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満月の夜話(14) - 憧れのお月様 -
もし、あなたが月に行きたいと思い立ったら・・・
あなたはどんな理由でその思いを諦めますか?
もし諦めきれないのなら、どうやって月まで行きましょう?
・・・もうすぐ来るんだ、約束した10月の満月が。
南雲マユミは一人暮らしのベランダで、上弦の月を見上げていた。
序章
そのきっかけは1年前・・・
親友のユカとの何気ない電話の中にあった。
「あ、そういえばさぁ、もうすぐハロウィンだね?」
「あ~、そういえばそうだね」
「マユミは何か予定あるの?どっか行くとか、コスプレするとか?」
「ないない!・・・そういうユカの方は?」
「ないよ~、渋谷の乱痴気騒ぎをテレビで見るくらいじゃない?」
「私もそれかも。ていうか、年齢的にコスプレとか無理でしょ」
「ね?私、先月43になっちゃったし。マユミは12月だっけ?」
遠慮も毒も緊張も無い親友との会話は、心地よく気持ちを緩ませる。
だからこそ、あんな事を思ったのかもしれない。
「マユミはさぁ、例えばコスプレするなら何のキャラがいい?」
「はぁ??そんなの無いよ、恥ずかしいし。無理!」
「だよね~、凄いよね、みんな」
「凄いよねぇ〜・・・」
マユミのそれは真っ赤な嘘だった。
本当はやってみたいコスプレがマユミの頭に瞬時に浮かんだ。
それはマユミのなりたい憧れのアニメキャラクターだ。
電話を切り、ベランダに出ると秋の夜風がマユミをふわりと包み込んだ。
「私・・・セーラームーンになりたい」
そう呟いた後で、夜空が妙に明るい事にようやく気付く。空には見事な満月が輝いており、皮肉にもセーラームーンに思いを馳せるには最適な夜だったかもしれない。
1章 . 月へ行く決意
マユミはしばらく無言のまま、秋夜の満月を眺めた。
満月を見て、月へ行ってみたいと思った時、人はなぜ諦めるのだろうか?
費用?それとも時間? 違う。きっと、どのような行動を起こせば月に行けるのかという具体的な道筋が見えないからだ。
月へ行くための正しい一歩目なんて、一般人には想像も出来ない。
だからこそ思考停止し、そこで人は願いを諦めるのである。
当時43歳、コスプレの経験も無いマユミにとってセーラームーンは、まるで月まで行くくらいの目標だ。他人が聞けば『夢を見るな』と嘲笑されるに違いない。
だが、マユミはそこで諦めなかった。
「やっぱり私、なりたい。セーラームーンに」
マユミは憧れのセーラームーンになるための道筋を必死で考え始めた。
ベランダで一人ブツブツと呟きながら、1つ1つのプロセスを考える。
そんな"美少女戦士候補"を励ますかのように満月の月光は温かかった。
どれくらいの時間が経っただろう・・・気付けば満月はマユミの真正面から少し西側に移動していた。
ようやく決意を固めたマユミは、その満月に向かって静かに告げた。
「行く・・・月まで。 1年後、私はセーラームーンになる!!」
さながら海賊王のテンションで10月の満月と約束を交わし、ベランダから玄関へ急いで向かうと、決意が揺るがないうちに早速一歩目を踏みだした。
その一歩目とは玄関にある姿見を見る事だ。
”現状の把握”、それが過酷な事だと知っていたが、避けずには通れない月への一歩目。
「・・・とりあえず、ダイエットだな」
マユミは女性の中では高身長であり、骨格も悪くない。
だが、35歳を過ぎてからは太りやすくなったし、痩せにくくなった。
微増する体重は日単位で見ればセーフだが、月単位で見ればアウトだ。
特に足。マユミのモッチリとした足は、セーラームーンのような”か細い美脚”とは地球と月ほど離れている。
「でも、戦うにはこれくらい力強い脚の方がいいかもね」
マユミはその言葉を発した瞬間、妙な自己嫌悪を覚えた。例えそれが皮肉めいた冗談であろうと苦笑いであろうと、自分を誤魔化してはいけないからだ。これから先には誤魔化したくなる事がたくさんあるはずだ。その度に自分自身を乗り越えられなければ、月ほど離れている夢が叶うはずがない。
