“過去の苦労”は免罪符にならない - デザイナー業界の働き方を見つめ直す
成功体験に潜む「大変だった時期」の再解釈
デザイナーとして仕事を続けていると、先輩や業界の重鎮たちから、過酷な下積みや厳しい勤務環境を乗り越えた体験談を聞くことがよくあります。彼らは「自分たちも苦しい時代を経て、今があるんだ」と語りますが、その一面には確かに真実があるでしょう。多くの人が、粘り強く努力することで技術や経験を培ってきたのは事実です。
しかし、この「昔は大変だったからこそ成長できた」という論調が、そのまま次世代へと受け継がれ、厳しい条件下で働くことを当然視する風潮を生み出していないでしょうか。過去の苦労を美談として語ることで、後に続くデザイナーたちへの圧力になっている気がしてなりません。
苦難体験を“称賛”することが生む負の連鎖
「寝る間も削って働いた」「辛い時期を乗り越えて一人前になった」といった語り口に触れるたび、その努力には敬意を覚えつつも、どこか違和感も生まれます。「だから君も同じように踏ん張れ」というメッセージが裏に潜んでいると感じるからです。
かつて企業勤めをしていた頃、僕も似たような言葉をしばしば耳にしました。そのたびに、「果たしてあの過酷な環境は本当に必要だったのだろうか?」という疑念が頭をよぎります。確かに努力は成長に繋がることがありますが、それを根拠に無理を強いることが正当化されるのは、必ずしも正しいとは限りません。
ブラックな労働条件を当たり前にしない
業界には締め切りやクライアント対応など、厳しい要求がつきものです。それを理由に、「激務は不可避」「この業界はこういうものだ」といった諦観を耳にすることがあります。ですが、本当にその状況は不可避なのでしょうか?
深夜までの残業、休日返上での対応が常態化すれば、創造力やクリエイティビティが摩耗していくのは想像に難くありません。質の高いデザインは、心身に余裕があってこそ生まれるもの。追い詰められた環境を「当たり前」としてしまうのは、デザイン業界全体にとって決してプラスではないはずです。
次世代への継承は「改善」であれ
若手デザイナーに対し、「自分たちも苦労したから、君たちもそうあるべきだ」という価値観を押し付けるのは避けるべきです。その代わり、より健全な働き方や効率的な手法を共有し、「こうすればもっと余裕を持って取り組める」という実例を示すべきではないでしょうか。
厳しい瞬間が全くなくなることはないにせよ、どうすれば無理なく進められるか、どのように時間と労力を有効に配分するかを考えるのはプロフェッショナルとしての務めです。タスク管理やスケジューリング、そしてメンタルヘルスの維持など、技術面以外のスキルも次世代へと手渡していくことが大切だと感じます。
自らの選択と経験を糧に、未来をデザインする
フリーランスとして活動している今、僕が実感しているのは「自分で働き方をコントロールできる自由」の有難みです。かつてブラックな労働環境で苦しんだ経験があるからこそ、今は余裕を持つことの価値に気づくことができています。
この学びをもとに、後輩たちには「無理をしなくても成立する働き方」があることを伝えたい。過去の過酷さを正当化するのではなく、よりよい環境を築くために過去を振り返る。その積み重ねが、次世代へと続く健全なクリエイティブな土壌を育むと信じています。
終わりに
デザイナー業界に根付くブラックな慣習は、単なる個人の問題ではなく、文化や価値観の総体とも言えます。それを変えるためには、まず僕たち一人ひとりが「過去の苦労話」に潜む問題点を再考し、改善策を模索することが不可欠です。
もしこの記事が、読んでくださった方の働き方や考え方を見直すきっかけになれば嬉しいです。私たちがデザインするのは、作品だけでなく、働く環境や未来そのものでもあるのですから。