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【AssistOn inFocus名作選】 月光荘画材店 日比ななせ

さまざまなデザインにAssistOn独自の視点でフォーカスする「AssistOn
inFocus」。ご好評をいただいているインタビューの中から特に人気の、2008年7月掲載の「月光荘画材店の道具」をnoteに再掲載いたします。


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まず、色の美しさをたのしむ、ということ

月光荘画材店は画家のためにスタートした画材店ですが、絵を描く人も描かない人も、お店にいらした皆さんを楽しませたい、という思いでこれまで続けてきました。

絵を描く人も描かない人も、毎日の生活のなかで、もっと色を楽しいでいただきたいと思っています。手紙やハガキにひと色添えるだけで、楽しい気分になったりしますでしょ。

上手く描こうとしなくたっていいんです。感じた色をちょっと載せるだけでいいんです。


月光荘画材店 日比ななせ


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日本を代表する画家たちに愛された本当の色、本物の道具


はじめて絵筆を握った時のことを、おぼえていますか?

だれもが学校の美術の時間に経験したことがある、絵筆を持つこと。そして絵の具を使って絵を描くこと。幼い頃の鉛筆やクレヨンで絵を描いていた時と比べて、ちょっと嬉しいような、緊張の瞬間。はじめて絵筆を握り、絵の具のチューブから色を取り出した時の、あのドキドキした気分。

絵を描かれる方ならすでに良くご存じかもしれません。銀座・月光荘画材店は、大正6年(1917年)創業から今年で91年(*2008年取材当時)の歴史をもった洋画材専門店です。

月光荘画材店の絵の具、そして道具たちは、ひとつひとつ、職人の手作りで作り上げられたものばかり。その品質の高さから画家からの信頼も厚く、長い歴史の中で月光荘の洋画材は、猪熊弦一郎や中川一政、小磯良平といった日本を代表する画家たちから愛され、彼らの作品づくりを支えてきました。月光荘の歴史は、日本の洋画の歴史そのものです。

特に絵の具の分野においては、1940年に日本で初めて純国際の油絵の具の開発に成功したのも月光荘でした。さらに1971年には「コバルトバイオレットピンク」の絵の具が、世界絵の具コンクールで1位を受賞。画材の本場であるフランスにおいても、ル・モンド紙が「フランス以外の国で生まれた奇跡」と絶賛したほど。

銀座8丁目にあるお店には、壁いっぱいに絵の具やスケッチブックなどたくさんの画材がところ狭しと並べられ、専門のスタッフが、プロ、アマチュアの画家のみなさんの画材選びに丁寧に対応されています。


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月光荘画材店オーナー 日比ななせさん インタビュー


2008年5月1日、月光荘画材店の2代目オーナー、日比ななせさんをたずねました。

古き良き時代のものと新しいものが融合する街、銀座。ここ数年、海外の高級ブランドの進出など、新しいお店が次々とオープンしている中で、昔からあるガス灯や柳のある風景、脈々と受け継がれている老舗もまだまだ存在しています。

月光荘画材店は、大正6年(1917年)創業から今年で91年(*2008年取材当時)の歴史をもった洋画材専門店で、絵の具や絵筆といった製品を自社で開発されています。

職人さんと一緒になって、ひとつひとつ作り上げられた製品には、楽器のホルンをあしらったトレードマークがつけられ、その質の高さから画家からの信頼も厚く、その長い歴史の中で、猪熊弦一郎や中川一政、小磯良平といった日本を代表する著名な画家からも愛されてきました。

プロの画家だけではなく、アマチュアのみなさんや、絵を学ぶ若い学生の皆さんにとっての信頼を置けるショップとして、さらにはこれから初めて絵筆をもつ小学生のみなさんのための学校指定の画材店として、長い歴史を積み重ねてきました。


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銀座8丁目にある現在のお店は、銀座の中央通りの資生堂パーラーの角を曲がった、花椿通り沿いにあります。赤い看板のホルンマークを目指していくと、外壁がレンガ積みされた建物の前にたどり着きます。はじめて行かれる方は通り過ぎてしまうかもしれませんが、建物の入り口奥に月光荘画材店はあります。

扉を開けた正面にはカラフルで優しい色合いのスケッチブックが目に飛び込み、右手の壁面には絵の具のチューブがズラリとならび、筆やバッグなど、所狭しと展示され、見ているだけでも楽しい気分になってきます。

