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『2060 未来創造の白地図』の川口伸明が語る“自ら関わって創る”未来と原点

医学・化学・工学などの幅広い専門領域でトップクラスの専門家や研究者たちが集うテクノロジーインテリジェンス部。部長の川口さんは昨年3月に発売され、1年以上たった今でもamazonの「先端技術・ハイテク」カテゴリで1位を維持しているベストセラー『2060 未来創造の白地図』(以下、『2060』)の著者でもあります。

コロナ禍による急激な社会の変化を経て『2060』の世界観はどう変わっていくのか、「縦」ではなく「横」に広がる人生について、もしも川口伸明が東京2020オリンピックをプロデュースしていたら、そして“自ら関わって創る”未来を思い描くようになったその原点とは―アスタミューゼに興味をもってくださったみなさんと、未来を創ろうとするすべての方に向けて語っていただきました。

21-07-13 川口先生_noteプロフィール

『2060』はすべての人が“自分が関わって創る”未来を考えるための叩き台

---昨年発売された『2060 未来創造の白地図』ですが、川口さんがこの本を書こうと思ったきっかけ、その理由は何でしょうか。

幼い頃、誰もが未来の宇宙旅行など、自らの夢を絵に描いていたと思いますが、大人になるにつれて、科学技術の急速な発展の中で自分では追いきれなくなるためか、GAFAやMIT、NASAやDARPAなどが未来の創り手のような印象になってきたように感じます。

GAFAがこんなプラットフォームを作ったからこれからの企業や社会はこうあるべき、だから自分はこういう仕事をするとかではなく、自分はこういう未来にしたいからこんな社会課題を解決しようと、みんなが自分なりの世界観を語れるようにした方が良いと思いました。
そこで、人任せや受け身ではなく、自分が生きたい未来のライブシーンを描きたいと思いました。
そして、大人も子どももお年寄りも、未来を生きるすべての人が、自分の未来のことを考えられるようにしたいと。
そんな本来あるべきストーリーが紡がれていくようになれば…というのが『2060』を書こうと思ったきっかけです。

そのためには、まず私自身が考える未来を描こう、それもAIや自動運転がどうなるとかではなくて、もっとヒトや生命の根源的なところを自分の世界観として打ち出したいと思いました。2060年という年代を敢えて取り上げたのも機械的な未来予測ではなく、データとイマジネーションやインスピレーションを共に働かせると言う試みでしたし、宇宙へ旅立つ人類の進化や、知性の多様化、脳と芸術・哲学といった、類書にはあまり見られない要素を取り上げています。

それを読んだ色々な人が、いやもっとこんな未来がある、自分はこんな未来にしたいと議論して、「白地図」が様々な色に塗られていくように、そのための叩き台のような本になれば良いと考えていました。

これに関しては、ある予備校が多数の現役高校生に『2060』を課題に読書感想文を書く企画を2年続けていただき、新鮮な目で見た未来への希望や意欲を読み取ることができました。また、『2060』を題材にした講演やセミナーの中でも、地域の社会課題意識にもとづいて議論する機会も得て、私が当初思いもよらなかった白地図が少しづつ広がりつつある状況になったことをとても嬉しく思います。

コロナ禍で未来へのシフトが加速

---『2060 未来創造の白地図』はまさにコロナ禍が本格化しはじめた2020年3月に刊行されましたが、社会が大きな変化を遂げたいま、振り返ってみていかがでしょうか? 

未来へのシフトが加速していると感じます。テレワークが多くの企業で取り入れられ、都市部に集中していたオフィスも地方分散する動きも見られます。オフィスをVR化する企業も出てきましたし、そうすると人々も都市部に住まなくても良いという考えから、環境の良い地域に移住する人も増えてきました。今後、大都市圏に住んでいた有能な人材が、地方の小規模都市に分散して移り住み、そうした地方の仲間同士のネットワークが新しい文化や情報の発信源になっていくかもしれません。この流れは『2060』の中で述べている地方のスマートシティやホロニックコミュニティのイメージにあっています。

メディアもTV以上に、ネットニュースや動画サイトのコンテンツが激増し、情報のとらえ方も変わりつつあるように感じます。

学校教育の中でもリモート授業が広がりました。登校日数を限定すれば、これまで通学困難だった地域からも受講可能になるかもしれません。

スポーツやライブイベントが開きにくくなったことで、リアルが当たり前だった世界も、リモート環境やバーチャル環境で楽しむようなスタイルが増えてきました。そのための新しいスマホアプリやガジェットなどもたくさん出てきたと思います。それらを支える基礎研究やベンチャーも増えています。

技術面でも社会課題解決の視点でも、コロナ禍の中で、少なくとも3-5年分のワープをしている気がします。

「縦」ではなく「横」へと広がる人生

---『2060』では、遠隔コミュニケーションにおける身体性の獲得や心の伝達といった課題はVRやテレイグジスタンスなどの技術で解消されていくと予測されていましたが、実際に長期にわたるテレワークを経験されてみて、新たな気づきはありましたか?

