「無惨型マネジメント」か「お屋形様型リーダーシップ」か(鬼滅の刃より)

すみません。遅ればせながら鬼滅の刃はまっているのでそれに関連した話題をまた書きます。

鬼滅の刃では、リーダー像が極端なほど対照的に描かれています。鬼の棟梁たる鬼舞辻無惨はまさに恐怖政治。徹底的なトップダウンで部下を締め付けます。そもそも、彼ら鬼たちを産んだのも無惨ですので、産まれた瞬間から上下関係が明確になっています。部下達は敵である鬼殺隊もさながら、上司である無惨にも怯えなければなりません。

他方、お屋形様たる産屋敷耀哉は、部下との信頼関係で成り立っています。実際、お屋形様は親族から無惨という鬼を出してしまった呪いで長生きできず、登場時点でも目の下あたりまで病魔に蝕まれていて、殆ど戦えない棟梁です。よって、強さでねじ伏せるのではなく、慈愛と信頼で部下を統率します。「1/fゆらぎ」という独特の声もその信頼感を強めるのに役立っています。

定義付け:「無惨型マネジメント」と「お屋形様型リーダーシップ」

この違いを端的に説明する上で、無惨型恐怖政治による管理を「無惨型マネジメント」、お屋形様の慈愛と信頼による統率を「お屋形様型リーダーシップ」と呼ぶことにします。経営の世界ではよくこのマネジメントとリーダーシップの違いを強調されています。「マネジメント リーダーシップ」で検索すれば色々出てきます。要するに飴と鞭、リーダーシップはビジョンを示して飴を与え、マネジメントは業務を管理し、鞭を振るう、ということです。ただ、実際はこんな簡単に分けられる訳はなくそれの使い分けですが、どちらに比重を置くのか、という話になります。

「お屋形様型リーダーシップ」への憧れと、実行レベルでの「無惨型マネジメント」の横行

さてここで質問です。皆さんはどちらのタイプになりたいですか?

おそらく、殆どの人は御屋形様型に憧れると思います。僕もそうです。人として生まれ、社会の中で生きているので、やはりできるだけ仲良く楽しくやりたいですよね。当然だと思います。

では、実際のトップ層、経営マネジメント層はどちらのタイプが多いと思いますか?統計を取っている訳ではないですし、上述の通り、明確に分けられるものではなく、本人または部下たちの感性にもよるので、一概には言えませんが、僕の主観として見てきた限り、圧倒的に無惨型が多いです。ざっと8:2くらいのイメージ。御屋形様型の上司に当たるとラッキーです。幸運にも、僕は何度かそういう経験をしました。ただ、無惨型に遭遇したこともありますし、周辺の部課長を見ると、ほぼ無惨型です。管理職をしていた時に、無惨型マネジメントを上から求められたこともあります。今の50歳以上の世代の人たちにとって、無惨型マネジメントは至極普通のことですし、そうあるべきだとすら思っている人が多いのが実情です。もしかしたらこれを読んでいる若手の皆さんも将来的には無惨型マネジメントを採用しているかもしれません。

「無惨型マネジメント」が蔓延る理由

では、なぜ無惨型マネジメントが蔓延るのでしょうか?僕はこれは高度成長期及びバブル期が影響していると考えています。これらの時期、日本は戦後復興から世界トップレベルの先進国へ、華麗に階段を登っていきました。この時の主力産業は製造業です。製造業では、工場の生産能力を上げることがとても重要です。新卒入社の会社が大企業製造業でしたので、僕もよく工場に行ったり、実際新入社員研修で働いたりもしましたが、工場ではとにかくルール遵守を徹底されます。一つは安全のためです。ルールから逸脱すると常にマシントラブルやケガのリスクが付きまといます。また、生産能力は長年の経験と実績を基に最適化されているため、説明書通りに使うのが最も効率的です。製造業になじみの無い方は、家電を想像してみてください。テレビでも洗濯機でも、まずは書かれている説明書通りの使い方をしますよね?仮にもっといい方法があるはずだ!と思っても、自分でそういう改造はできないですよね?あくまで、その家電が持つ能力をベースに自分なりの使い方をする、くらいかと思います。

こういう機械を扱う製造業では、とにもかくにも右向け右、下手なことをやらない忠実な人材が好まれます。よって、忠実な人材を育てやすい無惨型のトップダウン型マネジメントが適しているのです。ただ、恐怖政治だけでは人は付いてきません。代わりに「終身雇用」を約束し、生涯の生活を言わば保証するのです。仕事自体はつまらない単純作業ですが、年数に応じて昇給昇進し、最終的にはどこかの管理職のポストが与えられます。右肩上がりに成長しますので、管理職のポストも自然と増えていきます。また、何か大きな過ちを犯しても、首を切られることはありません(無惨は容赦なく切りますが)。そうすることで、子育てや持ち家等ローンの計画が立てられます。ギブアンドテイクが出来ている関係性なので、高度成長にはぴったりの管理体制でした。

