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「希望」という偶像:魯迅「故郷」をめぐって

ルントウとシュンちゃん

中学校3年『国語』の話。魯迅(1881年-1936年)という名前を久しぶりに聞く。「故郷」の作者である。1921年に発表されたこの作品は、1959年以来『国語』の教科書に掲載されはじめ、当初は1社のみだったものが、やがてすべての教科書に掲載されるようになり、今日に至るというのだから、1970年代に中学生だった筆者も、きっと読んでいたに違いない。しかし、魯迅と言えば『阿Q正伝』は出てきても、「故郷」についての印象も感想も思い出せはしない。
知事に任命された主人公「私」が、母親が一族で住んでいた故郷の屋敷を引き払う際の寂寥が、幼少の頃の回想とともに語られる。軸になっているのが、マンユエ(忙月)と呼ばれる繁忙期の雇人の息子、ルントウとの子供時代のきらきらした思い出と、別れて20年後、子だくさん、凶作、重税、兵役、匪賊、役人、地主にいたぶられ「でくのぼう」みたいな人間になってしまった彼との関係性の変化だ。

「ルンちゃんよく来たね……」と呼び掛けても「旦那様!……」としか返ってこない。「私は身震いしたらしかった。悲しむべき厚い壁が、二人の間を隔ててしまったのを感じた。私は口がきけなかった」のである。母は、ルントウの他人行儀に対して「昔は兄弟の中じゃないか。昔のようにシュンちゃんでいいんだよ」とうれしそうなのだが、「めっそうな、ご隠居様、なんとも……とんでもないことでございます。あの頃は子供で、何のわきまえもなく……」といった具合だ。

病んでいるのは…

ところで、医学生であった魯迅は1902年に日本へ留学。文芸の道を歩むと決めたのは、1904年に入学した仙台医学専門学校(現:東北大学医学部)在学中のことであったとされる。その経緯を端的に表したのが、小説『吶喊』の原序に収められているの次の一節だ。
医学部の講義の合間に見せられた日露戦争の幻灯機動画。久しぶりにまとまった数の中国人を目にしたという。すると…

「…一人は真中に縛られ、大勢の者が左右に立っていた。いずれもガッチリした体格ではあるが、気の抜けたような顔をしていた。解説に拠ると、縛られているのは、露西亜ロシアのために軍事探偵を働き、日本軍にとらわれ、ちょうど今、首を切られて示衆みせしめとなるところである。囲んでいるのは、その示衆みせしめの盛挙(せいきょ)を賞鑑(しょうかん)する人達である。
…あのことがあってから、医学は決して重要なものでないと悟った。およそ愚劣な国民は体格がいかに健全であっても、いかに屈強であっても、全く無意義の見世物の材料になるか、あるいはその観客になるだけのことである。病死の多少は不幸と極まりきったものではない。だからわたしどもの第一要件は、彼等の精神を改変するにあるので、しかもいい方に改変するのだ。わたしはその時当然文芸を推した。」

魯迅『吶喊 原序』井上紅梅訳,,青空文庫 (底本「魯迅全集」改造社,1932(昭和7)年11月18日発行)

中国人の屈辱的な姿、そして、その屈辱でしかない処刑を見世物として嬉々としている愚劣な民衆の姿に、身体の病の治療の前に、中国人の精神の改変のこそが喫緊、つまり医学より文芸と感じたということであろう。

儒教を批判し、中国国民党を批判し、中国人の覚醒を終生説いた魯迅。中国共産党は魯迅を、「民国期の言論界で、欧米・日本の帝国主義国に対し抵抗しつつ、その近代文化を主体的に受容しようとした点、および左翼文壇の旗手としての国民党批判者としての「戦歴」により、魯迅は中国革命の聖人へと祭り上げられた」のだという。

話をルントウに戻そう。「私」は過酷な彼の境遇に接し、せめて自分たちの子供の若い世代には、互いに隔絶することのないように、彼らが一つ心でいたいからといって、「私のように、むだの積み重ねで魂をすり減らす生活を共にすることも願わない。またルントウのように、打ちひしがれて心が麻痺する生活を共にすることも、願わない。また他の人のように、やけを起こして野放図に入る生活を共にすることも願わない」そして、私たちが経験しなかった新しい生活を持つことが、「希望」だとした。
彼は、引き払いのため近隣の人々に家財道具を分けている「私」の家から、香炉と燭台を所望したという。それにたいして、「私」は「相変わらずの偶像崇拝だな、いつになったら忘れるつもりかと、心ひそかに彼のことを笑った」のだが、その偶像崇拝ぶりに「どきっと」していた。
「いま私のいう希望もやはり手製の偶像に過ぎないのではないか」。手に入りやすいか難いかだけの違いではないのかと気づいてしまう。

魯迅は、「故郷」をこんな言葉で終える。
「思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなればそれが道になるのだ」と。

希望の在処

1936年満州事変の年に魯迅は亡くなる。その後90余年。地球上を、夥しい数の人が道を歩いた。ときにはジャングルをつぶし、森を剥ぎ取り、もともと住んでいた人々を原子爆弾や空爆、あるいは、暴力や法律や昔の掟を持ち出して追い出しては歩き続けてきたし、今なおその勢いは止まらない。踏み固めを通り越して、それぞれに歩く人々の意識を煽って踏み荒らし放題だ。しかもその踏み荒らしはもはや陸上のとどまらない。海上に宇宙に、あるいは人の心に。果たして、そこに人類の「希望」はあるのか。

教科書は、「故郷」を読むにあたっての目標を「人の生き方や社会とのかかわり方を考えるうえでの、読書の意義を理解する」「小説を批判的に読み、時代や社会の中で生きる人間の姿について考える」としている。どこまでも批判的に読むことのできる、あるいはぜひそうして欲しい作品だ。聖人の作品だからと怯むことはない。中学校で教壇に立つ先生方、そして中学生たち若い世代による、偶像ではない「希望」の発見に期待したい。

参考/引用文献

魯迅「故郷」(竹内好 訳)、『国語3』中学校国語科用 令和4年2月(同2年検定済) 光村図書、98-113頁。

タイトル画像:

教科書 102頁口絵 (赤羽末吉・絵)






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