ、神父は両手を握り締めた。
「けれど、死に損ねてしまいました」
勇者は、謝罪の言葉を繰り返す少女の頭を撫で、ぽつりと呟く。すかさず、神父は言った。
「それを喜んでくれている子がいます」
真っすぐに見つめると、勇者は少し目を開いて、それから困ったように笑った。
「……そう、ですね。もう少しで、彼女に罪を押し付けてしまうところでした」
そうして、泣きじゃくる少女に視線を落とす。
「そんなに謝らないでください」
「でも、でも勇者さまっ」
「私も、あなたにどうしても伝えたかったことがあるんです」
きょとんとして泣き止んだ少女に、勇者は言う。
「あのスープ、とても美味しかった。ありがとう」
やっと止まったはずの涙が、またあふれ始めた。
扉の向こうから、話し声が近付いてくる。皆がこれを見たら、確実に騒ぎになる。
神父は足元に落ちている葉を拾い上げ、胸元に当てる。見習いの想いに比べれば、己の祈りは取るに足りないものだろう。
それでも。
どうか、二人の道に幸あらんことを。
神木の葉から、芳しい香りが立ち上った。
終。
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