朗読劇 文豪LETTERS
感想文にすらなるのか微妙な雑感メモ。
ネタバレなのかは人による。
手紙で朗読劇とは?と思いながら行ったのですが手紙を主軸に、合いの手を入れたり、背景状況の説明を入れたりしながら複数の文豪の人柄を紹介する、と言うような演目だった。
出てくるのはあー国語の文学史の授業でお名前は見ましたねーの方から教科書に作品が載ってましたねーの方まで。割と業界狭いよね?と言いたくなるくらい密度の濃い「この人とこの人は親交があって」で広がっていく。
その手紙と説明を自分が行った回では竹中さんと磯野さんという同じ劇団コンビが演っていた。そもそもそのキャスティングだったので観に来た。チョロ客。
主軸は夏目漱石でそこから友人の正岡子規、門下生、門下生の友人、そのまた友人や漱石の奥さん、と広がっていく。
夏目漱石の知識がいろんな媒体で読み漁った(原作、ドラマCD、コミックス、アニメ)「こゝろ」と飼い猫が亡くなったので今年は喪中です、と年賀状の断りのハガキを出した人、あたりしかないのだが、大分情緒的で人間性のある方だったのだなあという印象を受けた。まあ門下生を取る程だし今回の劇の冒頭で「手紙は貰うのも書くのも好きだ」と言ってたのでそらそうだろなのだが。
特に正岡子規とのやりとりが楽しく、病床でえずき咳き込みながらも筆を取る子規とこまこまと訪問してる上に手紙も書く漱石の図が最後、異国の地で働く漱石が病床の子規の結果的に最期の願いのなってしまった「また彼の地の面白い話を手紙で寄越してくれ」を叶えられなかった果てに繋がり、芥川龍之介の自死と彼の周囲の人々の想いが交錯する様がとても美しかった。
死んでしまうこと、生きていくこと、生きてほしかったこと、それでもやはり死ぬしかなかったと決めてしまったこと、それらに対するそれぞれの想いを代弁するようなそれぞれの作家の作品内の「ことば」で締め括られたが、何より漱石の手紙内で繰り返されていた「とにかく生き延びることが肝要だ」という風なことばが印象に残る構成だった。
自分は骨の髄まで藤原基央の言葉でひたひたなのでそれを聴いて藤原基央も同じようなことを折りに触れて言っているよな…とぼんやり思った余談。
演出はピアノの生演奏と朗読だけかと思ったが効果音もあり、まあ当然ながら照明もあり、会場がプラネタリウムのドームだったことからプロジェクターの演出もあり、(正直プラネタリウムが好きな人間としてはプラネタリウムは無くなってしまったのか…と少し残念に思ってしまった)演者もただ座ったり立ったりのみよりもっと大きく立ち回ってマイクなしで話ながら身振りを入れたり、と先日観たROOMとはまた違った演出が面白かった。
特にマイクを通さない生声での演技を見る機会は少ないのでそこは特別感があって特に良かった。
思ったよりアドリブ?フリーな部分を入れられる場面もあったようでそこはこちら(彼らの劇団が好きなタイプの客)が喜びそうなゆるい掛け合いが見られたのも満足度が高かったように思う。
終始生きるのだ、生き延びるのだ、の舞台ではあったが最後の夏目漱石の引用が「先生」の遺書の最後の一節の引用だった事を思いながら、その前の芥川龍之介の苦悩の遺書も思い出し、どうにも自分は「こゝろ」の友人Kの遺書「私は薄志弱行で到底行先に希望がないので死にます。」が過ってしまった。なんでこんなすらすら出てくるってこのKの遺書に大層自分は共感しているからなのだが。
学生の時に読んだ資料集で芥川は「自分の母親のように自分も気が狂う前に死にたかった」というようなコラムがあった記憶があり、それもふと思い出していた。「気が狂う前に死にたい」で実行した場合、それは正常な判断だったのだろうか、
とか、学生でそれを読んだ当時も今も少し思わない事もないが。
話が微妙に逸れるが去年の夏の東映特撮の映画でキングオージャーは「強権を持たない人間からしたら生きることは地獄だ」と言っていた。
なんだか生きるとか死ぬとかそう言う系の話ばかり観ている気がしたがそもそも根底でズブズブにBUMP OF CHICKENが好きなので結局そう言う話ばかり観て、考え込んでしまう人間なのだろう。自分は。
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