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映画「徒花」

SNSで予告編を見て、これは絶対観に行きたいな、と思っていた映画。
とても難しく、大切な話。
以下ネタバレ入りの脳直メモ。

上流階級用の病院を経営する一族の主人公、病に侵されて余命幾許も無いが、彼はその運命を退けるための手段、「自分のクローン」を持っていて、「それ」から臓器の提供(?ふんわりとしか明示されない)を受ける手術の日までのメンタルケアを受けている…

最初は単純な病気の進行への不安、母親からの厳しい(?)教育のトラウマ、自分の人生に対する虚無感の話をしていて、それが故に食が細り、無気力だったのが、「それ」と面会する(通常のドナーと一緒で普通は面会は禁止されているのを権力で押し通した)事によってどんどん記憶が掘り起こされていき、活力が湧き、同時に「それ」への同情や罪悪感も湧き、主人公を見ているカウンセラーもそれに触発され…と移ろっていく心情が行動の端々で滲むのが美しい。
「それ(クローンのことを劇中では一貫してこう呼ぶ)」が「オリジナルのドナーとして生かされている」事を理解していて、その上で「本来会うことはないオリジナルに会えたことが夢のように嬉しい」という姿がとてもピュアで美しい。子供のような仕草と真っ直ぐで少し淡々とした言葉が、自分が好きな「人間にひたむきに好意的なロボット」と重なって愛おしくうつる。
良かれ、良かれと人間に好意的で献身的なロボット、SF作品において大好きな立ち位置のキャラクターなので。美しくて愛おしい。
「自分は次世代に続かない「徒花」だけれども、その生は無意味じゃない」という「それ」はとても美しい。

「父親が大事にしていた小鳥を傷つけてしまったこと」「小鳥を生き埋めにする事で母親と一緒に証拠隠滅をした事」「「それ」の廃棄場を見た記憶」「海辺で出会った不思議な自称ウェイトレスの女性」様々なタイミングの記憶が主人公の中でオーバーラップして錯乱する。主人公と感覚を共有している「それ」もその錯乱を感じ取るのか自室で枕を破いて暴れている。

主人公の他の「それ」からの臓器や身体パーツの提供を受ける、受けたがっている人々のエピソードももう少し見たかったかもしれない。あまりに彼らは断片的だったので…
不正なIDを使ってでも子供の病気のために子供に「それ」を作らせたかった母親
脳外科医として名を馳せながら認知症で「それ」からの脳の移植をしようとしている老人
ピアニストで指がうまく動かないので「それ」から手を移植?しようとしている老婆
「それ」からの移植を受けられるのは特権階級の人のみで、「それ」の作成はとても厳重に管理されて身体から記憶までオリジナルと限りなく近くなるように調整されている…それでも小さな差異はあって、「それ」とオリジナルはまったくの同一人物ではない…
主人公は虚無感の強い自分の人生を「それ」を使って延命するより「それ」が自分に成り代わって自分の人生の続きを生きる方が良いのでは?と言い出す。彼は自分のなれなかった人生の果ての時自分だ、と。
本人はそれで良いのかもしれない。周囲は不連続な、本人そっくりの「それ」は別だと思うけれども。
ガンダム00を見て、一期と二期で一人のキャラクターが見た目も声優も同じだけど別人になって、それがキツくて1週間食欲がなくなった挙句に物語の続きを見ることができなくなった事を思い出した。
どうしたって同じではないし、上手くはいかないと思う。
本人のエゴや希望だったとしても。

「それ」と面会しなければ無頓着でいられたし、やはり会わないというルールは合理的だったと思うが、「それ」と会った事は本人にとって救いの選択肢を垣間見ることができたのだろうな、と思う。後から絶望が湧いたとしても。

どこかで起こり得ると思わせるギリギリのリアリティのSF。
自分は「それ」は望まないだろうな、と思った。

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