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店内ではホルンマークのついたエプロン姿のスタッフのみなさんが、お客様の質問について丁寧に説明し、どんな絵を描きたいのかなど、ひとりひとりの要望を聞いてから、それに合わせた画材選びを提案されています。

また、地下には、銀座散策の途中に気軽に立ち寄ることもできる喫茶室や画室があり、プロ、アマチュアの絵画好きはもちろん、絵を描かない方や若い方々からもゆっくりすごせる場所として親しまれています。

2代目オーナーである日比ななせさんは、凜とした女性で、訪問した私たちをにこやかに迎えてくださり、月光荘画材店の歴史や製品のこと、創業者であるお父様のことなど、お話しをうかがいました。


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月光荘画材店のホルンマーク


月光荘画材店の自社製品にはすべて、「ホルン」のマークをつけています。このトレードマークは、創業者で私の父、橋本兵藏が「友を呼ぶホルン」として考案したものです。

絵の具や絵筆、パレット、スケッチブックはもちろん、それらを持ち運ぶためのバッグにいたるまで、すべてをオリジナルで製造販売する、というポリシーをもっています。

これらのオリジナル製品は、専門の職人が手作業でつくり、仕上げの作業にはお店のスタッフも加わっています。そして最終的にできあがった製品は、それらを手にされたお客さまが、安心してお使いいただけるものである、という印としてこのホルンの焼き印をいれたり、マークを取り付けます。

ですから、もしご購入いただいたこれらのホルンマークの製品たちが壊れたとしても、「ホルンの製品なら修理ができる」「ホルンマークのところに相談すればいい」というように思っていただけたら嬉しいです。


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与謝野鉄幹、晶子夫妻との出会い


月光荘画材店の創業者である私の父の橋本兵藏は18歳の時に、東京に憧れて富山から上京し、さまざまな仕事を転々としながら、YMCAの主事であったフィッシャー氏の書生となります。その時に住み込みをしていた向かいの家がたまたま、兵藏のあこがれの人物であった、歌人である与謝野鉄幹、晶子夫妻の家だったのです。

それを知った父は勇気をふりしぼって憧れの与謝野夫妻のお宅を訪ね、いつのまにかお手伝いをするようになり、いろいろなことを教わりながら、とても可愛がっていただいたようです。

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月光荘おじさんこと、橋本兵藏氏

明治、大正時代の頃には「サロン」といって、画家や小説家、建築家や歌舞伎役者など、様々な人たちが集っては、ジャンルを超えて語り合うといった文化がありました。与謝野夫妻の家には、いつも様々な方が集っていらして、父はお手伝いをしながら文化人や芸術家たちの熱気を肌で感じていたようです。

父はそういった環境の中、自分は芸術的なことはできないけど、この素晴らしい才能溢れる人たちに、何か役に立つことをしたい、と考えるようになりました。

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その頃、サロンに集まる画家たちから、国内で売られている画材に不満をもらしており、「良い絵の具の入手ができなくて困っている」という話を聞いていました。そこで、この芸術家たちのために何とかしたい、という思いで画材店を開くことを決意したのです。父がまだ20代前半の頃ですから、当時のサロンの熱気に充てられたんでしょうね。

サロンに集まる方々から「きみは色彩の感性が良いようだから、色に関係のある仕事が向いている」と勧められたことも、画材店を開く後押しとなったようです。そして、大正6年(1917年)、父が23歳の時に、月光荘画材店が創業しました。

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父がお店を開くときには、与謝野晶子さんが「大空の 月の中より君来しや ひるも光りぬ 夜も光りぬ」と詠んでくださり、鉄幹さんがヴェルレーヌの詩から引用して「月光荘」と名付けてくださいました。今もお店の入り口にある看板の「月光荘」の文字も、与謝野晶子さんに書いていただいたものです。


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本物を作りたい


月光荘画材店は、大正6年(1917年)に新宿で創業し、店の建築設計には藤田嗣治の助言をうけ、パリの街角をそのまま移したような斬新なつくりでした。

洋画界ではフランスに追いつけ、追い越せ、という時代でしたから、画材と言ったら、フランスのものを頼るしかなく、輸入した絵の具を販売していました。その頃は船便でしたから最低でも2ヶ月くらいはかかり、画家たちが使いたいときに欲しい色が無かったり、簡単に買えるようなものでは決してありませんでした。

