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「このバラド」に平安を:聖典クルアーン「町章」章名、第1-2節をめぐって

「バラド章」は「町章」か?

「土地のある特定の部分を指し、発展しているかどうか、人が住んでいるかどうかにかかわらず使われる言葉特定の場所や地域を指す言葉」とは、リサーヌルアラブが「バラド」の項の説明の冒頭に引用しているアズハリ―による定義である。バラド、いや正確には「アルバラド」とは、日本ムスリム協会の訳では、「町」と訳されている聖典クルアーンの第90章の名称である。

ハディースの中にもこの語は現われる。『アルバラドの住人(の悪)からお守りくださいますように』[1](イスナードは弱いハディース)。この「アルバラド」は、マッカのことを指すと考えられるが、ここでは、歳や国と言ったニュアンスはなく、ただ動物の住む場所を意味し、建物があるかどうかは関係がない。ジンもまたバラドの住人たりうる。複数形は、「ビラード」と「ブルダーン」。それらを使うと広い地域を指すことができる。しかし、「バラド」という単数形も、地域全体を指すと主張する学者もいる。例えば、イラクやシャーム(現在のシリアなどの東アラブ一帯)などもバラドと呼べるということである。そして、「バラド」にターマルブータを付けると、バスラやダマスカスを指す、つまり、バラドの中の特定の一部地域を指すことになる。

また、「バラド」にせよ「バルダトゥ」にせよ、町や村や都市や国ではなく、「土」を指す言葉であり、「バラド」は、地面が掘られず、建築物もない状態の「土地」を指すということなのだ。

こうした語義とそれに付随するイメージを持ちながら、「バラド」はマッカを指すこともある。アルバラドと言ったらマッカ、アンナジュムと言ったら昴(الثريا)、アルウード(香木)と言ったらマンダルというのと同じである。そう言えば、マディーナ(都市)にアリフラームがつくと、ヒジュラの先のマディーナのことである。バラドは、土地、それにアリフラームがつくと、マッカということなのである。 

「邑」に「まち」とルビを振った井筒訳の深さ

筆者にとって、もっともなじみのあるのが、日本ムスリム協会の対訳注釈聖典クルアーンにある「町章」である。本格的にイスラーム研究を始めたときから、日本で唯一の日本人ムスリムによって設立された日本ムスリム協会の『日亜対訳注解聖クルアーン』による訳をいわば「定訳」として扱ってきたこともあって、「バラド」というアラビア語より「町」という言葉が先に浮かんでしまう。
しかし、それだけがクルアーンの訳ではない。名訳としても名高い、井筒俊彦の『コーラン』(岩波文庫)ではどうなっているのであろうか。そこでは章名が「邑」され、「まち」とルビが振ってある。ちなみに、「邑」とは、人名用の漢字で、漢字検定準1級、日本語能力検定1級レベルの漢字である。音読みがユウ、オウ、訓読みが「むら・みやこ・くに・うれえる」。意味は、「うれえる/くに/むら・さと」である[2]。「まち」とは普通は読まれないため、ルビを振ったのであろう。しかし、「邑」が元々、「古代中国の都市国家的な集住地」[3]のことであったと知れば、井筒の訳語選択の深みが分かるというものではあるが、前述の通り「バラド」自体に集住地のニュアンスはなかった。古代中国の都市国家のイメージを当時のマッカの想起の助けにする。そんな訳者の思いが見えてくる。

井筒訳より、協会訳よりさらに新しい中田考監修による『日亜対訳クルアーン』は、「国」としている。「冒頭の誓言句「この国にかけて(1節)にちなみ「国」章と名づけられる。」と章の概要を説明する。「国」と訳した経緯については説明がない。

「アルバラド章」をどう訳す?

