無我夢中の後遺症
引き出しを整理していて、娘とやり取りしたFAXレターが出て来た。
むかし、仕事で帰りが深夜になる月末月初を挟む10日間くらいは保育園を休ませて両親に預けていた。もちろん実家から勤務先に通うし、電話はするのだが、ちょっとした「おてがみ」のやり取り風に使っていたFAX。
携帯電話を持っていても、画面は小さいし、なにより娘の手元に紙で届くのがよかったとおもう。
覚えたてのひらがなで書かれた手紙。
おかあさんへ
きのうはプールいつた。
およげたよ。
〇〇より
〇〇ちゃんへ
もうすぐ かいしゃを でます。
おみやげ かって かえります。
だいすきだよ。
おかあさんより
でも、帰り着くころには娘は寝ているのだから、おみやげを直に渡すことはほとんどできなかった。
もちろん朝も家を出るのは私の方が先で、おはようと娘を起こしてからの20分くらいのみ。
朝すこしの時間しか会えない日が続いたある日、母から「チック症状が出ているからなるべく早く帰ってあげて」とメールが来た。目をぎゅっとつぶって開けてを必要以上になんども繰り返す症状。おそらくはストレスだろう。
こんなことはめずらしくない。
認可園が終わった後、深夜まで無認可園に預けたりなど、もっと大変なご家庭もあろう。
わたしは実家に預けることができて、むしろこどもや自分にかかった負荷は少なかったと思う。
それでも、こんな風に身体にも表れてしまったストレス。
会える時にどれだけ強く抱きしめても、電話しても、FAXでやりとりしても、補えない時間の薄さ。
後ろめたいとは思わなかった。
仕方ないと思って働いてきた。
普段、自宅から保育園に預けていた時も、一番最初の7時半に行って、迎えはほとんど最後の20時近くで、どうして他のママたちはそんなに早く迎えに来れるのか不思議で仕方なかった。
しかし、いま振り返って思うことは、同じしごとにしがみつくことなかったんだということ。
そんなに残業しなくても、そんなに一所懸命しごとしなくてもよかった。ひとり親になって、しごとを失うのが怖かったせいもあって無我夢中過ぎた。
もうすこし、一緒に居られる時間が長い仕事を探せばよかったんじゃないか。普通の親子の生活ができるしごと。
収入はすこし下がったかもしれない。
その点はあとからキャッチアップする方法はあったと思うし、何と言っても、未就学児なのに、月のほとんど半分は、いちにち三食のうち、一回もママと一緒に食べられない。起きて会えるのは朝の20分だけ。あとは電話とFAXで会話なんて、やっぱりおかしかった。
娘はチック症状が出たことも、そのころの気持ちも覚えてはいない。
おかあさんえ
きょう なんじ なんふんに
かえってきますか。
わたしの方が自分の気持ちを感じないように意識していたのだと気づく。
買って帰ったおみやげのお菓子を一緒に食べたかった。
まいにち一緒にお風呂に入って歌をうたいたかった。
もっとたくさん本を読んであげたかった。
汗ばんだおでこをなでながら寝かしつけたかった。
もう戻らない日々。
あのころのわたしに言ってあげたいな。
そんなにがんばらなくていいんだよ。
たいせつなものは他にあるよ。
すこしずつやれることを増やしていけばいいんだよ。
娘ちゃんも高校生なのだから、もうあなたも遊んでいいじゃないと言われる。
もちろん、娘からも今では好きなことすればいいよと、帰りが遅くなるのも、ひとりの夕飯も小うるさいのがいなくてうれしいとむしろ歓迎されるくらいだ。
でも、わたしはまだ心底いろいろ楽しめない。
できれば「いってらっしゃい」と「おかえり」をすこしでも多く言いたいとまだおもっている。
うざがられても、あともうすこしだけ。