1/1113:00公演 舞台「1925-2025」
何度見ても目に、心に強く残るシーンが変わったり変わらなかったりするなあというアレ。
ダラダラ脈絡なく前後関係を無視して書きます。
アフタートークで「にしがわ」がノンポリ側だってことが分かったのにびっくりした。ノンポリだったのにああなったのは結局主張したい事はあったけど周囲とのノリにギャップがあったのか、いやでも本編中の「にしがわ」結構アホっぽいのでああ言う奴ら(インテリで意識と主張が強い系?)に憧れてたのかな。
「日常」をずっと吸ってた方、どの時代だったのか知りたかったなあ。
本編中の「だいご」が前回見た時は脳筋24時間労働マンだったのに今日はなんだか哀しさが増していたな。なんか、「頑張っている自分は頑張っている、だから自分はダメじゃない」って言い聞かせているような…
あの人が頑張れば頑張るほど見ているこっちは哀しいな、と思う。
「自分の中の敵と戦っているけどそれだとどんどん自分が傷ついて、痛い、つらい」と言うようなことを言っていた最後のくだり、結局一番の望みはそこからの解放じゃないのか…?とか…
何度見ても「林田」の少女然とした所から女王のように振る舞って最後現在の自分として弱音を吐いていくの、とても美しく強いのに脆くて良いなあと思う。眩い…
強いスポットライトで照らされながら円環状に並べた椅子の上を歩くシーン、とても美しい…
全員のコートに何か小ネタあったりするんかな、とじっと見ていたけれどもそう言う感じじゃないか…ちょっと中の服と合わせている人もいたけれども大分ラフなコートってだけの人もいたからな…
情報を発信しなくては、知らなければ、と足掻く事を否定して「小さな世界が幸せであれば充分」と言う葉子は蒙昧かとも思ったけれども許容量を無視して無尽蔵に得た情報で逆に胡乱になっていくのもあるよなあと思うと難しいよなあ。
情報ソースのどれが正解で信用に足るかって判断するの難しいもんな…
デカい主語で語る、「林田」や他の人たちと「私」で話す「葉子」の対比だなあと思った。
身の丈に合った主語で話し、望むことの話か…?と今日は思った。
しかしこの舞台めちゃくちゃお腹が減る。見てるだけでも消費カロリーを感じる…