英訳にも目を転じてみよう。The Islamic Foundation(英国に1973年に設立されたムスリム支援団体)[4]の”The Qur‘an in Plain English”では、The Cityである。Al-Balad (90: The City)の章の内容の解説の冒頭に、「栄誉ある都市マッカに因んでその名がつけられている」としているが、ここでもバラド=City以上の説明はない。

『メッカへの道』の作者、パキスタンの初代国連大使も務めた、ユダヤ系改宗ムスリム、ムハンマド・アサド(1900-1992)“The Massage of the the Qur'an, Dar Al-Andalus, 1980”の英訳では、AL-BALAD(THE LAND)となっている。その脚注には、「古典注釈学者たちは、この「balad」というタームに”city”の含意があるとして、「このバラド」とはすなわちthis city であり、メッカを指す…」と言及している。彼の訳では、このTheLand 章の明文においても、バラドは、一貫してland と訳されている。Land という翻訳は、リサーヌルアラブの解説するバラドの語義にもっとも近い。

こうして日本語と英語の訳語を並べてみると、バラドという言葉に与え得る限りの訳語が与えられていることが分かる。「町」、「邑」、「国」、「都市」、「土地」、“Land”。「バラド」を言語的にのみ捉えたならば、「土地」がもっともふさわしいのだが、明文では、「このバラド」と指示代名詞に導かれており、しかも、それはマッカのことだとなると、それならば、いかなる言葉が適切かと、バラドからではなく、このバラドが指すマッカの方から訳語を検討してみようということがあっても不思議ではない。

とはいえ、いくら他の言語によって言葉を尽くしたとしても、「バラド」の一語に及ばない。こうしたことが起きるのは、「バラド」に限った話ではないことは容易に想像がつく。聖典はアラビア語でしか語られえないということが、ここからもわかる。改めて聖典の偉大さを知ると同時に、アラビア語以外の言語によるクルアーン理解の難しさ、あるいは、翻訳によって示された内容が、いよいよ、聖典それ自体からは離れざるを得ないことも教えてくれているように思う。しかし、それでは、聖典は他言語の話者には理解できないことになってしまう。

マッカはなぜカサムの引き合いに出されるのか

聖典を読誦する際に、何が頭に浮かぶのか、自ら読んだときと、読みを聴いたときに違いがあるのかないのかといった問題も想起される。というのは、「まち(町/邑)章」と言われたときと、「国章」と言われたとき、「都市章」あるいは「土地章」と言われたときでは、思い浮かぶものがそれぞれにかなり異なるのではないかと思われるからである。「邑」の字を用い、「むら」ではなく「まち」と読ませる井筒訳はそもそも読み聞かせには、そぐわない。

聖典クルアーン第90節の章名について、たしかに訳語はさまざまではあるが、幸いなことに、ここに言う「アルバラド」はマッカのことであった。なぜ、マッカがカサムの引き合いに出されたのか。そのなぜを解くことによって、つまり、表層的に錯綜するシニフィアンではなく、それらが共通して指示するシニフィエ、つまり、町だ、国だ、都市だ、土地だのレベルではなく、それらが共通して指している「マッカ」のその意味内容を理解すれば、アルバラドによる直接的な理解に、少しは近づけるのではないかと思う。

ここでは、アッラーズィーの注釈に尋ねてみたい。マッカには、アッラーから様々な恩寵が与えられていることを知るべきだという。とりわけ注目すべきは、それが人類史上初の純正な一神教徒、イブラーヒームが啓示を受け、礼拝に立った場所であり、祈りのための家が建立されたということである。入る者すべてに平安を与えてくれる家[5]。それゆえ、その場所が、行きとし生けるすべての者たちの祈りの場となり、どこにいても祈りを行なう際の方向となり、さらに、歩いて、あるいは痩せこけたラクダに乗って出かけるべき巡礼の地とされたのである。

原則、徒歩でたどり着くべき巡礼地だったのだ。そうであればなおさら、マッカという地のありがたみは増すというもの。他に並ぶものを排する、つまり、巡礼者たちの一神教への信仰をさらに研ぎ澄ますものになったことになり、このまち、マッカの恩寵は、人々の信仰とその実践により、いわば自働的に厚くなっていったものと思われる。

「ワ・アンタ・ヒッルン・ビ・ハーザルバラド」とは

このまち、すなわちマッカがカサムに値する恩寵が積み重ねられてきたし、これからも積み重ねられるであろうという点については、イブラーヒームと彼の説いた純正な一神教の教えとのかかわりで明らかになった。このまちと預言者ムハンマドとの関係はいかなるものなのであろうか。「このバラドを引き合いに誓う」とした直後に、「ワ・アンタヒッルン・ビ・ハーザルバラド」という聖句が挿入句的に付加されている。

アッラーズィーは、この聖句の意図として5つの事柄を指摘している。

①アッラーの御使いムハンマドは、このまちに居住しているという、事実の指摘。「ヒッルン」を「ムクィームン」の意味で解する。彼が住んでいるのだから、このまちは特別なのだということ。

