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【短編】箱庭の魔王

「なぁ、やっぱりおかしくないか?」
 勇者の声に、一行が振り返った。
「魔王が世界を脅かしてる。分かるよ。だからあちこちで問題が発生してる。それも理解できる。だが、なんで毎度おれが街だの村だの洞窟だの森だのに足踏み入れた瞬間に、事件が発生するんだ?」
 次の目的地までの街道沿い。見晴らしがよく、奇襲される心配がない。他に人もなく、愚痴に似た疑問を聞かれる恐れもない。魔王城までは残り一つ国を越すばかりで、悠長に問うなら今しかない。なんなら一息ついた瞬間に次の何かが発生しそうで、歩を止められない勇者は仲間たちを追い越しながら言葉を続ける。
「しかも、おれが勇者宣告受けて城を出て、いかようにも経路はあるはずなのに、おれの実力に合わせて魔物が強くなってる気がするし。なんなら経路も誰かに導かれているというか、意図的に組まれた順番で巡ってる気がするし。魔王側はおれが来たらイヤだろ。最初から強いヤツ寄こして潰せばいいのに、何で鍛えてくるんだよ?」
「魔王もどうせなら強いヤツと戦いたいってことじゃねーか?」
 もっとも長身の戦士が、重々しい大剣をものともせず勇者に歩調を合わせる。だが、言葉の内容はまったく寄り添ってくれていない。
「存在一つで世界中抑圧するヤツが道場破り希望、なんて、イミわかんないって」
「気にしすぎだよぅ、勇者。勇者だってよわよわな時に潰されて、ヘンな伝説残されるよりいーじゃん」
 魔法使いの気楽な笑い声が追いかけてくる。その明るさは、廃墟すら娯楽施設に変えそうな能天気ぶりだ。
「いや、まぁ、確かに。不本意な死に方はしたくないけども。どうもこう、仕組まれているというか」
「女神さまのお導きを魔王の所業と考えるとはなんたる言い草! バチが当たりますよ!」
 急に小走りで勇者を抜いたかと思うと、僧侶が烈火のごとくまくし立てる。勢いのまま歩み寄ってきたため、勇者は後退を余儀なくされた。
「アッ、ハイ、スミマセン……」
 女神を奉る教会に仕える僧侶としては聞き捨てならないのかもしれないが、本当に女神の仕業なら、一度顔を見せてくれればいいのにと勇者は思う。
 おかげで、導きか罠か、判断できない。
「大体、よわよわな勇者が魔王城に一直線で玉砕、なんてことになったら、女神様の沽券に関わるじゃありませんかっ!」
 勢い収まらない僧侶の言葉に、勇者の頬を一筋の汗が伝う。
「……おれ、そんなバカだと思われてんの?」
 一応は、自分だけにしか倒せない敵、開けられない扉、使えない魔法の数々を体験した。多分周りが言うように、自分が勇者で間違いないのだろう。
 ただ、どうして自分が、という疑問は拭えない。本当に無能だと思われているのなら、最初から有能そうな相手を勇者に選べば済むはずなのに。
「とりあえずお人好しではあるよな」
「何かと細かくて心配性だよねー」
「女神さまのご加護を蔑ろにするバチ当たりですっ」
 勇者の頬を、二筋目の汗が伝った。
「……お前らがおれをどう思ってるのかはよーく分かった」
「オレはほめただろ?」
「あー、まぁ」
「お前、どんな内容でもホイホイ依頼を受けるからな」
 肯定しようとした勇者は、続く戦士の台詞に眉を寄せる。
「褒めてないじゃんか……。大体、あれは義務なんだよ。言ったろ?」
 勇者は、勇者というだけであらゆる行為が正当化される。たとえ物取りだろうが殺人だろうが理不尽な言動だろうが、容認されるのだ。
 とはいえ、勇者は他人の家をあさる趣味も、意味のない殺しも、不要な接触も好まない。この特例がありがたいと思えたのは、巻き込まれた事件でやむを得ず誰かの命を奪わなければならなくなった時だけだ。