その頃の日本には、まだ、顔料を使った油絵の具はなく、国産の絵の具といったら、ヨーロッパから輸入した染粉を練って作ったものしかなかったのです。ところがフランスの絵の具はたいへん高価ですし、簡単に入手できるわけではないので、画家たちは国産のものを使うこともあります。

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ですが、当時の国産の絵の具には不純物が混ざっていたり、色が悪かったりと、顔料で作られた輸入の絵の具とは比べものにならないものでした。

父はそんな画家たちの声を聞き、何とかしたい、画家たちが喜ぶような本物の絵の具を作りたい。とにかく、画家やお金のない画学生のために、純国産の絵の具を作らなければいけない、という思いに駆られました。

そこで、義弟(私の母の弟)と一緒に、絵の具の開発に取り掛かりました。戦時色が強くなってきた時代に、特に不足していた「コバルトブルー」の開発に着手します。原料のコバルトは軍事面で重要とされている物質で、政府を上げて研究が行われていました。

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絵の具の顔料は、原料となる鉱物を高温で焼いて、そこから抽出したものを取り出して作ります。二人とも専門知識があったわけでもないですから、ありとあらゆる専門書を片っ端から読み、どのようにしたら原料の鉱物から青色のコバルトの顔料を取り出すことができるのか、手探りの状態の中で実験を繰り返していきました。

川底の石(鉱物)をさらって、砕いたり、焼いていたそうです。焼く時も、何千度ならどうのような色がでるのか、この温度ではどうか、時間はどうかと、試行錯誤しながら、それはそれは、大変な苦労だったと聞いています。

失敗を繰り返しながらも、何としても画家たちの役に立ちたいという強い思いから、あきらめずに研究を続け、あるとき、間欠泉が吹き上がる様子をみて、ブルーの色を取り出す方法を思いついた、といいます。

この方法によって、1940年(昭和15年)に、遂にコバルトブルーの顔料抽出に成功し、日本ではじめての純国産の油絵の具が出来上がりました。月光荘画材店を創業してから、23年後のことです。

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このオリジナル絵の具の開発を喜んだ猪熊弦一郎さんは喜んで、新聞各社に知らせてまわられたということです。

晩年になって父は、当時の開発のことを振り返るたび「あの時と同じようなことは、もうできないな」と言っていましたね。それだけものすごい精力を注いだ末に出来上がったものなのでしょう。

戦後にも絵の具の開発研究は続けられ、「月光荘ピンク」と呼ばれるコバルト・バイオレット・ピンクを発明して、これは 1971年の 世界絵の具コンクールで1位を受賞して、ル・モンド紙に「フランス以外の国で生まれた奇跡」と身に余る評価をいただきました。


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猪熊 弦一郎(いのくま げんいちろう)

1902-1993 香川県高松市生まれ
戦前、戦後の日本を代表する洋画家。
1936年に小磯良平、脇田和らと新制作派協会を設立、若き画家たちのリーダーとして注目を集め、東京、パリ、ニューヨーク、ハワイと活動の拠点を変えながら、生命力あふれる多くの作品を残した。
イームズ夫妻、マーク・ロコス、ジャスパー・ジョーンズ、ジョン・ケージなど国外のアーティストとの交友も広く、特にイサム・ノグチとは生涯の友であった。1950年には三越百貨店の依頼で包装紙「華ひらく」をデザイン。「小説新潮」の表紙を40年間に渡って描いたほか、JR上野駅の壁画「自由」の制作や、慶應義塾大学大学ホール、丹下健三設計の香川県庁舎の壁画でも知られている。


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戦争中のこと


この「コバルトブルー」の完成に続いて、父は「世界の標準色」という全部で18種類の純国産絵の具の開発に成功します。

特にコバルトは軍や政府が莫大な費用をかけて研究を急いでいた物質でしたので、大学の研究室で出来なかったことが、町の画材屋なんかが作れるはずがない、偽物ではないかと言われたこともあったそうです。それほど貴重なものでしたので、軍から「コバルトがあるなら提出せよ」という命令があります。

しかし画を描きたい、という画家たちの思いを父は知っていました。まだ画学生だった若き日の宮本三郎さんは、いつも裸足で店にやってきたといいます。父は「なぜ靴をはかないのか」とたずねると宮本さんは「靴を買う金があるくらいなら、絵の具を1本買う」という。そういう必死な画家や画家の卵たちの姿を父は見ていました。