そう考えを改めた最初の夜だった。
2章.月への道
これまで何度もダイエットに失敗したマユミだったが、今回は違った。
セーラームーンのようになるのが目的であり、ダイエットは手段でしかない。そのためには無理して短期間で減量せず、1年をかけて綺麗に体重を落とす事が重要だ。日々のカロリーを計算し、なるべく甘い物は食べない。
水をしっかり飲む。ウォーキングはどうせ続かないからジムに入会した。
ジムのスパルタなトレーナーの挑発にイライラしたが、マユミは耐えた。
なんたって憧れのセーラームーンになるためなのだから。
「アレ?南雲さん、痩せました?」
数ヶ月の間、まったく減らなかった体重にも徐々に変化が表れはじめた。
ジムも続けているし、綺麗に痩せるために食事にも気を遣っている。
最近は日々の食事について栄養士にも相談していた。
そして、何より続けるモチベーションとなったのは毎晩セーラームーンのアニメを鑑賞することだ。サブスク万歳とばかりに全46話を5周は観ただろう。思えば、小学生の頃のマユミもVHSに録画したテレビ放送を何度も何度も観返したものだった。
「そんなに見たらテープが切れるぞ」
父はマユミの姿をそんな風に笑った。
目標を常に意識し続ける事は暑苦しく、本来は難しい。
だが、マユミにとっては毎晩目標を、憧れを鑑賞することは楽しさしかなかった。小学生の頃の夢と現在の夢は、大きさこそ違えど形は同じだった。
3章.月へ行くために
体格は徐々に近づいたが、月への道のりはまだまだ遠い。
差し当たり調達すべきは衣装だった。
Amazonで購入できるとは言え、なんだかチープでペランペランな衣装ばかり、憧れのセーラームーンの衣装には程遠かった。
服飾・デザインの仕事に携わっている友人を頼る手もあった。
だが、44歳の自分が何と頼めば円滑に、そして秘密裏にセーラームーンの衣装を作ってくれるだろうか?これはさすがに厳しく思える。
とはいえ、マユミには衣装を自作出来るほどの手芸技術はない。
そこで、オーダーメイドという選択に思い切った。
顔も年齢もバレずにWEBで見積もりが出来る事を知り、意気揚々と見積もりフォームに入力したが、希望するキャラクター欄に『セーラームーン』と入力した時、マユミは畏れ多さと気恥ずかしさに震えた。そして見積もり結果が5万6千円だった事で、その震えは更に大きさを増したのだった。
Amazonで購入できるムーンスティックは8,509円、変身ブローチ&変装ペンのセット14,850円。感覚が麻痺したマユミにはそれらが安いとすら感じた。
カラダ作りと、衣装や小道具の調達は8月末には何とか目処が付いた。
マユミは一番困難である一線を越えていた事に気付いていた。
だが、出来るだけそれを意識しないように努めた。最後の最後まで気持ちを切らずに頑張る!!5万6千円の衣装をベッドの横に掛け、毎晩手を合わせて初心を思い出すストイックな日々を継続した。
そんな中で1つ問題となったのは髪の毛だ。
セーラームーンは美しい一色の黄色髪、これはカラーで何とかなる。
しかし、問題は長さだ。現状セミロングとロングの中間くらいのマユミにとって、セーラームーンのようなスーパーロングはどうしようも出来ない。
全てをエクステで賄ったら結構なお値段になる事は目に見えていた。一般的にはウィッグで対応するのだろうが、出来れば自分の髪の毛でセーラームーンになりたい・・・それがマユミの望みだった。
「仮にヘアカラーだけでも2万6千円かぁ・・・結構するなぁ」
エクステか自毛か、決断が必要だった。マユミは悩んだ末に少々長さが足りないが、1年間大きくカットせず大切に育てた自毛で進む事に決めた。
目標を叶えるために、何を尊重し、何を妥協するか?
目標の品質・使えるお金・残り時間を考え、形を明確にしていく。
その際、優先順位を決定するのも自分自身である。
全てを妥協し、諦めてしまえば楽になる事に、この時のマユミは既に気付いていた。だが、最後の最後まで諦めなかったのは、満月との約束だろうか?
単なる意地だろうか?それともマユミ自身の願いの強さだっただろうか?
