【絵本レビュー】 『ねむいねむいおはなし』
作者/絵:ユリ•シュルヴィッツ
訳:さくまゆみこ
出版社:あすなろ書房
発行日:2006年9月
『ねむいねむいおはなし』のあらすじ:
夜空の下、眠そうな月に照らされ、眠そうな木々に囲まれて、1軒のおうちがありました。ベッドにいるのは男の子。部屋の中のテーブルもカーテンも、みんな眠そうです。
ところが急に明るくなってたくさんの楽器と楽しそうな音符が現れます。椅子も食器も目を覚まして大騒ぎ。時計からは小鳥が飛び出し、男の子も起き上がって踊りだします。
『ねむいねむいおはなし』を読んだ感想:
大人になった私は隙さえあれば眠りたいと思っています。パワーナップと言って十五分くらいごろりと寝てしまうこともあります。けれども子供達は違いますね。何としても寝まいとして頑張っています。彼らが寝た後親たちは毎晩パーティでもしていると思っているのでしょうか。まあ確かにアイスを食べたりすることもありますけれど。
うちの四歳児も同じです。「寝るよ」「いやだ」この会話を毎晩何回繰り返していることでしょう。昨夜だってそう。最近ちょっと長い絵本を読むことも多くなったので、毎晩一章ずつ読みます。昨晩もそうでした。ただ昨日は幼稚園の親睦パーティーがあって、仲良しのお友達と園庭を走り回った後だったのでとても疲れていました。それで珍しく自分から本を持ってベッドに行ったのです。
今読んでいる本は小学校低学年用で絵があまりありません。ちゃんと内容が理解できているかの確認も含めて、私は彼の顔を見ながら読んでいきます。読んでいる間、息子が頭を左右に振ったり、唇を指でブルブルさせているのが感じられます。時々足をバタバタさせたりもしています。明らかに寝そうになっているサインなのですが、息子はまるで見えない敵と戦ってでもいるように妙な動きをしています。それでも時折彼のほうを見ると、文章に合わせて悲しそうな顔をしたり、びっくりしたような顔をしてきます。私は笑いをこらえながら読み続けました。
読んでいた章もあと数ページというところで、スースーと聞こえてきました。息子の方を振り向くと、やっぱり寝てしまっています。ただ、腕を組んで寝ているのです。まるでやってきた睡魔に対して怒ってでもいるように。そして寝顔もどこかしら厳しい顔。私は寝ている息子の横で残りのページを声を出して読みました。寝ているとはいえ、息子自身は寝ていることに気づいていないので、脳は聞いているのではないかと思ったからです。読み終わったところで私は寝室を離れました。
それから三十分くらいして、寝室から泣き声が聞こえました。行ってみると薄暗いベッドの上に息子が座っています。目はつぶっていますが、涙がポロポロ流れています。ふと目が覚めて誰もいないことに気づいたのでしょう。壁の方を指差して「こわい」と言ってまた泣きました。寝たと思って出て行った睡魔大王が戻ってきたのかもしれませんね。なんで睡魔なんだろう。寝ぼけた息子をあやしながら、そんなことを考えていました。寝ることはすごく気持ちのいいことなのに、なぜ魔物なんでしょう。急に襲ってくるからでしょうか。
眠気と戦っても勝てませんね。コーヒーを飲んだり歩き回ったりしても、結局いつも私たちは睡魔に降参してしまいます。白旗を上げるより早く、私たちはもう眠りの世界に連れて行かれてしまっているのです。もし勝ったと思ったとしても、寝不足やひどい眠気でちゃんと考えることもできないので、やっぱり勝ったとはいえないのかもしれません。睡眠は死だと考えたひとたちもいたようですが、なんとなく納得できますね。そう考えるとやっぱり睡魔なんでしょう。どっちにしても連れて行かれるのならば、往生際よく心を決めて行きたいものです。寝るギリギリまでコンピューターに向かっているより、ベッドで本でも読みながら睡魔大王を待って、彼がきたら「おや時間ですか」なんて言える余裕を持ちたいものです。
『ねむいねむいおはなし』の作者紹介:
ユリ•シュルヴィッツ(Uri Shulevitz)
1935年ポーランド ワルシャワ生まれ。1959年アメリカに渡り、2年間ブルックリンの絵画学校で学ぶ。「空とぶ船と世界一のばか」(岩波書店刊)でコルデコット賞受賞。他に「あめのひ」(福音館書店刊)などの作品がある。東洋の文芸・美術にも造詣が深く、この「よあけ」のモチーフは、唐の詩人宗元の詩「漁翁」によっている。