「信賞必罰」がはらんでいる危険性

更には「信賞必罰」という言葉にも大きなリスクがはらんでいます。この言葉は高度成長時代に多用されました。今もこの言葉を大事にする経営者も居るかもしれませんが、そういう会社や上司は要注意です。なぜなら、「信賞必罰」は一見すると公明正大な制度に見えますが、不公平や矛盾を一足飛びに飛び越えた「やり過ぎた単純化」の制度だからです。

「信賞必罰」は「手柄のあった者には必ず賞を与え、あやまちを犯した者は必ず罰すること。情実にとらわれず賞罰を厳正に行うこと。(大辞林 第三版)」とあります。一見、極めて公平な考え方のように思えます。ただ、少し考えてみてください。果たしてその手柄やあやまちは100%その人に帰属するものでしょうか?その人だから成功し、あの人だから失敗したと言い切れるケースがどれほどあるでしょうか?それほど単純な世の中なのでしょうか?

別のエントリーでも良いことも悪いことも最大の要因は「運」だという話を書きました。そうです、成功も失敗も、運に大きく左右されるのが現実です。自分自身の経験でもそうでした。大卒で入った会社は多様な分野を手掛ける製造業で、僕はその中でも注目度の高い、世界シェアトップの製品を扱う部門を希望し、運よくそこに配属されました。伸びている分野であり、入社前から数年で3倍ほど売上が伸びました。概ね高評価を得ましたが、これは僕のお陰か?とずっと自問自答していました。同期で、なかなか伸びていない所謂「斜陽」と呼ばれる分野に配属された者も居ました。彼が入ってもなかなか好転しません。これは彼の能力不足だからでしょうか?僕にはそのようには思えませんでした。たまたま成長分野に配属された僕と、たまたま斜陽分野に配属された彼。ちなみに両社とも本人の希望は通っています。これをもって信賞必罰で評価することが果たして正しいと言えるのでしょうか?

無惨のやり方も完全な「信賞必罰型」です。成果を上げた部下には手放しで褒め、血を分け与え、階級アップの機会を与えます。他方、ダメだと判断すると即断即決で殺されます。この時点では伸び悩んでいても、何かをきっかけに大きく成長する可能性はあります。信賞必罰は未来の可能性をも潰しかねない制度、ともいえるかもしれませんし、少なくとも「運」の要素をきちんと考慮していない制度であることは間違いありません。「信賞必罰」で判断されるなら、人は易きに逃げるようになります。高い壁を越えようとして失敗するリスクより、極力低い壁を上手くすり抜けていく術を身に付けようとするのです。「信賞必罰」制度を取っておきながら、「リスクを取ってチャレンジせよ!」なんて言う経営者は欺瞞以外の何者でもありません。なぜなら、新規事業やベンチャー等リスクの大きな事業は、数%の成功率だからです。逆に言うと9割以上は失敗します。そんなチャレンジに信賞必罰制度下で挑む人は居るでしょうか?(欺瞞と言ったのは、彼らはこういう事実を棚上げにして、美辞麗句を並べて挑戦させるからです)無惨型マネジメントの末路は、みなリスクを避け、挑戦しないチームを作り上げるのです。

求められる「お屋形様型リーダーシップ」

他方、現在は時代はどうなっているでしょうか?日本は少子化がどんどん進み、人口減社会に突入しています。製造業も覇権はいまや中国やASEAN、インドに取って代わられています。また、グローバル化やIT化、AI化で世界中を巻き込んだパラダイムシフトが起こっています。もはや、製造業中心の右肩上がりの絵は描けず、無惨型マネジメントは崩壊しています。無惨型マネジメントの「飴」は将来の出世や安定がある程度保障されていることにあります。それと引き換えに、強烈な「鞭」を受け入れるのです。この鞭は時間的な制約も伴います。当然ながら、家族、特に奥様にも大きな負担を強いられます。ただ、それもまた、将来の安定という飴があるから受け入れられるのです。

今はそういう時代ではありません。上述の通りどちらに転ぶか分からない時代。人口減の中で永続的な右肩上がりは見通しにくく、右肩下がりをいかに食い止めるか、という時代になっています。そもそも、右肩がどうかという視点から離れるべきかもしれません。いずれにせよ、将来の安定という飴が用意しにくい時代です。そういう時に無惨型マネジメントをするとどうなるでしょうか。間違いなく、人は付いていきません。飴を無くしてこのやり方は不可能なのです。

そこで求められるのが「お屋形様型リーダーシップ」です。ただ、これは寧ろ無惨型より遥かに難易度が高いです。僕も実際管理者を何度か経験していますが、なかなか難しい。なぜなら、人はそれぞれに個性があり、考え方があるからです。こうしたいと考えていても、必ずしも部下に理解されている訳ではありません。いっそ、無惨型でやった方が遥かに楽だなと思うことがあります。だからこそ、多くの管理職はそうするのだと思います。楽をしたければ縛り付けた方が良いです。

「お屋形様型リーダーシップ」をやるためには、お屋形様に学ぼう!

