最近、感じていること(備忘録メモ。長め)
最近、走りメモばかり。
忘れないようにと。でも、最近ゆっくりまとめたいと思ってた内容が既に8/26のnoteに書いてあって、呆れた。笑
話が噛み合わないのは、目指している先や現在のフィールドが違うから
この1-2年、特に産後は、社会人になってから出会った方々の中で、今まで大好きだった、尊敬している先輩とご飯に行っても、以前のような充実感?を得られることが少なくなって(全員ではないし、不満があるわけでは決してない。ただ自分のテンションが想定していたより上がって終わらなかった、というだけの話。大好き度にも変わりはない。)、どうしたものか、と本当に思い悩んでいた。自分は誰に本音を話せるのだろう、そういう人を失ってしまったのか、、、と。
でも、もうその対人関係や人に固執?する必要もないんだな、と。どっちが上とか下とか、優劣はないけど。
私の今生きているフィールド、将来像が、目の前にいる人と変わってしまっただけの話なのだ。
私とは違うけど、アラサーミドサー女性のnoteには、よく昔仲良かったはずなのに、キャリア、妊娠出産、等々の考えの違いで、疎遠になっている友人関係に悩むnoteが多い。それと一緒なだけじゃん、って気づいた。
今の私に合う、新たな人間関係を築けば良いのだ。占いにも書いてあったじゃないか。と。笑
(昔からの知り合いを否定しているわけでは決してないのだけど、この表現が難しい。むしろ、長年会っていなくて、会いたい人は多い)
占いと言えば、ゲッターズ飯田の占いに、新しいお店、新メニュー、を選べって書いてあって、とにかくそれをバカの一つ覚えで実践しているのだけど、気分が新鮮になるので、良いなぁと思う。
これまで信頼できる有名な占い師さんの本は、行動の契機になると思って、実践してきたつもりでいたけど、まだまだだな。やっていると思っていたけど、思い込みだったな、と思い知らされている今日この頃。
周囲が活動に対して100%肯定的
今の私は有難いことに、夫も育休中で、娘も元気(発熱などの体調不良は今後もあるだろうけど、先天性疾患や難病を抱え、入退院や通院を繰り返している生活ではない)。
本当にやりたいことを、お金と時間が許す限り、奔放にやって生きている。行動を起こす前は、あんなに周囲の目が気になっていたのにも関わらず、今は本当にそんなネガティブな声、あったとて今後関わりないだろうし、ほっとけ。企画の参加者が少なかろうが、誰もみんなそんなこと、興味ないし、知らんわ、という気持ちで、概ね清々しく生きている。笑
(色んな要因で、人生しんどいときも、勿論ある。)
私の住んでいた尼崎は、本当にアクティブなまちで、色んな活動をしている方が沢山いて、素敵な方々が沢山いて、やりたいことを言うと、色んな人を紹介してくれたり、あれよあれよ、とすぐに繋がりを作ることができる。
少なくとも、今関わってくださっている皆さんの中には、誰かが傷つきそうな内容でなければ、恐らく「それは辞めといた方が…」とか「やる必要なくない?」とか、マイナス発言をする人はいないだろう。
将来性や現実不可能そうなことでも、将来の展望を話すと、いいやーん、と応援してくださる方ばかり。
そして、私の存在や活動をプラスに受け止めて、なんとか持続可能な案を提案してくださったり、本当に本当に嬉しい&感謝の気持ちでいっぱい。なのです。
だから、そんな対人関係の中に半年以上生きていると、「私って何でもやれるじゃーん」って思えてくる。笑
いや、もちろんそれは、私の実力ではなく、周りの方のおかげなのだけど。案外、私が難しく考えているだけで、私のやりたいことって、誰かに相談して、少しずつ、やれることをやっていけば、多分やれるな、って思えるようになってきた。だって、誰かが、苦しみながらも、やってるもん。私のやってみたいことを、やりたいことを。