②「ヒッルン」を「ハラール」の意味に解する。敵対勢力でさえも、ムハンマドに危害を加え、殺害を企てることもハラールになってしまっているということ。信仰と生命が危機にさらされている状態を喚起し、信者のつながりを教化しようとする。

③「あなたはヒッルン」であるとは、ムハンマドがやることなすことすべて、ハラールであるということ。現にマッカにおいてムハンマドは、自分の望み通りに正邪を決め、不信心者を死に処してもいる。

アブドゥッラー・ブン・ハタルは、カアバの天幕にぶら下がって離れなかったため殺害されている。ハディースでは『実にアッラーはマッカを諸天と大地の創造の日に神聖なものとし、それは、復活の時がやってくるまで侵さざるものであり続ける。私の前に誰もそれを破らなかったし、私の後にもまた誰もそれを破ることはできない。だが、昼間の一時間を除いて破られなかった。マッカの樹木は伐られない、マッカの草も刈られない、狩りの獣は脅されない、拾得物は、ナシード(宗教歌)の歌い手以外に許されることもない。イブン・アッバースは言った。「(その部分は)レモングラスを除いてですよね。アッラーの御使いよ。なぜならばそれは、それはわれわれの家屋と棺桶のためのもの」すると、アッラーの御使いは言った『レモングラスは例外だ』』と伝えられる。

④ムハンマドは、マッカにあって、カアバに対して絶大な敬意を払っており、禁止事項を破って罪を犯すようなものではないということ。

⑤ムハンマドは、この高貴なるまちに住むことを許されているということ。住んでいるという事実ではなく、住むことを許されているという形でアッラーからの許しがあってはじめて、彼の居住があるという構成になっている。

「アルバラド」は何処に

この箇所の邦訳を一瞥しておこう。まず、日本ムスリム協会訳。「あなたはこの町の(居住権を持つ)住民である」とする。

次に井筒訳だが、「そうだ、汝はこの邑で何んの禁忌ももたぬ身だ」。としてから、カッコ書きで訳注を付している。「この一句は誓言の途中で急にマホメットに直接語りかけたもの。一種の挿入句。メッカは聖地で一切の殺人は宗教的禁忌であるが、マホメットに限ることで邪宗教徒を殺害することは許されるという意」と補足している。

中田訳では、「――おまえはこの国で許されている――」となっていて、挿入句的な性格をダッシュ記号によって際立たせると同時に、「許されている」の内容については、脚注に託している。

曰く。「マッカは禁域であるにもかかわらず、多神教徒たちは、預言者ムハンマドに手出しすることが許されると考えて迫害している。一説では、預言者ムハンマドは、マッカにおいて多神教徒と戦うことが許されているということを意味する。あるいは、「ヒッル(許される)」とは居住者であることを意味し、預言者がそこに住むことによってマッカの誉れが増す、との含意があるとも言われる」。

これらの諸説は、「ヒッルン」を「ハラールン」の意味でとらえていると言えそうだ。そして、アッラーズィーの注釈があげていた5説のうちのいずれかに落ち着く。つまり、それ以外の読みの可能性は、まだ示されていないということでもある。

この土地は、マッカというのが前提であった。その前提を崩すヒントが、アルバラドにあると考えられる。バラドがそれなりに広い地域をカバーできる言葉であったとするならば、マッカとマディーナの両方を含め、あるいは当時のイスラーム共同体の地理的な広がりの全体、さらにはヒジャーズあたりを指す言葉だとしてみたのなら、マッカ開城後は短期間だったのではないかという疑問とそれに対して、アッラーの言明は将来を予測したもの含まれると言った、ある意味苦しい、解説を行なう必要もなくなる。もちろん、その性質があるからこその啓示ではあるのだが、バラドに住んでいるし、ハラールを享受しつつもそれを知らせる立場にもあった預言者ムハンマドの生涯に、何の齟齬も生じないのではないか。飛行機や長距離バスで乗り付ける巡礼者が大多数に及ぶ巡礼地マッカで積まれている徳も当初想定されていたものとからは変わってきている可能性もあろう。同じヒジャーズでも、地域格差は周知のとおりである。平安の町マッカのありようが平安の土地ヒジャーズへそして、アッラーに祝福された土地(パレスチナレバノンを含む大シリア、そしてイエメン)へと広がるようになったとき、世界は間違いなく平安に近づける。アッラーフ・アアラム(アッラーはすべてを御存知)。

