生まれてきたことと存在することへの感謝の理由

一昨日、生まれてこなかった兄のことを書いてから、今まで気付かなかったことに気付いてきました。
私は好きなひとが出来た場合、……好きなひとというのはスポーツ選手とか役者とか小説家とか漫画家などの応援したいひとの事ですが、「この人がこの世に生まれてきてくれてよかった、存在してくれてよかった」と毎回必ずといっていいほど感謝するのです。
そのひとが居なければ今よりつまらない生活を送っていただろうし、今この世界に彼らが生きて活動してくれてるのが私にとってはとても幸せなことなので。
特にそのことについて、「こんなふうに感謝するのは何故なんだろう」などと考えたこともなかったのですが。
それに私以外にもこういう考えをお持ちの方は大勢いらっしゃるでしょうから、特別私だけがこんな思いを抱いてるというわけではないとは思います。
でも前回に兄のことを書いてから、こう思うようになりました。
もしかしたら自分は生まれてこなかったかもしれない、それどころかこの世界に最初から存在すらしなかったかもしれない、心の奥底に住まっているそんな思いが影響してのことなのかなと考えるようになったのです。
生まれてくることが奇跡的なことであれば存在していることもまた奇跡的なことなんでしょう。多分私にとっては。
そんな思いがあるからこそ。
だからこそ、私に幸せをもたらしてくれるひとに対して大きな感謝の気持ちを持つようになるのかもしれないなって、そう思ったのです。

何と言いますか、私自身は「生まれてこなければよかった」と一度も思ったことは無いのですが、「別に生まれてこなくてもよかった」とは思ってはいるのです。
誰かにとってどうしても必要な存在でもないしなあ、と。
友人は会う度に私といて楽しいと言ってくれますし私と話せて良かったとも言ってくれますから、彼女にとっては「いてくれて良かった」と思える存在にはなっているのでしょう。
でもだからといって彼女にとって必ず居なければならない存在かというと、そういうわけではないだろうと。彼女にはもちろん他にも友達はいますから。
家族にとっても別に私でなければならない理由は特にないですし。
だったらやっぱり生まれてくるのは兄でもよかったのにねってつい思ってしまうのです。
だからといって兄だったら誰かにとって居なくてはならない存在に必ずなれたかというとそれは分かりませんけどね。
私が好きなひとが存在してくれることを感謝するように、私も誰かに存在することを感謝してもらえるぐらいの人間になれればよいのですが。それがなかなか難しいことで。

兄のことは今まで誰にも話したことがなかったのですが、ここでお話したことにより、兄に対しても自分の気持ちに対しても正面から向き合うことが出来たようです。色々考えてみることや今まで分かってなかった自分の事などが改めて分かりましたから。
やはり自分の中で溜め込まずに話してしまうというのは大事なことのようですね。
別に兄の代わりに懸命に生きなきゃとか気負う必要もないと思ってますので、これからも深く考えずに気楽に生きていけたらいいかなと思ってます。今日も誰かの存在に感謝しながら。