(私のやってみたいことが何かって明確に分かっているわけじゃないけど、とりあえずこういうのできたらいいな〜を確実に誰かが短期間でやっている。笑)
これってすごい良い思考の変化。
朱に交われば赤くなる、ってその通りすぎる。
さすが先人たちの知恵。(バカにしてるみたい笑)
なんか、スピってる(スピることが悪いことと言いたいわけではなく、スピリチュアルを利用して悪徳商法する一部の人間ではないことのアピール)っていうやつに、寄ってるのかもだけど、ホント引き寄せの法則とか、夢は口に出そう、とかよく言うたものよな、と改めて噛み締めて生きています。
私は生き急いでいるし、思考の癖が下手
↑私のことを分かってくれている、大好きな、歳の離れた恩師や上司全員に、ずーっと、同じことを言われるから、多分そうなんでしょう。認めざるを得ないですね。
私の活動に、理解を示してくれた上で、応援してくれている前提の助言で、「そんな焦る必要なくない?」、「素敵な家族(夫、娘)がいて、幸せな家庭があって、たまに好きなことして、それで、よくない?」ってよく、言われる。
思考の癖をもっと上手に変化させられるようになったら良い、なんて、中学3年のときから、ずっと言われとる笑。
やってることは良いことなんだから、そんな悲観的に考える必要なくない?って、言われて、当時の国語の先生が、精神科医の香山リカ先生の本を2冊貸してくれた。
(部活の後輩20人分の手縫いのお守りを作ったんだけど、偽善者ぶってるだけで、自分が良い人って思われたいだけやねん、ホントは後輩が良い演奏できたら良いな、とか金賞取れたらいいな、とか思えてないと思うって言う話をしたはず。)
生き急いでいるは、実際に会う第三者や夫にはもちろん、どの占いにも、本当によく書かれている。
ストイック過ぎるし、自分に厳しいのだ。
でも、確かにみんなに言われるし、ホントその通りなんだろうな、楽に生きていいんだよな、って思う反面、ってことは、このまま頑張れば、私って人よりも何倍も充実した人生歩めるやん(健康であれば)!、と思ってしまう気持ちがあるのも、また事実。笑
休むと働く、のバランスや、思考の癖、自分の感情を、もっと上手くコントロールして、より充実した人生を歩めるように精進したい。
でもでも、自分で自分の人生をコントロールできる、と思うのは、なんかやっぱり傲慢かな、と思う気持ちもあって。
生かされている、とか感謝が、とかのこともあるけど。
やっぱり、世の中、どうしようもないことが沢山あるわけで。芦田愛菜ちゃんが言ってたけど、自分で自分の人生を決めれる、って思うとしんどい?から、少しでも後悔のない選択ができるように、みたいな考えがすごく大切だと思ってて。過去を振り返ったときに後悔のない選択をしたい。
し、これは進学先に悩んだ、障害を持つお母さんに毎回心から思うことだけど、沢山悩み抜いて、できる範囲で相談して、行動して選んだ選択は、いま、子どもがどんな状態だろうが、それが当時のベストですから、過去を悔やんだり、自責の念に駆られる必要は一切ありません、って伝えたい気持ちを上手く、芦田愛菜ちゃんが代弁してくれているな、と思った。
昨日会った大学の恩師との会話
昨日は、ガーデンズで娘を連れて、3年ぶりに会う恩師とランチを食べた。
そこで私は社会人1年目ぶり(5年ぶり)に、大の大人の前?、公共の場で、号泣してしまった訳です。
ちなみに、5年前当時に号泣した姿を見せた上司とも、ちょうど1ヶ月前に、全く同じ店で同じメニューで、同じシチュエーションでランチを食べたのだけど、これって運命ですか笑?(その時は泣かなかった。笑)
なぜ泣いたかというと、端的に言うと
「あなたが死んでも、誰も後悔する人なんていないよ」
と言われて、衝撃のあまり、泣いてしまった、というのが正直な感想です。
