13戦目1990年7月14日
出世試合になります。
でも、残念に思います。
詳細は「死にぞこない」のマガジンに記してあります。
18歳、3回目のメインになります。
3度目のタイ人となります。近い将来、タイで
ランキング入りするであろうといわれる選手との試合です。
今も交流のある担任の雑賀先生は背中に校章の刺繍を施した
ガウンを作ってくれました。
この試合、沢山勉強しました。
彼には感謝しています。
ですが、その後受けた屈辱は忘れません。
彼の名前はアルンサックから聞いていました。
1R、全力で行って、2R、残ったスタミナで
全力で行く。
それを最終ラウンドまで、そう考えていました。
どこかでどちらかが終わらせるだろうと
思っていました。
日本対タイの対抗戦で、僕がメインでした。
異常に盛り上がったのを覚えています。
語弊があればあやまりますが、この試合で、日本人側の
感覚に一石を投じたと思っています。
頑張れば出来る、用いる語彙は稚拙ですがそんな
感覚の種を植えた試合と思っています。
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これがなんのことやらか、ようやく 理解しました。 どうもです。 頑張ってホームラン打とうと 思います。