2月に東京ドームに立ったテイラー・スウィフトとオードリーの狭間で
はじめに
2024年2月、東京ドームで二つのライブ/イベントに行った。『 The Eras Tour』と『オードリーANN in 東京ドーム』である。前者は世界一の興行収入になる見込みとなり、国家が動くほどの歴史的ツアー、後者はラジオのイベントとしては前人未到のスケールであり15周年を銘打ったが故のイベントだった。同じ場所で開催されたというだけでなく、この二つは共通点もあった。それは余りにもハイコンテクストだったことである。前者はアルバム一枚or代表曲を数曲知っている程だと凄さは一部しか味わえないだろうし、後者は15年続いてきたラジオ内で発生した言葉やドラマへの認識がないと難しい。そして非常に対照的な内容でもあった。前者は完璧なプロフェッショナリズムに貫かれ、後者は本業ではないプロレスやDJを取り入れる。前者はグローバル、後者はローカルでもある。この二つは2024年において両極の様にも思えたので筆を取ることにした。
テイラー・スウィフト『The Eras Tour』
今回のツアーが日本に上陸する前に多くの興奮が伝わってきていた。ディスコグラフィをアルバム単位(時代)で区切りつつ網羅するセットリストと圧倒的な公演時間と構築的なプログラム。あまりにも凄い経済効果をもたらすが故に「是非わが国でも」と国家単位で招集されたという話。そしてファンの熱狂。過去作とTaylor Versionとして新たに撮り直されたアルバムが10枚以上もずっとビルボードにランクインされ続けている状態は、最新アルバムを引っ提げてのツアーという単位では括れないほど巨大なものになっていた。
定刻通りに時計のカウントダウンから始まり幕を開ける。OPは『Lover』からの楽曲。前作の自身のネット上での噂や評判と向き合った『reputation』から一転した作品から幕を開ける。これは前のツアーとの地続きでもあるのだろうなと感じながら、的確なエレクトロニクスと演奏のバランス、音響は今までで見たドーム公演の中でも上位に数える出来で素晴らしかった。続く『Fearless』のパートでは生のバンド演奏が重視されるが、そこでのバランスも完璧。全方位において満遍なく行き届いている。と同時に、ある意味畏怖を感じはじめた。彼女のパフォーマンスや舞台上での立ち位置、ダンサーたちの配置、セットや照明含め何もかもが「求められている事をやり遂げる」ことに徹しているからだ。唯一生生しい部分を感じさせるのは、サプライズソングスと呼ばれる2曲である。今回のツアーでは彼女がピアノとギターの弾き語りで公演毎に好きな曲を演奏する時間がある。その前のMCも含め唯一無防備に観客と対峙し、たった一人で数万人と向き合う瞬間ともいえる。この3時間20分の内その10分こそが世界的ポップスターの自由が効く時間と考えるのは深刻すぎるだろうか。演奏後花道の下に飛び込んで、そこからメインのステージに戻り衣替えする彼女は、目下最新のアルバム『Midnights』のパフォーマンスでまた完璧な姿で戻ってくる。
ライブ後彼女に抱いたのは「好き!」という感情よりある種の畏敬の念でもあった。自身が提案したであろう座組とセットリストの完璧な構成の中、自縄自縛ともいえる状態でさえ乗りこなしてしまう。ギター一本でも踊りながらでも代表曲を持ち、輝かせてしまう幅は世界広しといえ彼女しかいないだろう。終演後にダンサーやバンドのメンバーが顔写真とともに紹介されているのを眺めながら、凄い現象だったと感じ入った。
『オードリーANN in 東京ドーム』
演目を知らされないままチケットを買い、現場に行くという経験も最早しないだろう。結果から言えば、今回は5年前に日本武道館で催されたオードリーのオールナイトニッポンのイベントと全く同じ構成だった。つまり場所は違えど、最初からラジオをリスナーに向けてやることを決めていた。そしてドームにファンではなくリスナーを集めた時点でこのイベントはほぼ成功していたといってもいい。ショーパブ芸人、味玉論争、新車で買ったベンツ、グレゴリーボム、DJでたびたび言及された過去回のフレーズ、星野源ANNからThe LIGHTHOUSEの流れは一見さんは視野に入れていない。飽くまでファン感謝デーとして貫かれている。後日公開された公演前日のインタビューでは徹底的に内輪でやると意思表示が示されている。しかしただの内輪向けでは16万人も集まるわけは無い。只管自身の信じた笑いと喋りを貫くこと。「感謝すること」へのテーマに掲げた最後の二人きりの漫才は、オードリーがラジオでやってきたことを証明する形にもなっていた。
最後に
この二つのイベントを見て思う事は、私がライブで心底求めているものはこの中間にあるのかもということだ。テイラーのライブには例えばプリンスのライブにあったようなファンとコール&レスポンスによって一つのムードを作り上げるという気概は良くも悪くもない。そしてBig Thiefのライブにあったような演奏やミス、ハプニング、揺らぎによってダイナミズムやスリルが生まれる瞬間は無い。呼吸は全て最初から合っている。ではオードリーのイベントはどうかと言えば、これは同じものを聴いてきたリスナーが初めて直接集うので最初からオードリーへの愛情と信頼が溢れている。良く見えなかったor聴こえなかったという声がほんの一部ででていても、参加した時点でパフォーマンスは度外視されている。流石にプロレスとDJにパフォーマンスそのもので魅了されたという人は少ないだろうし、もしいたら本職でやっているプロの方に失礼に当たるだろう。オードリーが「そこにいた」からこそ数か月の鍛錬でドームに立てるのであり、あの実力で一般人が人前に出ることは無理なのだから。
テイラーの途方もないプロフェッショナリズムとオードリーのアマチュアリズム(ラジオパートと漫才パートは除く)の交差する場所、観客と演者が互いに自立性を持ちながらも一つの空気を作り上げていくような高揚感。その空気の渦中にいることこそが私のライブに行く理由に他ならないと思わされた。だからこそまたライブハウスに武道館にガーデンシアターに東京ドームに、そして見知らぬベニューに足を運ぶのかもしれない。