生きる場所を譲ってくれたひと

ここは、何かお話したいことがあったらとりとめもなく書いていこうかと思っている場所なので、せっかくだから誰にも話したことないこと書いてみましょうか。

ということで兄の話をしたいと思います。今も元気に生きている年の離れた兄がいますが、そっちではなく存在しなかった兄の話です。
いや存在はしてましたか。短い間でしたが。
生まれることのなかった兄という言い方がいいですね。
私には兄と姉がいますが年が離れており、私は忘れた頃にやってきた子供でした。
でも私を妊娠する前に母は一度妊娠していたそうです。
母には持病があり、産むのをやめるよう医者が勧めたとのこと。すでに二人産んでいるのだからもういいだろうと。
母本人は久しぶりに授かった我が子の命を奪うような真似はしたくなかったそうですが、医者の言うまま中絶してしまいました。男の子だったそうです。
だけど数ヶ月後、母は再び妊娠しました。
前回のことがよっぽど悲しく悔しかったのか今度は絶対産むと言い張って聞かず、特に体に異常もなく無事出産することが出来たそうです。
そのとき生まれてきたのが私です。
この話を子供の頃に母から聞かされました。
どうしても産みたくて産んだんだと嬉しそうに笑顔で話してくれました。
ふーんと聞いてはいましたが。
どうせ産むことになるのなら何で先の子を産んであげなかったんだろうと幼い私は生まれることなくこの世を去った兄を哀れに思いました。
兄の妊娠期間後期と私の妊娠期間初期は重なっていたらしく、もしあのまま産んでいたら私は生まれてこなかったとのこと。生まれてこなかったどころか存在することすらなかったんですね。兄は母のお腹に存在してましたが。
そんなわけで私達は同時に存在することはない兄妹なのです。
でも私にとっては何故でしょうか、とても近しく感じる家族でもあるのです。
言ってみれば兄が胎内を出ていって場所を譲ってくれたから、私は今こうしてここに存在することが出来ているわけでして。もちろん兄は譲るつもりなどさらさら無かったでしょう。きっと彼も生きて産まれたかったでしょう。だけど結果的にそうなってしまいました。
このことに関しては兄に対して申し訳ないとかありがたいとかいう気持ちが特に強くあるわけではないのですが。

でも、
何で生きることをやめさせられてしまったのかなって。
結局産むことになるんだったら何で命を消されたのかなって。
今でも時折ふと思ってしまうのです。
もし生まれてきていたらどんな生き方をしてどんな人間になっていたんだろう。
私がいなくて兄が生まれてきていたとしても、多分他の多くの人にも、ともすれば家族にも、今と比べてさほど大きな影響も問題もなかったろうと思うのです。
私の家族は私が生まれても兄が生まれてもそれは性別が違うくらいで家族の数に変わりはないわけですし、私でなくても良かったでしょうし。
私の友人は私という友達がひとりいなくなるだけのことであって、今とは少し違う生き方になっていたんだろうなという、それだけのこと。
だから別に私でなくても良かったはず。
なのに兄は生まれてくることが出来なかったんだなって。寂しく感じます。

そもそも母の決意が最初から固かったら兄は生まれてきて、私は存在していなかった。
母の決意が弱いままだったら、兄に続いて私も胎児のまま命を終えていた。
どちらにせよ私が存在していない可能性もあったはず。兄のように。
たまたま運が良くて私は生まれてくることが出来ただけのこと。

そしてついでに分かったことがひとつ。
自分が母親のお腹の中にいる間は、新しい子供の命が授かる可能性を消しているんだなってこと。
兄がお腹から出て行ったことで私が生まれる可能性が消されずに済んだんですから。

私が生まれたのは兄が生まれる場所を譲ってくれたからだと今も思い続け、彼のことをたまにではありますが偲んでいます。
そんな名も無い兄の話でした。