ですから、父はこの軍の申し入れを拒みました。その頃の時代を考えると、相当な覚悟だったのではないかと思います。しかし戦時中も月光荘画材店では絵の具を作っていて、戦地へと赴く従軍画家のために、軍需納品したこともあったようです。戦時中に日本の「戦争画」のほとんどは月光荘画材店の絵の具で描かれたものだと思います。


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月光荘おじさんとお客さま


父は皆さんから「月光荘おじさん」と親しまれていましたが、商売人というよりも、職人気質なところがありました。

いつもお客さまに喜んでもらえるようにと、職人たちと一緒になって製品を作り上げていました。使いもしないうちから適当なことを言って批判する人には「もう来んでいい!帰れ!」と追い返してしまうこともありました。それでも、しばらくすると追い返された人が「おやじー」といって、またお店にいらしゃるんですね。

その頃はまだ今のようなレジの装置がなく、昔の八百屋さんや魚屋さんにあったような、つり銭かごが上から吊されていて、自分でつり銭を取っていくということをしていました。ですから、計算を間違って取っていく学生も多かったようです。もちろん、父は分かっていたけれども黙っていました。

たまに、懐かしんでお店を訪ねてくださるお客さまから「もう時効だと思うから白状するけど、いつもおつりを多くもらっていました。」なんて、懐かしそうにお話しされるということもありましたね。

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猪熊弦一郎さんもよくお店にお寄りくださいました。ご夫婦で銀座で映画を観た後には「おやじ、いるかぁ?」とお店に入ってきて、見てきたばかりの映画のシーンを涙を流しながらお話ししてくださったものです。私自身も何度もお話をうかがったことはあります。

猪熊さんはよく油絵の具をお使いいただいていて、「チタンホワイト(No.1)」という絵の具は猪熊さんの依頼で作られたものです。「クリーミーな軟らかい白を作ってくれよ」というリクエストにこたえて作られました。

1951年に制作され、現在でも上野駅の中央改札口を飾っている有名な壁画「自由」でも月光荘画材店の絵の具が使われていました。

2002年にはその壁画の修復作業が行われ、ペンキの部分は劣化していたけれど、月光荘画材店の油絵の具のところはきちんと残っていたそうです。それを聞いたときは、本当に嬉しかったですね。職人たちとせめぎ合いながらも一緒になって作ったものが、50年経っても残っているんですもの。


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月光荘画材店のスケッチブック


猪熊さんがお店にいらしたときに、ホルンマークはこのあたりに入れようなどと、アイデアを出してくださったりしました。製本の仕方なども、背表紙からコイルがでる部分を少なくすることで、棚から取り出すときにコイル同士が引っ掛からないようにしました。これは猪熊さんがとても気に入ってくださいましたね。

他にも「ウス点」といって、デッサン用や下書き用の滑りの良よい紙に、1cm毎に薄い水色の点が配されたスケッチブックがあります。

実は、松下電器の創業者である松下幸之助さんも常連のお客様で、「点が入っていると、アイデアスケッチやメモを描くときのガイドになるし、邪魔にならないから使いやすくていいよ」といった会話の中から生まれたものだと聞いています。

この「ウス点」のスケッチブックは、点の色が薄いからコピーしても感光しないですし、後ろから使っていくと下のページに描いたものが少し透けるので、トレースして使うこともできるのです。作ったばかりの頃は松下電器さんから、会社で使うということで大量にご注文をいただいたこともあります。

お店には色々な方が気軽にお立寄りくださるので、そこで何気なく話していたことが製品に活かされることもあります。


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月光荘画材店の道具・こどもにこそ本物を


月光荘画材店の画材は、プロやアマチュアの画家のためだけに作っているのではなく、できるだけ多くの方に使っていただきたい。色をもっと楽しんでいただきたいと思っています。

月光荘画材店には、子供用の安い絵の具セット、というものはありません。画材に画家用、子供用やアマチュア用という区別はなく、同じ道具の中から、絵の具の一色、筆一本を描きたいものに合わせて、ひとつひとつ組み合わせてお使いいただいています。

