
「呪い」の言葉に効用はあるのか?①:《クルアーン》「棕櫚章」をめぐって
反復練習
アラビヤ語を教えてみて思うこと。アラビヤ語では、動詞の人称による活用の練習が欠かせない。たとえば、「カタバ كتب 」。人称による変化の練習なので、彼は書いた。彼女は書いた。あなた(男性)は書いた。あなた(女性)は書いた。私は書いた。彼ら二人(男性)は書いた。彼女たち二人は書いた。あなたがた二人は書いた。彼らは書いた。彼女たちは書いた。あなたがた(男性)は書いた。あなたがた(女性)は書いた。私たちは書いた。という具合に練習をしていく。日本語で言えば、未然・連用・終止・連体・仮定の形の練習に似ているかもしれないが、アラビヤ語の場合には主語が加わるので生々しさは半端ないように思う。
ある日のこと、新しい単語で練習をと思い、パレスチナ問題等に関する叙述の中によく出てくる言葉として「カタラ」を使ったことがある。カタラ قتل 、意味は「殺す」である。「練習」とは言え、いや、練習だからこそ、その言葉を刷りこんでしまっているような気がして寒気がした。「彼は殺した。彼女は殺した。あなた(男性)は殺した。あなた(女性)は殺した。私は殺した・・・」と繰り返すのだから。おそらく外国語であるがために意味が直接的に迫ってこず、翻訳のクッションによってリアルな感じはしないため、練習として成り立つのだろうけれど、これがもしもネイティブでない人たちの日本語の勉強だったとして、「彼は殺した。彼女は殺した。あなたは殺した。あなたは殺した。私が殺した」と声を揃えて練習をしていたらどうだろう。「殺さない・殺した・殺す・殺せば・殺せ」という練習を聴いたらどうだろう。これでは呪いの呪文だ。単語を変えたらとアドバイスするのではなかろうか。
「滅んでしまえ」「腐ってしまえ」
同じようなうすら恐ろしさを感じたのが、この章句だ。それも、自分が読んでいたときではない。誰かが自分の研究室のすぐわきにある礼拝スペースでのマグリブの祈りの際に、読み上げられた「棕櫚章」を聴いた時だ。
日本語の翻訳ではこんなふうになる。
まずは、日本ムスリム協会訳。
1. アブー・ラハブの両手は滅び、かれも滅びてしまえ。 2. かれの富も儲けた金も、かれのために役立ちはしない。3. やがてかれは、燃え盛る炎の業火の中で焼かれよう。4. かれの妻はその薪を運ぶ。5. 首に棕櫚の荒縄かけて。
次に井筒訳
1.腐ってしまえ、アブーラハブの手。ええ、すっかり腐ってしまえ。2.家産も役に立つものか、儲けた金も甲斐あるものか。3.燃える劫火に焼かれるばかり。4.焚木は女房が背負ってくる。5.首に荒縄結いつけて。
因みに、井筒訳では、いくつかの言葉に訳注が付されている。書きだしておきたい。
「アブー・ラハブの手」:手を呪うことによって全身を呪う。アブー・ラハブはマホメットの祖父の従兄弟にあたり、誰よりも一番執拗に、一番意地悪くマホメットの邪魔をした。「すっかり」:手だけでなく、全身、の意。「背負ってくる」:アブー・ラハブの妻は夫をけしかけてマホメットに敵対させた。その罰で地獄では自分の夫を丸焼けにする焚木を運んでくる役になる。「結いつけて」:焚木をそれで吊って持ってくるのである。
中田訳では、
1.アブー・ラハブの両手は滅び、また彼も滅びた(呪詛)。2.彼の財産も、彼が稼いだものも彼には役に立たなかった。3.いずれ彼は、炎(ラハブ)を伴った火に焼(く)べられる。4.彼の妻もまた(火に焼け)、薪を運んで、5.彼女の頸(首)には棕櫚の縄が(つけられて)ある。
(試訳)
1.アブー・ラハブの両手など滅んでしまえ。彼は滅びることになる。2.何の役にも立ちはしない。彼の財産も稼いだものも。3.やがて彼は炎そのものの火にくべられる。4.彼の妻は、薪の運び屋。5.彼女の頸には、棕櫚の荒縄。
言われることはあったとしても
クルアーンは暗記が推奨される。この棕櫚章も例外ではないし、短くて暗記しやすい。アラブ以外のムスリムは、まずは覚えられたことで、そしてそれを礼拝で唱えられたえたことで嬉しくなってしまうのだけれど、その内容は、ずいぶん恐ろしくはないだろうか。
アブー・ラハブとその妻は、ムハンマドの敵対勢力であり、確かにありとあらゆる嫌がらせや妨害行為、迫害や脅迫をも働いたとも伝えられる。この章は、彼ら二人、あるいは、彼らと同様にムハンマドたちに対する敵対者たちに向けられたものとみることができようが、いずれにしても呪いの言葉である。
敵であったとしても、クルアーンの別の箇所では、イブラーヒーム(アブラハム)が、一神教の考えをわかってくれない自分の親やその取り巻きたちとの議論を止めて、距離を置くという身の処し方も示す一方で、この呪詛である。呪いの章句はこれにとどまらないわけで、そうした章句を暗記して褒められるということに、違和感と不信感を禁じ得ない。
少なくとも筆者にはそんな呪いの言葉を口にすること自体が憚られる。自分自身が迫害を受けたわけではないばかりか、いつ自分の言動で周りを傷つけているかもしれないからだ。「滅んでしまえ」「腐ってしまえ」と地獄堕ちの呪詛の言葉を口にすることなど、愚かな私にはできない。アッラーフ・アアラム(次号に続く)