私はマイノリティ側かもしれないけど、希死念慮や自殺願望が高まっているときに「死んで周りを後悔させてやりたい」という、思考の波に飲まれるとき(毎回同じ思考の波ではない)、があります。
例えば、「誰からもご飯のお誘いなどの連絡がこない」▶︎「私は誰からも必要とされてない」、「私が死んでもみんな、生活が変わるわけでなはい」▶︎「生きている必要はない、死んでいても一緒」▶︎「それなら死んで、周囲の人の心に刻んでもらえるなら死んだ方がいい」、みたいな思考になることがあるわけです。
もし「またご飯いこね(本当に行きたいと思っているけど、バタバタしておりいつでも会えるだろうから)」と言いつつ、会えないまま、私が自殺したとしたら、その人は「会う約束をしていれば良かった。」とか、思ってくれるんじゃないか、そう思ってくれるなら、死ぬ価値あるな、とか思ってしまうわけです。
まあでも、死んだらそこで全てが終わりなわけで、自分主体で、相手に存在を認知してもらうことができなくなるわけで、それって負けだな、って思うし、人って意外とすぐ忘れるし、って思って、その思考の波に飲まれそうなときは、強気な心をもって、なんとか生きてやろう、って、思い直す努力をするんだけど。
恩師が本当に言いたかった真意は「後悔する人はいない」ということではなくて、そういう考えに至らないように「後悔する人はいない」と発言した、というニュアンスで。考えを改めてほしいとか、そういう思考の癖を直したら良いのでは?という助言で、上記の発言をしたのだと思う。というか、そう。
でもまさか「私が死んでも後悔する人なんていない」と言われるとは思ってなくて、突然すぎて、取り繕えなくて、大泣きしてしまった、申し訳ない。
でも申し訳ないけど、水島広子先生の言うところの「心の衝撃を受けたとき」の状態であることには間違いないから、ほんのしばらくだけ、自分の中で距離を取ることにはした。大好きな気持ちは全然揺らがないし、またいつか絶対会いたいのだけど。
「人の役に立っている自分」の話をしているときの私は、とてもキラキラして輝いているらしい、そう言ってくれた。公務員として働く私は、きっと他人軸でしか働けないのだろうけど、そういう活動で、自分軸を保ちつつ、次の占いの12周期、活動したら、変わってるよって言ってくれた。
占いを、活動や人生のモチベーション、考え方のくせ、にして、生きやすく工夫しているあたりが、恐縮ながら、とても私と似ている。
先生も「自分のやっていることに価値ない」とか、そういうことを、よく考える、本当にネガティブな人間だった(今も)んだって。でも、側から見たら誰も私がそう思っているなんて、思ってないよなって、思うようになった、って言うてた。ちなみに、先生の思考の壁打ち相手は実父だったらしい(今は要介護状態で厳しいらしいけど。)
でも、自分にできることをずっと続けていくと、この歳になって、この数年?「あれやって、これやって」って呼ばれるようになってきたよ、って言ってて。
そうなんだろうな、私もそうやって生きていくしかないよな、と、ストンと納得した。思考が自分に似ている先生がそう言うんだもん、そうだよ。笑
結局、自分にできる範囲のことを、依頼されたら、全力で頑張る、これに尽きるな。
とってもチャーミングで素敵な雰囲気があって、私が春先にカウンセリングに通っていた大学に今は勤めてはるのだけど。私が初回カウンセリングを受けた先生と、とっても雰囲気が似てるってよく言われるって言うてた。
私をカウンセリングしてくれた先生もとても素敵な先生らしく「〇〇先生でよかったね」って言ってもらえた。貴重なカウンセリングだったのね。
合うカウンセリングや、コーチング?を模索し続けるのも、一つ手なのかな、と思いつつ、時間とお金がないから、結局いつも後回し。
あー疲れた。中途半端だけど、ここで終わりにしよ!笑