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わたしの図画工作科論

私は今回の初等図画工作科教育法Ⅰを受講して、図画工作科に対する見方考え方が少し変わったと思う。

授業を受ける前私は、図画工作科についてほとんど無関心と言ってよかった。しかし、今回の授業を受けて図画工作科の「自由」な部分に触れ、それが心地よいというか、楽しいというか何とも言えない気分になった。

多分私は少しハマってしまったのだと思う。

図画工作のおいしいところをすこし鉄矢さんに教えていただいて、また、それをおいしそうに食べている周りの人たちに感化された。私は今まさにちょっとお腹がすいてきて「もうすこし食べたい」となっている感じかなと思う。


そんなわたしの図画工作論はとても単純で、この心地よいというか、楽しいというか何とも言えない気分を児童のみんなにも味わってほしいということである。
その経験を通して、私のように図画工作に無関心にならず、関心を持ち、自分を表現することの心地よさ、楽しさを感じたり、友達のよさを素直に受け取ったりする児童の姿をみてみたいなと思う。


そのためには、場と活動を適切に設定する必要がある。


まずは場について、

学校の図画工作科の授業では、自由に活動していいという割に、その活動形態について制限を児童に課してしまうことが多い。
・次の時間までに作品を仕上げなさい。
・一度作ってみるデザインを決めたのに、変えるなら、そのデザインを引き  継いだものにしなさい。
・他の人としゃべってはいけません。集中して取り組みなさい。


このように活動の自由を制限してしまうことに対して、先生は「みんなが同じ時間で取り組むのなんて無理がある」や「図工の時間に静かにしてろなんて、、分かるけど、少しざわざわしている方が俺は好き」などとおっしゃっていた記憶がある。


私はなるほどなと思った。言われてみれば確かに児童によって得意なこと・苦手なことは様々でそれを一律の時間でやろうというのは無理があるし、他の人の絵を見に行って「すごい」と思ったりすることを止めるのは教育者として間違っていると思う。
(休憩時間だと思って図工室に話に来ているような児童に注意をしないということではない。)


また、「○○してはいけない」と場のルールをたくさん作ることは「図画工作をしなさい」と間接的に言っていることと同じであると思う。強要された自由ほどつまらないものはない。


私も先生のいうように、児童に対して図画工作科の授業をできるだけ自由に、楽しんで行える場を提供したいなと思った。


次に活動について、


私は活動について1つ不思議に思っていることがある。


それは活動についてある程度自由を制限した方がかえって自由な活動をしやすいということである。


要するに活動を明確化することで活動がしやすくなっているということなのだろうか。

一番に浮かぶのはそういう考えであった。


しかし小学校の頃の図画工作科の授業でもやる内容は教科書に書いてあったものなのだから、それはそれは明確にやることが分かる。

ならばただ活動を明確化するだけではだめなのだろう。


私が思うに重要なのは「教員がやって見せるか、否か」なのだと思う。


思い返すと、先生はどんな活動の際もまずお手本を見せてくれた。


お手本の良いところは完成していないことである。完成していないということは、制作者の考えが読み取りやすくまねしやすい。

完成品を見せられることは、私から見ると数学でいうところの 「答え x=1」をただ見せられただけある。それではそこに至る手段の把握や想像が一切できない。


しかしお手本をその場で一緒に作ってくれることによって、手段の把握や想像ができるため、児童の自由な活動にもつながっていくのだと思う。


こんな風に場と活動を意識して図画工作科を教えてみたい。

かなり雑ではあるが、こんなところでわたしの図画工作科論としたいと思う。

上にのっけた画像はレイヤーを外したらきれいだったので乗せてみました。

皆さんもやってみたらきれいかもしれないです。

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