父も常々「子供たちにこそ、本物を。」と言っていましたが、感性の養われる大切な時期だからこそ、色や絵の具、道具には本物をつかっていただきたいのです。

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毎年、月光荘画材店では、学校の教材用として、画材を納めています。どの色を使うのか、どの筆を使うのかということは学校ごとに違っていて、入学した新一年生にとって何がふさわしいのか、美術の先生方が絵の具を1本1本選んでくださったものです。また、一般の文具店でも購入できる安価な絵の具がある中で、「なぜ我が校では、月光荘画材店の画材を使うのか」というお手紙を書いていただき、父兄に対して添えてご案内くださっています。

私たちの画材はどれも大量生産しているものではありませんから、毎年、暮れ頃から6月くらいまでは学校へ納めるための製品生産で追われますが、これはとても嬉しい作業ですね。

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月光荘画材店の筆の軸にはニスや塗装をせず、白木そのままにしています。

これは画家の方からの要望で、筆に色や仕上げが施されていると、「描いているときに絵の具以外の色が視界に入ったり、反射するため邪魔になる」「長時間描いていると、手がすべって疲れる」という話をうかがったためです。もちろん白木のままの絵筆ですから、きちんと手入れをして使っていただかないと、筆が傷んでしまします。

しかし、絵を学ぶ、絵筆の使い方を学ぶということは、その道具の手入れの方法も学ぶことでもあります。特にお子さんたちにとっては、はじめて出会う自分の絵筆ですから、使い終わったら洗って、乾かすなど、きちんと扱ってもらいたいと思います。

あるとき「子供に使わせるもので、安い絵の具はありませんか」と店にやってきたお客様に、父はこう言っていました。

「子供だからこそ、本物の良い絵の具を使わせなきゃいけない。子供の頃にしっかりと色感を養っておかないと、一生取り返しがつかなくなる。うちの店にはニセモノの絵の具はおいていない」と。


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月光荘画材店の絵筆


絵筆には100%動物の毛を使い、水彩には水を良く吸い上げのよい馬毛を、油にはこしのある豚毛を使っています。筆先は職人が毛の癖を活かしながら、1本1本毛を梳いて形を整え、抜けないように金具をしっかり巻き締めています。

職人さんがひとつひとつ丁寧に作っているため、毛先が自然にまとまるようになっています。安く作られた大量製品や輸入品では、ナイロンの毛であったり、金具の締めが甘くて描いているうちに毛がぼろぼろ抜け、せっかく描いた画の上に貼り付いてしまうことがあります。

月光荘画材店の筆でしたら、お使いいただいているうちに金具が緩んでしまっても、毛や軸が腐っていなければ、職人に締め直してもらうことが出来ますから長く使えるのです。そのほかにも、画箱もフタや革のストラップを新しいものに取り替えることもできますし、バッグなども、かたちある限り修理をしています。

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よくご自分が使っていた画箱や道具を修理して、お子さんやお孫さんに引き継ぎたい、というご相談をいただきます。「おまえも、月光荘画材店の画材を使うような年になったのか」と、お孫さんやお子さんの成長を喜ばれる姿は、私たちにとってもとても嬉しいことです。

月光荘画材店の製品は、職人たちと一緒にひとつひとつ作っていますから、お届けまでにお時間をいただくことがあります。修理を行っていますから、もし、何年か経って修理が必要になったら、どうぞお気軽に相談いただきたいです。

月光荘画材店では50年、60年に渡ってお付き合いしている画材職人が何人もいます。最近では高齢の職人も多いため、技術を伝承できるよう、若いスタッフが職人の元で修行を積んでいます。


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まず、色の美しさをたのしむ、ということ


月光荘画材店は画家のためにスタートした画材店ですが、絵を描く人も描かない人も、お店にいらした皆さんを楽しませたい、という思いでこれまで続けてきました。

いつものホルンのスケッチブックの残りがなくなったから買いに来るのではなく、銀座に来たから月光荘画材店に寄ってみよう。今日、お店へいったら面白いものがあった。このように思っていただきたいのです。

画材を作って売るだけが、月光荘画材店ではないのです。月光荘画材店とは、匂いであり、風であり、温度であり、空気なんです。これからも変わらず、お客さまとのコミュニケーションやこの空気感をずっと大切にしていきたい、と私は思っています。

絵を描く人も描かない人も、毎日の生活のなかで、もっと色を楽しいでいただきたいと思っています。手紙やハガキにひと色添えるだけで、楽しい気分になったりしますでしょ。上手く描こうとしなくたっていいんです。感じた色をちょっと載せるだけでいいんです。


