「アルガーシヤ」とは:《クルアーン》「アルガーシヤ章」をめぐって(その1)
きっと翻訳者泣かせ
章名が《アルガーシヤ》で、《アルガーシヤの話があなたに届いたか》で始まる本章。「アルガーシヤ」とは何なのか、ここでも、まず既存の日本語訳を見ておこう。
日本語訳
日本ムスリム協会の訳では、章名を「圧倒的事態」とし、第1節を次のように訳す。
《圧倒的(事態の)消息が、あなたに達したか》
そして、「圧倒的」に脚注を付し、「現世におけるとるに足りないあらゆる見解の相違が、新しい世界においては完全な公正と真実のもとに、覆われる」と補足する。
井筒俊彦は、章名を「蔽塞」とし、
「蔽塞の話は汝の耳に達したか」と訳し、「蔽塞」の語の直後にカッコ書きで「(天地終末の日の暗澹たる光景。一切のものを蔽い包むゆえにかく言う)」としている。(ちなみに「蔽う」とは「さえぎって隠す」の意)。
中田訳では、章名を「覆い被さるもの」とし、第1節は、
「お前のもとに、(人々に)覆い被さるもの(大災、最後の審判)の話は届いたか。」と訳し、さらに「覆い被さるもの」について「不信仰者に覆い被さる獄火とも言われる」という脚注を付している。
章名にせよ、第1節の訳文にせよ、かなりばらついていて、しかも、脚注を含め説明書きも多い。翻訳者たちの腐心のあとが見て取れる。「アルガーシヤ」と言われたところで、その言葉自体は像を結んでくれないのだが、日本語に直されたものを読み、あるいは読み比べてしまうと、今度は情報量が多すぎて、一向にピントが合わない。
英訳
英訳に関しては、
(1) Has there reached you the report of the Overwhelming [event]?
サヒーフ・インターナショナル https://quranenc.com/ja/browse/english_saheeh/88
1. Has there come to you the narration of the overwhelming (i.e. the Day of Resurrection)?
Taqi-ud-Din Al-Hilali and Muhsen Khan https://quranenc.com/ja/browse/english_hilali_khan/88
などでは、「圧倒的な、抗しがたい、とても強い」などを意味する「overwhelming」が共通して用いられている。日本ムスリム協会の訳に近い。
またムハンマド・アサドの英訳では、
(1) Has there come unto thee the tiding of the overshadowing Event?
と「overshadowing」(影を投げかける、曇らせる)の語が用いられているが、この語自体には、「覆う、隠す」と言った語感は乏しい。
ターマルブータの用法
「アルガーシヤ」を外国語で表そうとしたとき、必ずしも一致した一語では置き換えられない状況を踏まえ、ここでは、語形の面から「アルガーシヤ」を解析しておこう。
「アルガーシヤ」の「アル」は定冠詞。「ガーシヤ」は、動詞「ガシヤ」の能動分詞「ガーシー」の女性形であるが、ここで、アルガーシーとせず、アルガーシヤと語尾にターマルブータが付されているのは、ガーシーの女性化(たとえば、ターリブ(男子学生)をターリバ(女子学生)とするような)によるものではない。
ここでの用法は、「行為の一回分の回数表示[1]」、あるいは、「1回行為の実名詞の形成」にあたる。
ライトは、「一回だけ生じた行為をアラブ人は動名詞に女性語尾(ターマルブータ)を付加することによって表現する」としているが、能動分詞もまた、動名詞と等価に用いられることもあることを踏まえれば、動詞「ガシヤ」の能動分詞の示す行為が「一回」限りであることを示していると解することができる。ウィキペディアでは、「ターマルブータ」が付加されるものは、アラビア語で名詞とされるものとして、特に動名詞に限定していない。
となると、ここで押さえるべきは、「ガシヤ」という動詞である。アラジンによれば、「ガシヤ」はまず他動詞。「覆う、包む、くるむ」あるいは、「(比喩的に)襲う、見舞う」がその意味だという。自動詞の用法もあり、「夜の帳が降りる」という意味。さらに、前置詞のアラーを伴って受け身で用いられ、「気を失う、気絶する、卒倒する」という意味を表す。この語が能動分詞女性形になった時、何を意味すると解されているのか。アッラーズィーの注釈に訪ねてみよう。
獄火の日なのか、獄火なのか、獄火の徒なのか?