では、どうすればお屋形様型リーダーシップが上手く行くのでしょうか?これはマンガの世界ですが実際にお屋形様から学ぶのが一番です。

まず、最も大事なことは、「目的の明確化」です。鬼殺隊では、「鬼を倒し、最終的に無惨を倒す」ことが唯一無二の目的です。それ以外のことは考えません。お屋形様もそのことにのみリーダーとして君臨するのです。ネタバレになるので書きませんが、最終的に鬼殺隊はどうなったか。これも目的が唯一であることの証左です。目的が一つだと、部下は動きやすいです。自分の役割が明確化されるからです。それに対するアプローチは基本的に任されます。鴉を通じて目的地の指示は出ますがこれはあくまでタスクを与えられているだけです。

一方、無惨は常に鬼たちを監視しています。自分の名前を出した瞬間抹殺されます。珠世さんはそれを「無惨が臆病者だから」と言っていましたがその通りだと思います。「「麒麟がくる」に学ぶ人生の処世術」でも書きましたが、トップとは孤独な生き物です。常に裏切りに怯えています。だからこそ、徹底的に管理し、自分の意に反する異分子を排除したいのです。無惨が鬼を監視するのは孤独だからもそうですが、目的が曖昧だからという点も挙げられます。鬼の目的は別に鬼殺隊を殲滅することではありません。あくまで、自分たちの邪魔をする存在だから消したいだけであり、無惨にとっての目的ではありません。鬼たちにとってはより強くなって十二鬼月に昇進することを目的にしていますが、これもそれぞれの目標であり、組織目標ではありません。お屋形様型リーダーシップでは誰も付いてきませんので、無惨型にならざるを得ないのです。

よく、経営の世界でもミッション、ビジョンの明確化が大事と言われます。まさにその通りで、この軸がしっかりしていて、モチベーションがあれば部下は黙ってても動きます。逆にこれが無いので(何なら両方ないケースも多い)、無惨型で締め付けざるを得ないのです。

目的が明確だと、先ほど少し触れましたが次に出てくるのが「委任」です。部下を信頼し、一旦役割を与えると基本的には任せます。ただ、これが非常に難しい。実際、鬼殺隊も「お屋形様」と「柱」の間の信頼関係は強固であり、柱に全てを任せても問題ない状態でしたが、それ以下の管理については頭を悩ませているシーンがありました。柱合会議で、隊士の質の低下を嘆く場面です。また、那田蜘蛛山編で、リスクを冒さずに弱そうな鬼だけ倒して出世したいと言う隊士も居ました(運悪く、相手が十二鬼月で瞬殺されましたが)。委任するとサボる人間が出てくる。これは正直致し方ないかと思っています。よく2:6:2の法則が言われますが、やはり2割は仕方ないと考えるべきかもしれません。または、2割を何とか1割に減らそうとする。いずれにせよ、ゼロにするのは不可能と思いますし、それに神経を集中させるべきではない。それよりも、トップ2割や中間6割の質を高め、プラスのスパイラルを産んで下の2割も引き上げるイメージが良いのではと思っています。

「委任」に適した雇用方法とは?

少し話があっちこっち言っていますので、これを本エントリーの最終章とします。「委任」は非常に難しいですし、委任しつつ、適宜進捗管理をしつつ、相談や問題が起きたら一緒に考えて解決していくことが肝要になります。任せっぱなしも良くない。お屋形様も鴉を使って上手くその辺りをコントロールしています。ただ、それは信賞必罰のためではなく、あくまで進捗管理とその先の展開を考える為です。評価の為に鴉を使っている訳ではないということです。目的遂行のための進捗把握を目的とした管理であれば、部下は納得すると思われます。

今の日本の雇用は「メンバーシップ型」雇用と言われています。メンバーシップ型と委任は非常に相性が悪いですし、機能しないのが殆どでしょう。メンバーシップ型では、自分のタスクのみならず、業務に関わるあらゆることに参画することを求めます。これを委任しようとすると、極論を言えば全員社長になれと言っているようなものです。よって、委任ではなく、管理、トップもリーダーシップではなくマネジメントとなりがちです。

メンバーシップ型とは対になる「ジョブ型」雇用。日本以外の国では一般的な雇用体系です。要するに、その人のタスクを明確化し、それを達成すれば評価され、しなければ場合によっては解雇されるという制度。これは結果を重視しますので、その過程はあまり問われません。まさに内容は委任されます。日本でお屋形様型の組織を作るには、まずはジョブ型雇用が必要ではないかと考えています。

ただ、ジョブ型も勿論完璧な制度ではありません。ここまでで述べたとおり、成功は果たしてその人だけの成果でしょうか?チームが良かったかもしれませんし、市場環境が良かったかもしれません。ですので、ジョブ型をベースとしつつも、それだけで絶対評価をしてはならないと思います。ここのバランス型を模索することこそ、これからの日本に大事なことだと思いますし、私自身、明確な解がないので、それを探る日々です。そうなって初めて、お屋形様型リーダーシップが正常に機能するのではないかと考えています。

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