 その代わり、勇者はあらゆる依頼を拒否する権利を有しない。つまり断ってはならない。
 勇者になれ、という命令から始まり、人探し、物探し、調査、物資の運搬、片づけに遊び相手にと、あらゆる雑事を求められる。もちろん、表向きには魔王討伐に関わる依頼のみにかかる規則だが、一般市民に境界線を引く技量はない。痴情のもつれの解決や、逆に色恋沙汰の橋渡し、なり代わりの王の弾劾に、娯楽施設の監視役と、勇者に関係ない仕事に駆り出されたことは、一度や二度ではなかった。
「お前がちゃんと線引きしてやりゃ済んだ話がいくつもあるぜ?」
「そうかもしれないけど、それで恨みを買って追いかけ回されるのはごめんだよ」
 もしも勇者たちが生還すれば、人生は続く。どんなに魔王討伐の栄光を纏っても、心証が悪ければそれまでだ。人間は遠くの魔王より、目の前の悪者を憎む。少しでも平穏に生きたいと願うなら、余計な軋轢は作らない方がいい。
「そう言ってホイホイ受けるから、荷物が増えんじゃねーか。お前の不手際を背負わされるのはオレだぞ」
 戦士がこれ見よがしに荷物袋を揺さぶる。そこには、薬草などの他に、受けたはいいが持ち主の知れなかった物が入っている。
「……それは悪いと思ってるけども」
「そういえばさー。結局あの本たちはまだ持ってるんだっけ?」
「というか、もうその本だけなのでは?」
「おかげでかさばるし重いしで最悪だ」
「……だから、悪かったって」
 俎上に載るたび茶化される話題に、勇者は辟易とする。
 旅立って間もない頃。落とし物を届けてほしいと、一冊の本を渡された。
 しかし、村の中はおろか、国の中にも、持ち主はいなかった。
 仕方なく国を移動すると、また本を託された。筆跡や装丁から、どうやら同じ人物の持ち主であることが窺える。
「……私の適正では、《箱》が精一杯だった。恐らく、いずれ種が尽き、袋小路に至るだろう。最後の手段に至る頃には、私は殆どの記憶を失っているかもしれない。その時のために」
「うっわ、お前それ全部覚えてんの?」
 無意識のうちに諳んじた言葉を聞きつけ、戦士が顔を顰める。
「いや、あまりに持ち主見つからなかったろ? もしかしてどっかで鍵みたいな役割果たすのかと思ってさ」
 さすがの勇者も預かった本すべてを記憶しているわけではない。ただ手掛かりを求めて読むうちに、最初に預かった本の内容を覚えてしまっただけだ。
「けどあれ、古文書ってよりは日記みたいだったよ?」
「そうですか? あまりに現実ばなれした内容なので、物語の類だと思っていました」
「何でもいいよ。次の国で下ろせるなら」
「そう、だな」
 次の国が最後だ。ここで持ち主が見つからなければ、いよいよ処分を検討しなければならない。意図も用途も分からない拾得物を個人の判断で捨ててしまうのは心苦しいが、余計な荷物を魔王城に持ち込むわけにも行かなかった。
 ただ、懸念は残る。
「魔王城の鍵とかだったらどうしよ……」
 
 懸念は、最悪の形で回避された。
 勇者が街へ一歩を踏み入れた瞬間、凄惨な光景が飛び込んでくる。
 頑丈な石造りだったはずの建物は崩れ、調度品の類いは焼けて塗り広げられ、足下を埋め尽くしている。燃えた煙と舞い上がる埃が混ざり合い、空気を濁らせていた。
 人の気配はない。逃げ遅れたのか。手遅れだったのか。勇者に知る術はなかった。
 分かるのは、空を埋めつくすほどに飛び交う有翼生物と、破壊行動を続ける種々雑多な亜人と獣たち。その中心でゆっくりと勇者たちを振り返った存在が、この街を滅びへ追い込んだことだけ。
 硬質の鱗に包まれた肌。見上げるほどの巨体は岩山のごとく隆起し、手も足も人間の数倍はある。
 豪奢な法衣服にはあらゆる強化魔法の印が刻まれた宝石がごろごろとぶら下がり、握られた杖も人の骨などたやすく砕かんばかりの凶悪な形をしていた。
「ま、おう……なのか?」