コロナ禍でリモートワーク、特にテレカンファレンスに初めて接した人も多いと思いますが、もはや、リモートでも、直に対面で話しているのとあまり変わらないと感じる人が増えているようです。VRもそうですが、初めて体験するときは知覚に違和感を感じるけれど、だんだん慣れていけば、それが自然に感じられるようになる。知覚拡張に対するハードルが下がってきているということだと思います。

VR空間に本社機能を移転し、リアルオフィスは最小限にしようとする企業も出てきていますから、バーチャルとリアルの行き来、まさに、CPS(※1)社会への一歩を踏み出した段階に入ったということです。テレカンファレンスにもVRを導入することで、仮想空間内で集合して議論したり行動したりできるようになります。

今後はビジネスシーンだけでなく、個人の生活体験のCPS化もVR空間のSNSなどの普及に伴い、一気に加速していくと思います。

人生を時間的に縦に伸ばす発想でなく、普段の自分とは違う生き方や世界観を体感するために、アバター技術等を用いて人生をパラレルワールド的に横へ伸ばす(多世界に生きる)という動きが数年以内に現実化すると思います。男性が女性になったり、リアルは医者だけどVRではアスリートになったり、江戸時代を再現した街で江戸の嗜みを体験したりと、自由です。普段の自分とは全く違う生き方を体験し、新しい発想や活力を得たり、純粋に趣味嗜好を深めたりできるのです。

(※1)サイバー・フィジカル・システム(CPS)。サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させた社会システムのこと。

もしも川口伸明が東京2020オリンピックをプロデュースしていたら

---様々な制約のもと、まもなく東京2020オリンピックが開幕しようとしています。『2060』ではスポーツのデジタル化が進む一方でライブスポーツの人気はますます増大すると予測されていましたが、もし川口さんが今回のオリンピックをプロデュースしていたら、どのようなものになっていたでしょう?

コロナ禍の中で行われることを考えると、必然的に現場を目撃できる人数はかなり限られます。多くの人はメディアを通して視聴することになるわけですから、いかに臨場感、高揚感を体感できるかにこだわったでしょう。

VRや立体音響を使うのはもちろん、ドローンやアバターを次々に乗り換えるいわば多極テレイグジスタンスにより、さまざまな視点で観戦というより参戦できるようにします。選手の身体にも憑依できるようにすれば、リアルな衝撃が感じられるでしょう。AI画像解析によるスポーツアナリティクス解説も入れたいですね。3Dホログラムの空中投影実況もおもしろそうです。

パラリンピックでは、パラスポーツ選手の視点での映像体感や、選手を支える義肢や車椅子等の最新技術の紹介や体感機会を作りたい。そして、パラスポーツと、人機一体型スポーツのサイバスロンや、VR/ARやロボティクスなどを取り入れたゲーム性の高い超人スポーツとの交流展示を通して、ヒトの知覚と身体性の拡張可能性を知ってもらいたい。

さらに、オリンピックはスポーツの祭典であると同時に、世界の芸術・文化が広く紹介される場でもあります。開会式のほか、関連イベントとして、コンサートや芸術展、シンポジウムも開催されますから、それぞれに未来の一端を体感できるような空間演出を考えたいところです。

自然とたわむれる心、芸術や歴史文化への興味、そして「好奇心」


---最後の質問です。川口さんがこうして“自ら関わって創る”未来を思い描くようになった、その原点はどこにあるのでしょう?

それは子どもの頃の体験にあると思います。

幼稚園くらいの頃は、父親が持ち帰った外国の綺麗な絵本で、英語だったので意味はわからないけど、見たこともない蝶や動植物、美しい自然のイラスト画を見て、その世界に引き込まれていくような子どもでした。当時住んでいたは大阪は、ところどころ田んぼだったり風車が回っているような自然の豊かなところだったのですが、そこで絵本で見たのと似たような蝶を探したり、カエルを捕まえたりして過ごしていました。

小学生になると3年生の頃に顕微鏡を買ってもらい、雪の結晶や植物の細胞の世界に衝撃を受けました。さらに5年生の火星大接近の年に天体望遠鏡を買ってもらって、初めて自分の目で見た火星は、図鑑に載ってたオレンジ色の写真とも違う、揺らぎある多様な色彩(分解能や大気のせいですが)で、神秘的な美に魅せられてしまいました。このように、学校で習うのとは別に自分で自然観察をしていたり…自然と親しむということがその頃から身についていました。
一方で、小学生のころから油絵を習っていて、展覧会で賞を獲ったりもしていました。

自然とたわむれることと同時に芸術や歴史文化にも関心があって、画家になりたいとか天文学者になりたいとか思っていました。そこに共通してあるのは「未知への好奇心」であり、それが自分の原点なのだと思います。