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インタビューを終えて


今回、訪問した月光荘画材店は、以前からアシストオンの店主やスタッフ間でも「大好きなお店」ということで、お店の雰囲気や製品づくりといった、お店の姿勢に学ぶところがある、と話題に上がることも多いお店でした。銀座に行くと、つい足を運んでしまうお店として、いつかアシストオンでも商品を扱わせていただくことができたらいいな、なにか接点ができたらいいな、とずっと思い温めてきました。

アシストオンでは設立当初より「まなそび(学ぶ+遊ぶ)」というテーマで、大人も子供も、自分の手を使って、実際に体験しながら、何かを感じてゆく、学習してゆくもの、ことを大切してきました。その一環として、誰もが学校では手にする絵筆や画材道具も、いつか離れてしまう。誰もができる絵を描くたのしみを取り戻すきっかけは無いだろうか?と様々な道具やグッズを探しててきました。

そこで、子供や初心者が絵を描くきっかけとなるような道具「画材セット」として扱うことはできないかと月光荘画材店にみなさんにご相談したところ、意気投合し、今回、月光荘画材店の画材類をアシストオンで扱わせていただくこととなりました。

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私たちアシストオン自身も画材については素人ですから、月光荘のみなさんから絵の具の色や筆などの画材について、ひとつひとつ指導をいただきながら、オリジナルの「水彩セット」、「油彩セット」を選んでいただきました。

このセットに含まれている画材は、どれも大量生産はではありませんから、一度に販売できる量は限られています。そのため時期によってはご注文をいただいてからお届けまでに時間をいただく場合がありますが、お待ちいただくぶん、末永くお使いいただけるものです。

学生時代に親しんだ絵に再びチャレンジしたい、ご自宅でも家族一緒に絵を描きたい、大切な方への贈り物にしたい、という方には最適なセットになっています。


*本インタビュー記事については「画家のノート 四月と十月」の「仕事場訪問・月光荘画材店のおじさん」の記事を参考にしています。ご承諾をいただきました牧野伊三夫さんに感謝いたします。ありがとうございました。


インタビュー AssistOn企画・広報部 斉藤有紀/豊川梨花 2008.7.3


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編集後記

AssistOn inFocusの人気記事から名作選、として復活させました。この記事は2008年7月 アシストオンWebに掲載したものです。

インタビューから10年以上経ち、月光荘のみなさんと一緒に企画しましたオリジナルセットは、現在もアシストオンの人気アイテムとして、毎年新学期の時期になるとお子さんやお孫さんへの贈り物として選ばれ続けています。

世代を超えて、長く、多くの方々に愛用されてきた、月光荘の画材道具の数々を、ぜひお手にとってお確かめください。


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月光荘画材店 画材セット 「水彩」

小学校、中学校の授業を通じて、私たちだれもが経験のある「水彩画」の絵の具を使うこと、絵筆を握ること。ひさしぶりにあの楽しさを再び体験したい、これから気分もあらたに絵画を学びなおしたい、とお考えの方に最適な水彩画の道具一式をセットしました。

すべて月光荘画材店がプロの画家たちのために作っている、本物の道具ばかり。手入れをきちんとして使う、多くの画家たちから「一生モノ」と言われてきた、100年を超える月光荘の歴史の積み重ねの結晶。初心者が使う道具だからこそ、きちんとしたものを、という願いでセットを構成しました。

月光荘画材店 画材セット「水彩」の詳しい情報と購入はこちら


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月光荘画材店 画材セット「油彩」

この「油彩セット」は、これから油絵の具による絵画を始めたい、とお考えの方にむけて組まれたセット。絵筆、パレット、ナイフなど、油絵の具を使うために必要十分な道具はすべて揃えています。

絵筆は油絵の具を使うためにコシのある豚の毛を使用したもの。ナイフは絵の具を混ぜるためのものと、塗ったり線を描いたりするためのものと、基本的に必要な「パレットナイフ」と「ペインティングナイフ」の二種類を揃えています。他にも絵の府を薄めるために「デリュージョン」など、必要なものは全て揃えました。

月光荘画材店 画材セット「油彩」の詳しい情報と購入はこちら


「AssistOn inFocus名作選」をまとめたマガジンはこちら。貴重なインタビュー記事の数々を、ぜひご覧ください。