 明らかに敵である存在を前に、勇者は呆然と訊ねた。
「そうだ」
 まるで道ばたで友人に出会ったような気安さで、魔王は答えた。
「お前が通る最後の場所だ。相応しい催しを企画したかったが……なんとも陳腐なものを選んでしまった」
 魔王城最寄り故に襲撃を受けて滅んだ国、なのだという。
「済まぬな。考えに時間を取られ、準備が間に合わなんだ」
 魔王は、秘密裏に準備した誕生日会が露見てしまった、とでも言わんばかりに微笑む。勇者の中を冷たいものが通り過ぎ、そのまま奈落まで内臓を持ち去られたような感覚に陥った。
 勇者に合わせて強くなる魔物。行く先々で発生した出来事。今までの旅路が、走馬灯のごとく脳裏をよぎる。
「おま、えの、仕業、なのか?」
「私以外の誰が、この世界に干渉する?」
 魔王の杖が、耳障りな擦過音を立てた。
「私が望むほどに強くなったか? 勇者よ」
 そのために。そのためだけに。
 人々を混乱させ、怯えさせ、惑わして。
 この街を滅ぼしたというのか。
「勇者!!」
 仲間たちの制止が遠く霞むほどの勢いで、勇者は飛び出していた。それと入れ替わりに、膨大な数の魔物が、後ろに残された仲間たちめがけて突っ込んでいく。
「っ!」
 咄嗟に足を踏み込む。勢いに引きずられながらも、身体が急停止しようとする。振り返ろうとした勇者の頬を、赤黒い炎が掠めた。
「人の心配をしている場合か?」
 勇者と魔王の間に障壁はない。二人を避けるように、二人が戦う場を作るように、魔物たちは流動的な壁となって移動する。
 逃げ場はない。逃げるつもりはない。剣を引き抜き、魔王に向けて掲げる。この時のために鍛えた魔法を口の中で紡ぎ、駆け出すと同時に放つ。
 黄金の煌めきを放つ雷が、魔王めがけて飛び込んだ。それは魔王の掲げた杖の編み出す障壁に阻まれ、しかし勢い収まらずに押し進もうとする。弾かれた雷の欠片が辺りの魔物に当たると、それらは一瞬で灰となり、地面に零れた。
「ほう……」
 魔王の口から満足げなため息が漏れたのが、勇者の怒りを煽った。魔法を出力したまま間合いを詰め、剣を叩き込む。重い金属を打ち鳴らす音が響き渡った。
 障壁に僅かな綻びが生まれる。押し切ろうと踏み込んだ勇者を、魔王は腕の一振りでなぎ払った。身体が吹き飛ばされる。受け身を取ろうとした勇者の背中が、種々雑多な何かを押し潰す。背骨を通じて、堅い物と柔らかい物が壊れる音がする。何かを代償に、勇者は無傷で済んだ。
「へっ?」
「一人で飛び出すな!」
 戦士だった。どうやら、荷物袋で勇者を受け止めてくれたらしい。驚いて口が半開きになった勇者の視界に、降り注ぐように襲いかかる魔物の姿が見えた。咄嗟に上げた手よりも先に、派手な爆発が頭上を包む。煙の下から、焦げた塊が相次いで落ちていった。
「心配性どこいったのよバカ!」
「悪いっ!」
 地面に下ろされた勇者は、大量の魔法と同時に罵声の言葉を紡ぐ魔法使いに反射的に応じる。おかげで自分たち目掛けて飛んでくる炎の波に反応が遅れた。と、三人の前に、影が飛び出す。
 僧侶は、掲げた杖から放たれた光で魔王の攻撃を防いだ。炎が四人を避けるように流れていく。
「あなたを導いたのは女神様ですっ! 真実を踏み躙る魔王なんかにやられたら承知しませんからねっ!」
「ハッ、ハイ……ソウ、デスネ……」
 振り返るなり勢いよく顔を近付けてきた僧侶に、こんな時だというのにたじろぐ。思わず下がった勇者の背を、戦士の手が押した。
「ほら、行くぞ!」
「おっ、おう!」
 雪崩のごとく襲いかかる魔物たちを魔法使いと戦士がなぎ払い、敵側から降り注ぐ魔法を僧侶が防ぐ。魔法を口の中で紡ぐ勇者の眼前で、魔王が杖を掲げた。極彩色の闇が杖の先端に集う。明らかに今までと別種の魔法が紡がれている。
「ちょっとちょっと! 妨害早く!」