4章. 最後の難敵
マユミは衣装が届いても、小道具が届いても、それを身に付けてみる気にはならなかった。それは例えばウェディングドレスのように神々しく神聖なるものであって、練習で身に付けても良いものではない気がしていたからだ。
本番は1年前に約束した10月17日の満月の夜、マユミはその夜に月まで行く事を心に決めていた。
「あれ?南雲さん15日から4日間有給取られるんですね?」
「え?あ、うん。ちょっと親戚の結婚式で・・・」
「なるほど、遠方ですか?」
「か、鹿児島の方の、あの、親戚なんだ」
しどろもどろはあったが、難敵の1つである有給を無事に取る事が出来た。
スポーツの日を合わせて9連休。日曜日に美容院で髪の毛を黄色に染めても十分に戻す時間はある、さすがに黄色髪では出勤出来ない。
とはいえ季節外れの9連休は体裁が悪かったので、マユミは8月初頭から有給申請を提出していた。計画的といえば計画的だが、計画というならばこれは1年前からの計画である事にマユミは笑みを隠せなかった。
何せ1年間の集大成なのだ、4日分の有給なんて大した事ではない。
そう、有給なんか大した事ではなかった。
有給なんかよりも、もっと手強い難敵が10月になって現れたからだ。
10月に入り、あと2週間で約束の満月。
妙に落ち着かない、苦しい日々が連日連夜が続いた。
その正体は”不安”だった。
毎晩観ているセーラームーンのアニメも、毎晩手を合わせている5万6千円の衣装も、マユミにとって徐々に怖い存在なってきたのだ。
不安とは実現性がある場合にのみ押し寄せる苦しい感情である。
勉強をせずに受験する試験には不安は押し寄せない。努力を積み上げれば積み上げるほど、実現性が高まる分だけ失敗が怖くなる。それが不安である。
「私、本当にセーラームーンになれるのかな・・・」
どれだけ苦しくても不安を根本的に解消する方法は世の中には存在しない。
いくら大丈夫だと言い聞かせても、それは解消ではなく隠蔽に近い。
だから唯一、不安に対抗出来る手段は思い切って踏み出す事であろう。
だが、先に挙げた受験と同様にいくら思い切ろうとも、受験日や本番当日は決して急には近づかない。マユミにとっては残された時間の短さこそが苦悶の日々であり、これこそが1年間努力を積み上げたマユミが最後に立ち向かうべき難敵に違いなかった・・・。
終章. メイクアップ!!
10月17日。約束の日、マユミは妙に落ち着いていた。
1年間のうちにすっかり定着した朝の散歩を済ませ、いつも通り自家製スムージーを飲んだ。1年前には考えられなかったライフスタイルだ。
午後なってネイルを塗り、日曜日にカラーを施した見慣れない黄色い頭の両側にお団子を作りながら、今日までの道のりを鏡の中の自分自身へ語りかけるように振り返った。
私、最初は無理だと思ってた・・・。
さすがにさ、この年からセーラームーンになりたいなんて、笑うよね。
本当にお月様に行くくらい無謀な夢だと思ったよ。
途中「頑張ったんだし、これで諦めが付くよね?」とか思ってた。
でも、毎晩セーラームーンの観てるうちに雑音が消えていったんだ。
小学生の頃の私は何にでもなれるって思っていたのにさ、
大人になると絶対無理!って言える手頃な理由ばかり探してた。
私、ようやくここまで来たよ。
ようやくお月様の入り口まで辿り着いたよ。
ありがとうね、セーラームーン。
やがて秋の陽は忙しく落ちた。薄暗い夕方になっても照明を付けず、マユミは壁にもたれ、例の衣装を見つめていた。
「・・・そろそろかな」
そう呟いて立ち上がると、玄関の姿見の前で着ていた服を脱いでいく。
下着姿になった身体は窓からの逆光を浴び、シルエットとして鏡に映る。
そのシルエットは何度も観た変身シーンと近いような気がした。
『ムーンプリズムパワー メイクアップ!!』
小学生の頃から何度も言ったその台詞を、今ようやく言えた気がした。
丁寧に恐々と、毎夜手を合わし続けた憧れの衣装に身体を通していく。
1年間努力した身体の褒め撫でるように、身体は衣装に包まれていった。
次は手袋、絹のような滑らかな素材で上腕が覆われていく。
手だけを見れば毎晩見ていたアニメのあのシーンと瓜二つだった。
そしてブーツと短いスカートを履く。1年前なら入らなかったに違いない。
当初一番の問題児だった脚だから、一番頑張った事を思い返し熱くなる。
最後に額にティアラと髪飾りを付ける。
ティアラを付ける瞬間は、変身シーンの中で一番好きなシーンだ。セーラームーンがセーラームーンになる瞬間な気がするから・・・。
ようやく部屋の照明を点ける。
1年前のあの一歩目と同じ玄関の姿見の前へゆっくりと進む。
そこには1年前に夢見た通りのセーラームーンが映っていた。
急に涙が溢れてきた。私、ようやくセーラームーンになれたんだ。
私、頑張って良かった。本当に・・・頑張って良かった。
夢が叶った達成感と清々しさって、なんて気持ちいいんだろう。
到底、今夜は誰も”お仕置き”をする気になんてなれなかった。
1年前の約束を果たす時が来た。
ベランダに出ると、真正面に秋の満月が輝いていた。
「ありがとう、ちゃんと月まで辿り着いたよ。頑張ったでしょ?」
私の守護星は1年前よりも大きく輝いて見えた。
(了)
お読み頂きありがとうございました。フィクションのお話です。
来月の満月は11月16日(土)らしいです。