アッラーズィーの『大注釈』によれば、「アルガーシヤ」には、3つの解釈があるという。一つは、それは、「キヤーマ(復活)」のことという説。2番目は、「獄火」のこと。そして3番目は、「獄火の徒」のことという読み方である。
「キヤーマ」に関しては、《その日、懲罰が彼らを覆う》(蜘蛛章55節)という至高なる御方の御言葉が根拠となる。この対訳の「覆う」の部分の原語は「ヤグシャー」、つまり、アルガーシヤの元の動詞「ガシヤ」の3人称未完了形の形だ。「キヤーマがこの名詞(ガーシヤ)を使って呼ばれたのは、ある事柄をあらゆる方向から包囲する、それが「ガーシン」(「ガシヤ」の能動分詞男性形)するということだからである。
「キヤーマ」とは何か。宗教・信仰の用語として用いられたときには、最後の審判に際しての死からの蘇生、再生、復活を示すとするのが一般的だが、ここでは、「ガシヤ」なり「ガーシヤ」なりとのどのようなかかわりが、キヤーマにつながるのかがポイントになる。3つの側面の指摘がなされている。
第1は、突然やってくるということ。至高なる御方は言う。《彼らは安全であろうか、アッラーの懲罰のガーシヤ(災い)がやがて彼らのもとに到来することに対し、》(ユースフ章107節)。
第2はそれが、「最初の者たちから最後の者たちまですべての人々を覆う(「襲う」も可)」ということである。覆う/襲うが「ガシヤ」である。
第3は、それが人々を恐怖と困難で覆う/襲うということである。
第2の読み方では、アルガーシヤを「獄火」であるとした。その日「その火は不信心者たちの顔と、火獄の徒の顔を覆いつくす」。至高なる御方の御言葉からの根拠は、《彼らの顔を獄火が覆い尽くす》(イブラーヒーム章50節)。《彼らの上には(火炎の)覆いがあろう。》(高壁章41節)である。前者においては、動詞のガシヤが、後者においては、ガーシヤの複数「غَوَاشٍ 」が用いられている。なおこれは、サイード・ブン・ジュバイルおよびムカーティルの主張とされる。
3つ目の解釈は、アルガーシヤを「獄火の徒」のこととした。この解釈では、この者たちの側が、獄火に襲い掛かる。が、結局、獄火の中に堕ちてしまうというのだ。
復活できるのか?
アッラーズィー自身は、以上3つの主張の中では、1番目がもっとも近いとする。つまり、アルガーシヤは、キヤーマのこと。ただしもっとも近いのであって、彼の見解と完全に合致しているわけでもないところが気になる。彼は言う。「なぜならば、キヤーマとする見解に従えば、その意味は、復活の日に苦しみの中にいる人もいれば、幸福の中にいる人もいることになるからである」。復活の日に、幸福の中にいる者たちは、アルガーシヤに包まれることも、襲われることもないのではなかろうか。いやむしろ、その日、幸福の中にいるものなど残念ながら存在しないとするならば、辻褄はあうのかもしれない。
サーブーニーの注釈も「アルガーシヤ」を「キヤーマ」であるとしていた。そこで注釈学者たちの見解とされていたのが、すでに紹介したとおり、「それが、生きとし生けるものをその恐怖と激烈とが覆い、彼らを数々の危難と大惨事の中に包み込むからである。」という理由だった。ここには、幸福の中にいる者、楽園の徒の存在は、まったく想定されていない。
生きとし生けるものはいやおうなく見せられるのだとすれば、全員が地獄落ち。そうでないのならば「復活」に縛られれば、否応なく、その解釈に陥らざるを得ないし、アッラーズィーの理由のように復活を捉えてしまえば、アルガーシヤそれ自体から離れてしまう。
アルガーシヤは、復活ではあるけれど、すべての復活がアルガーシヤなのではない。2つを同格的に置き換え可能の形で読んでしまえば、アルガーシヤなど必要がなくなる。「キヤーマ」の一言ですべてが片付くからだ。しかし、わざわざ啓示が降っているのだから、そこには必ず尋ねるべき意味があるはずだ。そう考えると、「ガシヤ」の語から、簡単に復活に置き換えるのではなく、さまざまに意味世界を広げていった3つの日本語訳の世界は案外味わい深いのかもしれない。ただ、味わいの深さより、アルガーシヤの突発、恐怖、激烈、危難、困難、蔽塞、絶望と言ったものが心に刺さってはじめてクルアーンが読めたことになるのではないかと思うと、なんとも複雑である。アッラーフ・アアラム。
脚注
[1] 「名詞、形容詞、能動分詞、受動分詞、数詞等(アラビア語ではこれらは全てاسم(ism,イスム)すなわち「名詞」として分類される)の語尾につくことでその語を女性形に変化させる(例:ムスリム مسلم → ムスリマ مسلمة)などする。これ以外にも集合名詞の単数化、行為の1回分の回数表示、意味の強調(男性を強調しているこの用法ではター・マルブータがついていても男性扱いされる)にも用いられる。」としていて、動名詞のみというような指定はない。
参考文献
『コーラン』(下)井筒俊彦訳、岩波文庫
『日亜対訳注解聖クルアーン』日本ムスリム協会
『日亜対訳クルアーン』中田考監修 作品社
The Message of QUR'AN, Muhammad Asad, Dar al-Andalus Limited
イマーム、ファフルッディーン・アッラーズィー『大注釈書』第11巻(ベイルート:ダール・イフヤーイ・アットゥラース・アルアラビー、1997年)
https://shamela.ws/book/23635/5991
W.ライト『アラビア語文典』(後藤三男訳)ごとう書房
https://ar.wikipedia.org/wiki/%D8%AA%D8%A7%D8%A1_%D9%85%D8%B1%D8%A8%D9%88%D8%B7%D8%A9
タイトル画像:
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Surah_Al-Ghashiyah.png
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