子供の頃から、父親と同じ年齢56歳で、必ず死ぬと思っていました。
他の方のnote読んでいたら、思いを書くとよいと書いてあって。
なるほど思い、感じたこと、感じていたことも書いて行くことにします。
私、今、57歳。子供の頃から、56歳で、ずっと死ぬと思っていました。
父親が死んだのが、中学3年の4月。クラス替えがあってすぐの頃。
難病(筋萎縮性側索硬化症)
これは、一度聞いて、ずっと頭に入り、忘れることはありませんでした。ALSという言い方もしていませんでした。
短い英単語でもすぐ、忘れてしまうのにと、子供の頃から不思議に思っています。
闘病生活は、2年ほどだったと。45年ほど前ですから、病名も殆ど知られていなかった。
父親が56歳で死んで、20歳の頃には、自分は 、父親よりの年齢より、先に死ぬ。55歳までに死ぬとずっと思っていました。
誰に言われたわけでもないのですけど。
父親より長く生きるという感覚がなかった。悲観してるということでもありません。普通に感じていました。
結婚しても、その気持ちは、変わりませんてました。
私は、4人の娘たちに恵まれました。
私と4番目の娘と年齢さが、私と父親と同じ年齢差で、私は、娘が中学3年の時に死ぬのだろと思っていました。そこまで、生きたいと。
ただ淡々とそう、信じておりました。
家内にも、付き合っていた頃から、話しをしていていました。
でも、その感覚を共感しますという人はいませんでした。(笑)当たり前ですけど。
そんな時、子供の時にお父さんを亡くされていた俳優の中井貴一さんがをテレビで話されていました。
父親の亡くなる年齢までしか、自分の生きているイメージがつかない。
同じように考える人がいるのだと、なんかほっとしたことがありました。
でも、55歳の正月でした。
あれ、自分は、もしかしたらしなないのかなと。
生きれる、いやその時の正直な気持ちは、
生きるのかもしれないと。
それまでは、55歳で死ぬのだからと、生きておりました。
でも、その先を生きる、もしかしたら長生きをするとなると考え方、行動も変えていかなければならないと考えるようになりました。
ある意味肩の力が抜けたというか、やる気が出たというか。
で、いろいろとにかく動こうかと。
それから、仕事でも、プライベートでま、今までとは違うスタンスでやって行こうと。
落語習いはじめたり。
後、笑われるとか何か言われたら、恥ずかしということも考えないようになりました。
今までならやらないと考えてたことをやってみようと。
コロナ渦になってやろうとしていたことをやめたこともいくつかありましたけど。
noteは、やってみる新しい試みの一つ。
父親の年齢を抜いた時、父親に勝ったという考えも浮かびました。よくわからないですが。
これからも、身体が動く限り、いろいろやって行いきます。出来うる限り笑っていたい。
一分、一秒が大切になりました。
今日も、生きれた事に感謝。
57歳。いや40引いて17歳だ。(笑)
そう思えば、定年後ではなく、未来が待っている。そう考えるようになりました。