昭和の夏の日の思い出(肝試しとスイカ割りと行水と)


えーモンブランパークでございます。
今は見かけなくなりましたが、
1963年(昭和38年)生まれの私の小学生の頃の夏休みの思い出に、肝試し、スイカ割り、行水というものがありました。

肝試し。
子供たちが近所のお寺に夜、集められて。
2人1組になり、夜のお墓を歩いかされます。
5年生、6年生は、脅かすかかり。
今思うと、お墓の中をあるくのは、罰当たりのような気もしますが、亡くなった人も、喜んでいたということですね。子供達の声が賑やかで。
考えてみると待っている5、6年生も怖かったのではないかと思います。

でも、今だと子供達にお墓の中を歩かれたり、踏まれたりしたら、檀家の人とかも許さないでしょうね。
落語は、お寺の和尚さんが、近くの人を集めて話をしたというところから始まったということでしたから、お寺は、その昔まで、地域に根付いていてんですね。
私の小学生の頃も、お寺の境内で、ハンドベースボールをやっておりました。

スイカ割なんていうのも地域の子供会には、なくてはならない行事でした。
昭和のスイカは、中がスカスカのなんてのも結構ありましたね。
八百屋の店先で、スイカを人差し指と中指の第二関節のところで、とんとんと叩くのなんて当たり前。買う前に。
商品叩いといて買わない。
八百屋さんも、そんなことでは、文句いませんでした。

それで、スカスカの軽い音がするのをはけて、スイカ割に利用たり。
スイカ割り。
一度は、やったことある方、多いのではないでしょうか。

スイカ割りをする人は、目隠されて、身体を二、三回くるくると回され、棒でスイカを割ります。
割った人が勝ちとかいうのも、なかったですね。
もうこんな事もしないでしょね。清潔でないなんてことになって。
スイカ割りは、浜辺でも必ずやってましたね。

夏の子供会でも、浜辺でも、割ったスイカを食べてた時、ありましたから。
いつからか、スイカ割のスイカとその時食べるが別々になりました。

行水なんてのもありましたね。お風呂は、家になかったですから。私の住んでる周りの家もほぼ同じでした。
行水も、なんか楽しかったですね。

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