20年前の駅前のTSUTAYAで出会ったのはわたし自身だった

その人は言った。
「メジャーなとこ行くね!」

…メジャー…?

「そうですね!」
とは、わたしは言葉が出てこなかった。

一瞬、何かが止まった。

そこではたと気づいた。
わたしは、バンプオブチキンを、
メジャーなバンドだと思ってなかった
ということに。

これは、

しばらくライブに行ってないなぁと
前はよく行ってたんだけどな

とわたしがぼやいていたのを聞いて
「どんな人のライブ行ってたの?」と
聞いてくれた人がいた

その時の会話のなかみ。

で、そもそも
バンプを知った時のことを
遡って思い出すと

当時好きだったaikoが表紙だった
『B'PASS』という音楽雑誌の
後ろの方

モノクロのメンバー写真と
数ページのインタビュー記事だった。

時は2000年
いまから22年前のこと。

当時彼らは、インディーズバンドだった。

聞いたことも見たこともない
バンドのインタビュー記事の中の
たったひとことに
心が掴まれたような感覚で

当時住んでいた
大阪の平野駅前のTSUTAYAで
棚に並んでなかったバンプのCDを
裏から出してきてもらって
レンタルし

そこからむさぼるように
ひとり部屋で聞いていたのを思い出す。

音が先だったんじゃない。
彼らの口からこぼれたたったひとこと。

それは、太字にもなってないし
インタビュアーに拾われてもいないし

ただ息をするように
当たり前のように
自然に出てきた言葉。

それが、はじまりだった。
そして、それが好きなところのすべてであったと
今振り返って思う。

誰にも説明できないような
自分にもわからないような
目には見えない、わかりやすくもない
誰とも似ていない

そういうエピソードなんじゃないだろうか

自分の心の奥底と
何かが不意に呼応したような

雑多な街中でその言葉だけが
耳に飛び込んできたような

無数の人混みの中で
その人とだけ目が合ったような

誰も目撃しない、
自分でも通り過ぎてしまえるくらいの

わずかなわずかなすきま。

そういうことじゃないだろうか

「好き」って。

自分自身としては
こんなに痛烈に鮮明に記憶にあり
衝撃を受けたというのに

わたしは誰にもこの話をしたことがない。

この先、誰かに話したいか?
いや、思わない。

でもだからこそ、
記しておきたくなった
ことばにしたくなった。
今になって。


きっと、誰もにそういうことはあって
ひとことでは済まない思いがあって

それを大事に抱えて生きている。

好きになった対象そのものより
実は
カラダが反応した、ココロが動いた
その経験が

きっとわたしにとって
キラキラしたものだったんだろう。

そこにぶわあっと
今までにないあついものが
込み上げて

わたしは
「生きてるんだな」と思った。

同じ温度で話せる人に
出会った気がした。

地元の女子校を卒業して
大阪に進学で飛び出したものの

もう親元でぬくぬく生きていけない
心許なさと
どう自分の人生を社会の中で作り上げたらいいのか
不安と焦りでいっぱいだったその頃。

その記事のひとことは
まるで
ラピュタの飛行石のように

ただまっすぐに
わたしのココロのど真ん中を
指し示してくれた。

希望を、望みを見出してくれた。

焦りや不安や心細さで
どれだけ目を凝らしても見えなかったものを。

最後にそのひとことを記しておく。

「今できることの中に
俺らのできるベストはある」

ありがとう、
バンプオブチキン。

今でも不安な時は 
飛行石を握りしめて眠っているよ。











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