歯な話

お題について記します。
なので、公開範囲はありません。


プロのキックボクサーをしています。
殴られて何なら顔も蹴られる商売です。
歯は大切です。
踏ん張りすぎて奥歯の根っこが膿んで腫れ上がり、でも、
試合前の減量中の為、カッターで歯茎を切ってオキシドールで
うがいをし、そのまま試合をしたこともあります。
奥歯は、試合後に抜きました。



幼少期から歯医者通いが嫌いでした。
口の中はとても神経が多い場所だからです。


歯が弱いのが嫌です。


ええ、自分自身の部位で一番嫌いかもしれません。
しれません、ではなく嫌いです。


幼少期から脆いものでした。
前述しましたが、歯医者が嫌いでした。


僕の時代、幼少期だろうと麻酔を打ってくれませんでした。
僕の地元だけだったのかもしれませんが、僕らの世代が子供の頃は
どこもそうだったのではないかと思います。
たまたま僕が行った歯医者だけというわけではないと思います。
幾つか替えたので。
でも、中学に上がるまで、そんな歯医者ばかりに通っていました。


席に着き、爪立てて血が出るほど太ももをその度、治療が終わるまで
抓りました。


生まれ変わったら、見てくれなんてもっと悪くてもいいから、
歯が丈夫であればいいなと、子供心に何度も思ったものです。



15歳でタイでデビューしました。
4オンスという、知らない方には分からなくて当然なのですが、
今では使用されていない小さなグローブをはめてリングに上がります。
そのサイズのグローブで試合する時代でした。
鼓膜に穴が空き、前歯にひびが入りました。


帰国して翌年、16歳の春に日本でデビューしました。
2戦したその年の夏、金魚の水槽に映る自分の顔をを眺めながら
下の歯で押し出すように踏ん張ってみました。
歯がどこまで我慢できるか知りたくて。
息を止めて踏ん張った次の瞬間、

「カーン。」

一瞬、理解出来ませんでした。
誰もいないはずなのに、何者かが僕の額を叩いたのです。
次の瞬間、理解しました。
穴の空いたホースのような自分の呼吸で、前歯が失くなった
ことを知ります。
下顎の歯で押し出されて折れた上の前歯が水槽のガラスに
跳ね返って自分の額に当たったのです。

1988年8月のことです。
その時の状況がフラッシュバックしました。

前歯に根っこは残っていました。
なので、歯医者に行き治療してもらいます。
通常の差し歯だと芯が硬いため、歯が折れた際に根っこも割れて
しまう恐れがある為、それよりも脆い素材の芯で差し歯を
作ってもらいました。
その後、試合やスパーリングの度に折れて、その度に数日歯のない
間抜けな顔で生活し、また歯医者に行くという生活をしてきました。
翌年、2年遅れで高校に入学し、ただでさえ歳が違うから同級生と
話が合わないというのに、度度顔が腫れていたり前歯がなかったり
するものだから高校生生活は肩身の狭いものでした。



1本が2本に、ブリッジをしてそれが折れて4本の前歯を
失いました。
22歳から前歯は入れ歯です。
特殊な仕事をしているとはいえ、これは結構嫌でした。


とても恥ずかしいです。


その数年前、十代後半の頃にテレビで知ります。
モンゴル人は虫歯がないそうです。(当時)
ミュータンス菌が口の中にないからだといいます。

ミュータンス菌、当時知っていた十代は奇特だったと思います。
後に治療を受ける東京歯科大学病院でそのフレーズを口にする
僕に、歯科医が驚いていました。


どういうことかというと、虫歯の原因とされるミュータンス菌が
親になければ子供もないという訳です。
赤ん坊に親は口移しなどをする為、親の唾液にそれがなければ
感染しないというのです。
硬いものは親が噛み砕いて口移しをしますものね。
ある程度の年齢までは理解していただけると思います。
昔はそうでした。


親は煎餅など、噛み砕いたものを指先でつまみ出し、赤ん坊の
口へ入れるのです。


その菌を十代後半で知ってからというもの、いつか自分の子供が
出来たらそれだけはしないようにしようと心に決めました。


後に結婚し、子供が産まれます。
こんな僕でも父親になれました。
息子の口に触れるかもしれないものには一切口を触れないように
努めました。
一度口つけたコップは絶対に口をつけさせない様、気をつけました。
元嫁にも自分の親にも嫌な顔されましたが強く説明して
理解してもらいました。
子どものうちから虫歯ができるような体質にだけはさせたく
なかったのです。

でも、自分と自分の両親だけではありません。
嫁の実家もあります。
義父は既に他界していて、義母が義理の姉夫婦と
住んでいます。
連れて行くと、
「はい、あーん。」
噛み砕いたかっぱえびせんだかをを指先で摘み、息子にあげようと
します。
「やめてください。」
手を出して止めました。

「この子がくれって云うから。」
迷惑そうな顔をして義母は僕に不快な視線をくれます。


「くれなんて云ってませんよ。」
喋れる訳がないのです。
息子はまだ1歳にもなっていません。


その様子をテーブルに座った義理の姉夫婦は笑顔で
その模様を見ています。


気持ち悪い。


義理の姉夫婦は小学校の教師(義理の姉は元)です。
実に気持ち悪い。
いじめがなくならない訳です。


その後、離婚して息子の歯磨きは徹底して
きました。
「磨いた。」
息子はそう云っても僕がもう一度仕上げをしました。
でも、小学生の頃に1度だけ虫歯が出来てしまいました。
凄く悔しかったのを覚えています。

東京歯科大で治療して、中学生になるまでしつこく
口を出してきました。


その後、大人になるまで歯医者には行かなかったので一つの
役割は果たしたかなと思います。



#いい歯のために

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特にお得なことはないかもですが、でも、僕が 思うこと、感じたことなどを日日綴ります。

100戦してこれまでの減量や試合にまつわる客席からは 感じることのできないことなどを 綴れたらなと思います。 なんの参考にはならないけれ…

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これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。