 魔法使いの声が上擦る。そうしたいのは山々だが、勇者の魔法はまだ完成していない。魔法使いと戦士は両側から迫る魔物を捌くのに手一杯だし、外野の攻撃を防ぐ僧侶に他の魔法を打てというのは酷だ。
 このままだと、正面から攻撃を食らう羽目になる。
「だーもう! さっき多分潰れたからもう良いよな?!」
 自棄っぱちの戦士の怒号が響いて、勇者の傍らから何かが射出された。
 荷物袋だった。
 重量のあるそれが砲弾のごとく飛んでいく。勢いのある影に、魔王の注意が逸れた。視線と同時に杖の向きもずれる。未完成の魔球に袋が触れた瞬間、中身がはじけ飛んだ。
 勇者たちと魔王の間で、旅の軌跡が舞い上がる。
 薬草が、パンが、鍵が、縄が、瓶が。
 預けられた本たちが。
 あるものは元の形を保って、あるものは無残に引きちぎられて宙を舞う。命を賭けた決戦の最中生まれた気の抜ける光景を、その場にいた全員が唖然として見守る。
 魔王の頭上に、本のページが踊った。鱗に覆われた手が、徐に伸ばされる。
 はっとした勇者は、弾かれたように駆け出した。紡いだ魔法を剣に載せ、魔王の懐へと飛び込む。気付いた魔王が伸ばした腕よりも先に、剣の切っ先を胸元へと注いだ。
「がっ……」
 勇者の剣は、魔王の肌に触れた瞬間光を放った。泥に棒を突き立てるような容易さで、刃が邪悪な存在の内側へ穿たれていく。
 漆黒の液体が噴き出し、傷口が広がる。その亀裂に沿って剣を振り下ろす。魔王の身体に、三日月を思わせる傷口が生まれた。確かな手応え。
 間髪置かずに、勇者は剣を構えた。次の一撃で仕留めるつもりだった。
 それが、魔王の浮かべた表情を前に停止する。
「なんで、お前」
 声が震えているのが、自分でも分かった。
「笑って」
 最後まで言うことは叶わず、世界は唐突に消えた、、、、、、、、、
 

 
 ゆっくりと瞼が開く。
 真っ白な天井が見えた。否。天井があるのかよくわからない。視界の全ては白く輝いており、境界線のようなものが見当たらない。
 ゆっくりと体を起こす。“魔王”は、己が随分と小さくなったように感じた。
 小さく、細く、弱い。胸板は薄いし、体を覆う皮膚も柔らかく頼りない。
 骨張った手で、そっと体を撫でる。
 あれほど生々しく感じた鋼の感触。痛み、苦しみ。それが与えたはずの傷は、微塵も残っていなかった。
 直前まで全身を満たしていた喜びは霧散し、重苦しい現実が鉛のように溜まっている。
「駄目、か」
 “魔王”は辺りを見回す。傍らに、いくつかの古びた本が落ちていた。
 手近な物を開いてみる。
『私  正      が精 杯だっ  恐らく、  れ  尽き、    至る   。最    に  頃  、私は どの  を     かもし  い。その の  に』
「…………」
 “魔王”は記憶を手繰ろうとしたものの、考える端から思考が解け、消えてゆく。
 とても大切なものだった気がする。しかし、それを手繰るための手段も、方法も、“魔王”には残されていない。
 出来ることは、一つだけ。
 “魔王”は呼ばれるように振り返る。部屋の色彩に溶け込み、それは静かに瞬いていた。
 複雑な光の模様が走る、白い《箱》。
 “魔王”はそれをそっと手に取った。光が強くなり、“魔王”の思考が世界を満たす。
 もっと強力な攻撃が欲しい。
 私を完全に消し去る力。
 そのためには、あの勇者よりずっとずっと強い勇者でなければならない。
 私を確実に殺してくれる勇者でなければ。
 私をこの牢獄から救ってくれるのは、勇者だけ。
 初めは、そう、配下の魔物たちの担当区域を決めるところから始めよう。
 勇者には確実に辿り着いてもらわなければならないから、最初の村周辺は弱くして……。
 
終。


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