脚注

 [1] 2 - كان رسولُ اللهِ صلَّى اللهُ عليه وسلَّمَ إذا غَزا أو سافَرَ فأَدرَكَه الليلُ قال: يا أرضُ ربِّي وربُّكِ اللهُ، أَعوذُ باللهِ من شَرِّكِ، وشَرِّ ما خُلِقَ فيكِ، وشَرِّ ما فيكِ، وشَرِّ ما دَبَّ عليكِ، أَعوذُ باللهِ من شَرِّ ساكنِ البلدِ، ومن شَرِّ والدٍ وما ولَدَ، ومن شَرِّ أسَدٍ وأَسودَ، وحَيَّةٍ وعَقربٍ.

https://dorar.net/hadith/search?q=%D8%AE%D9%84%D9%82%D8%A9&m%5B0%5D=1438&page=1&xpand=1&rawi[]=7687#:~:text=2%20%2D%20%D9%83%D8%A7%D9%86%20%D8%B1%D8%B3%D9%88%D9%84%D9%8F%20%D8%A7%D9%84%D9%84%D9%87%D9%90%20%D8%B5%D9%84%D9%91%D9%8E%D9%89,%D9%88%D8%A3%D9%8E%D8%B3%D9%88%D8%AF%D9%8E%D8%8C%20%D9%88%D8%AD%D9%8E%D9%8A%D9%91%D9%8E%D8%A9%D9%8D%20%D9%88%D8%B9%D9%8E%D9%82%D8%B1%D8%A8%D9%8D.

[2] https://mojinavi.com/d/u9091

[3] 邑(ゆう)は、古代中国の都市国家的な集住地。後の中国の文化や文明のもととなった黄河の流域の古代文明において、新石器時代から青銅器時代である春秋時代中期にかけて広く展開した。漢字の邑は区画や囲壁をあらわす「囗(くにがまえ)」にひざまずいた人をあらわす「巴(卩)」をあわせた会意文字で、この全体を略した部首が「阝(おおざと)」である。邑の社会は同姓の一族による氏族共同体で大抵は土塁よりなる囲壁をめぐらし、周囲に氏族民共有の耕作地が展開した。 [1] [2]  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%91

[4] https://www.islamic-foundation.org.uk/page/about-islamic-foundation

[5] 《言ってやるがいい。「アッラーは真実を語られる。だから純正なイブラーヒームの教えに従いなさい。彼は、多神教徒の仲間ではなかった。」本当に人々のために最初に建立された家はバッカ(マッカの古代名)のそれで、それは生きとし生けるもの凡てへの祝福であり導きである。その中には、明白な徴があり、イブラーヒームが礼拝に立った場所がある。また誰でもその中に入る者は、平安が与えられる。この家への巡礼はそこに赴ける人々に課せられたアッラーへの義務である。》(イムラーン家章95-97節)。

《われはあなたが(導きを求め)、天に顔をめぐらすのを見る。そこでわれは、あなたの納得するキブラにあなたを向かわせる。あなたの顔を聖なるマスジドの方向に向けなさい。あなたがたはどこにいても、あなたがたの顔をキブラに向けなさい。…》(雌牛章144節)

《われが人々のため、普段に集まる場所として、また平安の場として、この家(カアバ)を設けたときを思い起こせ。(われは命じた。)「イブラーヒームの(礼拝に)立ったところを、あなたがたの礼拝の場としなさい。またイブラーヒームとイスマーイールに命じた。「あなたがたはこれをタワーフ(回巡)し、イアティカーフ(お籠り)し、サジダする者たちのために、わが家を清めなさい。」》(雌牛章125節)

《われがイブラーヒームのために、(聖なる)家の位置を定め(こういった)時のことを思いなさい。「誰も、われと一緒に拝してはならない。そしてタワーフ(回巡する者のため、また(礼拝に)立ち(キヤーム)、立礼(ルクーウ)しサジダする者のために、われの家を清めよ。》(巡礼章26節)

《人々に巡礼(ハッジ)するよう呼びかけよ。彼らは歩いてあなたの許に来る。あるいは、どれも痩せこけているラクダに乗って、遠い谷間の道をはるばる来る》(巡礼章27節)。

 

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