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【短編】さいこう

 雲一つない空は真っ黒で、ぽつぽつと輝く星が、光の境目まで見えそうなほどくっきりと浮かび上がっている。
「目が良くなったみたい」
「は? 何言ってんのお前」
 頭上の景色を眺めてころっと出た言葉に、容赦のない台詞をたたき返された。ひどい。
「景色がすごくよく見えるから」
「あぁ、空気がキレイってことな」
 今度は呆れかえった口調で返される。やっぱりひどい。
 けど、一番ひどいのは。
「寒い。人多い」
 寒いのも外も嫌いだって知ってくるくせに、無理矢理連れ出された。
 夜も遅い、街の中を歩かされる。
 空から引きずり下ろされた星々が、あちこちの木々に縛り付けられながらも輝いている。
 近付いても全く温かくないそれに、沢山の人が群がる。
 人の声とここ最近飽きるほど聞かされた音楽と、眠りを妨げる光の世界。
「当たり前だろ。クリスマスだぞ」
「なんで当たり前なの」
 乾いた風は冷え切っていて、吸い込むと気管が一瞬で凍り付きそうな勢いだ。そのままパキパキと音を立てて喉が割れるんじゃないかと心配になる。身体の先端という先端の感覚がない。こんなに寒いのにわざわざ外に出る意味が分からない。
「そんなもん……何かしらにかこつけて騒ぎたいからに決まってんじゃねーか」
「それ、世の中の大多数を敵に回す台詞だと思う」
「急に普通の奴ぶるんじゃねーよバカ」
 同居人の身も蓋もない台詞に思わず突っ込むと、身も蓋もない現実を返された。
「むぅ……」
 首を竦めるぼくの傍を、沢山の人が流れていく。
 皆、見事に着ぶくれている。
 ダウンジャケット、コート、マフラー、帽子、手袋……。
 元々の体型が分からないほどにもこもことした塊がぎゅう詰めに移動する姿は、まるで羊の群れだ。皆、クリスマスツリーがごちそうであるかのように進んでいく。
 こんなに人で溢れかえってるのに、辺りの気温はちっとも上がらない。
「寒い。耳がちぎれる」
「お前な。たまには外に出て季節に体慣らしとけ?」
「外、嫌い」
「知ってるよバカ。こちとら毎度お前を引っ張り出すのにどんだけ苦労してると思ってんだ」
「出なくて良いのに」
「俺が良くねえ」
「なんで」
 唐突に会話が途切れる。顔を上げると、辺りは人だらけだった。いつのまに、波に呑まれている。
 あいつが見当たらない。はぐれたらしい。
「あー……」
 周りが歩くから自分も進むしかない。相方を探すために流れに逆らうようなエネルギーは見当たらず、仕方なしに流されていく。
 皆やっぱり着ぶくれていて、それはぼくも同じで。
 大量の着ぶくれた人間がひしめく様が、羊の押しくらまんじゅうに見えた。
 羊だったら、良かったな。
 ただ草を食んで、勝手にもこもこになって。寒くなったら寄り添って。
 何も考えなくても良い。
「ママー! パパー!」
 人の波のどこかから、子どもの泣き叫ぶ声がし始めた。
 どうやら、親とはぐれたらしい。
 この人混みだ。場所が分かったところで拾うのは至難の業だろう。その間に、踏み潰されないと良いけど。もしくは、誰かが上手くこの波を誘導してくれるとか。
 羊飼いが羊たちを草原に導くように。
 ……けど、もし羊飼いがいなかったら?
 羊は、羊飼いがいないと、生きられない。
 オオカミに襲われてしまうから。
 泣き叫ぶ子どもも、親に見つけて貰えなければ、生き延びるのは困難だろう。
 ぼくは。
 ぼくは、彼がいなくても、生きられるだろうか?
「ひゃっ?!」
 背中を鋭利な何かに突かれて、思わず飛び上がる。驚きとくすぐったさで変な声が出て、周りからの注目を浴びてしまった。
 恥ずかしさで必死に人の群れを飛び出す。何事かと振り返ると、波の中からあいつが姿を現した。
 手に何かを持っている。
「びっくりした。びっくりした! びっくりした!!」
 安堵と動揺で自分でも驚くほどの声が出る。
「そりゃそうだ。びっくりさせたんだから」
 ものすごくご満悦な顔を見せつけられて、腹立たしい。
「なんで?!」
「お前、いつも感情地の底這ってんだろ。たまにはかき混ぜとけ」
