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30歳を前にして、床屋に帰る

社会人になってもう8年が経とうしている。いわゆる三十路というやつが、ついに眼前に現れた。

男にとって30歳という節目は中々に鬼門だ。職場では中堅どころとして、経験を発展させて仕事に貢献する役割が求められる。身体は中年に近づき、20代のころにあった自然な清潔感は徐々に無くなってくる。大学生の間で流行っているビッグシエルエットな服装をするのも、だんだんとキツイと感じるような…ああ、もう若者とはいえないなぁと内からも外からも感じる年齢だ。さらば、麗しき20代の日々…。

若くないなぁと思い始めると、身だしなみの整え方も少し20代のころから変えないといけない、と考えるようになった。どう変えるかというと、カッコよさから清潔感へ、という方向性に変わってきたのだ。

なんせ髭もだんだんと濃くなるし、眉もボサボサとしてると急にだらしなく見えてくる。これが20代の頃であれば不精といっても許してもらえそうなものだけれど、30代となるとなんとなく世間から後ろ指を指されそうだ。

髪形にしても、20代のようの流行りの髪形がだんだんと似合わなくなってくるような気がしてくる。なんとなくアンマッチなんですね。だからサブカル男子系のマッシュルームカットのような髪形なんてもうできません。したこともないけど。

そんなこんなで、髪を切る場所を美容院から床屋に変えた。まさに、カッコよさから清潔感へ、という方向性の変化を示しているように思う。そして、床屋がこんなに落ち着く場所になっていたことに改めて驚いた。

しかしまぁ考えてみれば、昔から美容院は苦手だった。美容院に行きだしたのは高校生のころだったが、ずいぶんと気後れしながら恐々とドアを開けたことを思い出す。シャレた空間に若い女性のスタイリストやアシスタント、入っている客も女性ばかりと、思春期真っ只中の男子にはずいぶんとハードルの高い場所だった。

それでもカッコよくなりたい一心で行きはするのだけれど、結局自分に似合う髪形なんて知るよしもなく、勧められるままに流行りの髪形にしてもらう有り様だ。髪を切ってもらっている最中も、何を話していいかわからず曖昧な相槌を繰り返すだけだったのを思い出す。

20歳を越えても惰性で美容院には行くのだけれど、周りの客は若い女性ばかりなので場違いな感じがずっと拭えかった。むしろ歳を取るにつれて、違和感が強くなっていく。働き始めるとそれほど凝った髪形にはできなくなったので、尚更美容院に行く意味もないはずだった。まさに惰性としか言い様がない。

久しぶりに行った床屋には、若い女性が一人もいなかった。それどころか、小さい店というのもあって客は自分一人だけだった。小気味良く髪が切り落とされていく。鏡の前にいる自分には、美容院のときのような固い表情がなかった。

「顔剃りしますね」と声を掛けられた。床屋にはシェービングのメニューがある。これが美容院との最大の違いであり、床屋に帰った理由でもあった。歳を追うごとに髭は濃くなってくる。だからこそプロのシェービングのあるなしは、男の身だしなみにとって大きな意味をもつ。「床屋は男が無駄なものを削ぎ落として本来の自分に帰る場所だ」と河毛俊作氏がいった意味がよくわかった。

髪を切り、シェービングされた自分の顔は随分とさっぱりして見えた。まさに身だしなみが整った、という感のある顔だ。30を目前にした自分の、自然な顔がそこにある気がする。

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