シン・エヴァンゲリオン劇場版 マリとはなんだったのか ネタバレ感想 ・考察
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(以下、シン・エヴァ)を見た感想を忘れないうちに書き残しておきます。正直作品の半分くらいは理解できていない気がする上に、用語を使い間違えている可能性が大いにありますが気にしないことにします。
マリは『エヴァンゲリオン』という作品そのものである
シン・エヴァ鑑賞の感想を一言でまとめるとこうです。以下ではこの感想に辿り着くまでの流れを追っていきます。
シンジの願った世界
シン・エヴァのクライマックスでシンジは父との対話を果たします。これは、"拒絶の恐怖を克服し、他者と向き合う"という、いわばエヴァンゲリオンシリーズにおける目標の達成です。エヴァ世界での目標を達成しゲンドウの野望を阻止したシンジはご褒美としてアディショナル・インパクトによって願いを叶える権利を得ます。シンジが願った理想の世界は"エヴァのない世界"。つまり我々にとっての現実世界です。現実と虚構の境界を越えるアディショナル・インパクトの力によって、観客の現実とシンジたちの現実が裏返ったのです。
シン・エヴァのメッセージ
このことから、「エヴァンゲリオンの世界から脱却して現実世界に向き合って生きていこう」というメッセージが読み取れると思います。
このメッセージは旧劇場版で痛々しいまでに叩きつけられたメッセージと同じようですが、旧劇場版のラストシーンでシンジがアスカから決定的な拒絶を受けるのに対し、シン・エヴァではマリが成長したシンジの手を引いてくれます。この点でシン・エヴァは極めて前向きな作品であると思えます。
「エヴァからの脱却」というメッセージを前提とすると、現実世界で目を覚ます場所が(エヴァにおける精神世界の象徴である鉄道車両から降りた)駅のプラットホームであることや、レイ、アスカ、カヲルといったエヴァの登場人物たちが同じホームではなく(まるでスクリーン上にいるように)対面のホームにいることにも納得がいきます。
マリに手を引かれたシンジとゲンドウの対比
エヴァの登場人物たちが対面のプラットフォームにいるのに対し、マリはシンジの手を直接引いて駅の外へと誘い出します。これを作品のメッセージと重ね合わせると、作品の側の存在でありながら直接観客に働きかけることのできる存在、すなわち『シン・エヴァンゲリオン劇場版』そのものをマリが暗示していると感じました。
ここで気になるのが、ゲンドウの回想に登場したマリの存在です。マリは過去にゲンドウをユイと引き合わせています。これは、新たな世界に誘うという点でラストシーンのシンジに対する働きかけと同じですが、一方でゲンドウはユイの喪失を経験し現実逃避するかのように人類補完計画へとのめり込みます。ゲンドウが作中で自制している通り、これは他者との接触を恐れた独りよがりの結果と言えます。
つまり、マリに手を引かれ新しい世界へと飛び出した先には、喪失や拒絶に耐えきれず独りよがりの世界へと引きこもるゲンドウと、すでに人間社会を生きる覚悟と自信を身に付けたシンジという二つの可能性が提示されているのです。ややこじつけな気もしますが、かつて『新世紀エヴァンゲリオン』のメッセージを受け止めきれず、むしろ作品世界へと没頭した一部のエヴァファンは、シン・エヴァで語られるゲンドウの姿と重ねることができるかもしれません。だとすると、ここでもマリは『エヴァンゲリオン』そのものなのです。
ゲンドウとの対比を考えると、シンジの未来には最愛の人の喪失クラスの試練が待ち受けているのかもしれませんが、それでも拗ねずに他者の想いを受け止めて、対話を重ねながら生きていこうとシン・エヴァは語っています。
過去のエヴァを全て清算するシンジ
こうしてシン・エヴァはマリを通じて観客をエヴァからの卒業へと導いてくれました。
その立ち位置にふさわしく、シン・エヴァではシンジが過去作で提起された問題を完璧に解決するとともに、もはやエヴァの登場人物を必要としなくなっているという点にも言及しておこうと思います。
TVアニメでの"自己肯定による他者への恐怖の克服"という目標は、父との対話において達成され、さらに母の愛を過去から遡って確認することで補強されています。
また、父が越えられなかった他者への恐怖という壁を破り、父を残して現実世界に来たことで、シンジは擬似的に父親殺しを遂行しエディプスコンプレックスを克服したと言えます。
アスカと向き合うことでヱヴァ破における優柔不断を自覚したシンジは、もう旧劇場版のような中途半端な見殺しはしないでしょう。
ヱヴァQでのヴィレメンバーとの不和も、やや強引には感じましたがクライマックス直前に解消されます。
こうして完全体と化したシンジは、無償の愛と自己肯定を獲得し、レイにもアスカにもカヲルにも執着する必要がなくなります。だからこそ彼らには目もくれず駅を出るのです。
最後に
鑑賞直後はただただ前向きな余韻を感じたシン・エヴァでしたが、今はエヴァが終わってしまったんだなという寂しさが襲ってきています。
マリとともにエヴァンゲリオンの世界を脱出したどころか、終劇の文字を見た今、マリすら私の横にはいません。いてはならないのでしょう。
私の感じたメッセージは、すんなりと消化できるほど簡単なものではありませんでしたが、しばらくはシン・エヴァを咀嚼して反芻していようと思います。
ありがとう、エヴァンゲリオン。