「ひどい!」
「ほら」
 珍しく荒ぶった声をそのままに文句を言ってやろうと思ったら、目の前に何かを差し出された。
 中身を潰さないようまるごと袋に包まれた、コットンキャンディ。
「なに?」
「変わり種綿菓子。お前、この間羊がどうとかほざいてただろ」
 そうだっけ。
 呆然としながら受け取る。串の先端が羊の顔になっていた。コットンキャンディを羊毛に見立てているらしい。
「……食べたいわけじゃないんだけど」
「知ってるよバカ。折角買ってきたんだから食え」
 この人混みをかき分けて買い物をしてきたとか、どんなガッツだ。しかも、人にお菓子を買っておいて、自分は紙コップで何かを飲んでいる。何件寄ったんだ。
 隣を歩いていると、ふわりとお酒の匂いがした。どうしてか、匂いの周りだけ温かい気がしてしまう。うらやましい。思わず、自分の持ち物を見下ろす。
 この寒空に綿あめなんて、とは思う。けど、何かと気を遣ってくれてるのは分かってるから食べることにする。
 飴部分を潰さないように袋から取り出す。揺らめくように立ち上る飴細工が、ふわふわと串を覆っている。
 こういうのって、どこから食べて良いのか迷うことが多い。けど、串に巻き付いた飴の一部がくせっ毛みたいに跳ねていたおかげで、悩まずに済んだ。
 端っこを食んで引っ張ると、帯状の飴がキレイに剥がれ始めた。思わず両手で串を持ち、回しながら解いていく。急いで食べないと飴が手袋にくっつきそうだ。
 綿あめって、こんなキレイに解けるものだっけ?
「すげぇ食い方してるな。お前が器用なのか、店の人が器用なんか」
 人が必死になるのを楽しそうに眺める相方に文句を言う余裕もない。一瞬のふわふわと、次の瞬間にはシュッと溶けたベタベタが、口の中で交互にせわしなく積み重なっていく。
 結局、全部食べ終わるまで止まれなかった。
「……甘い」
 今、この世界で一番口の中が甘くなってる奴だと思う。
「そりゃ、綿菓子なんだから当たり前だろバカ」
 笑い方が小馬鹿にしているようで、ちょっと腹立つ。
 こいつは、それが自分の鳴き声であるかのように、バカと繰り返す。
 ……違うか。彼にとって、バカはぼくの呼び名なんだ。
 世の中からはみ出てるどころか、人間からもはみ出て、そのうち人生からもはみ出てしまいそうなぼくは。
 かろうじて、彼に、繋ぎ止められている。
 食べ終わった後の串は、先端が羊で、後はただの細長い棒で。なんだか、とても悲しい見た目になってしまった。なんでこんなデザインにしちゃったんだろうと思う。
 本物の羊も、毛を刈られるとこんな感じでほっそりしてしまう。ふわふわな毛皮は守りとしては弱いのかも知れないけど、それすら剥がされてしまった彼らは、とても頼りない姿になってしまう。
 もちろん、暑いからってのはあるんだけど。気温に関係なくもこもこしていたい奴だっているかもしれない。
 でも文句は言えない。だって、群れからはぐれたらオオカミに食べられてしまうから。
 だけど折角良い子にしていても、毛を刈られた羊は、その後ジンギスカンにされちゃうかもしれない。
 結局、羊の運命は羊飼い次第だ。
「……再考だなぁ」
「ホント、寒い中飲む酒は最高だ」
 そっちのさいこうじゃないんだけど。ま、いいや。
「ね、なんでぼくのこと外に出したいの」
 はぐれて答えを聞けなかった問いを、もう一度投げてみる。
「は? んなもん、一人でこんな浮かれてるとこ来たって何も面白くねーからに決まってんだろが」
 相方は、事もなげな顔で言った。
「自分が楽しむためなら、外が嫌いな奴を巻き込んでも良いんだ?」
「んじゃ、俺が戻らないせいで夕飯抜きになっても良いんだな?」
「…………」
 駄目だ。分が悪い。
 ぼくは、この気ままな羊飼いについて行くしかないんだから。
「ほら。飯食いに行くぞ」
「うん」
 どこに行くかも分からないまま、彼の後に続く。続くしかない。
 ただ、今日だけは。
「ジンギスカンは嫌だ」
 ぼそっと呟いたぼくの言葉に、相方は楽しげに笑った。
 
 終。


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