【絵本レビュー】 『かぜ』
作者/絵:イブ・スパング・オルセン
訳:ひだにれいこ
出版社:亜紀書房
発行日:2016年6月
『かぜ』のあらすじ:
おねえちゃんのマチルデとおとうとのマーチンは、かぜをおいかけてのはらをずんずんかけていきます。ふたりがおしゃべりすると、かぜもピューピューうたいだし、すてきなせかいがあらわれます。
『かぜ』を読んだ感想:
バルコニーの前に四本の背の高い木が並んでいます。風に揺れるたびに葉が触れ合って、少し乾いた音でサラサラサラと鳴ります。木はどれも五階建ての建物と並ぶくらい高くて、私は毎日その木を、まるで大人を見上げる子供のように眺めています。これを書いている今、私から木は見えないけれど、サラサラいう音を聞くだけで、木々の揺れる様子が目に浮かびます。
風はその吹き方によって好かれたり嫌われたりで、人間の勝手な都合だと迷惑しているかもしれませんね。
中高六年間毎日通った地下鉄の駅。地上への出入り口付近はビルの隙間風がいつも吹いていて、ぼんやりしていると制服のスカートがふわりと上がります。だからそこの駅を利用する女子学生たちはほぼ全員、階段の中程まで来るとスカートを押さえます。通学し始めて一週間もすれば習慣となるのですが、それでも時々うっかり抑え忘れて、階段のてっぺんでスカートを提灯みたいに膨らませてしまう子がいました。もちろん「きゃっ!」という声も聞こえるので、目は自然と向いてしまいますけどね。
高校の終わりころ私たちが引っ越したのは湾の近く。駅に行くには川沿いの道をまっすぐ行きますが、そこは住宅地よりもやや高くなっていて、周囲には風を遮るような高い建物はありません。運の悪いことに駅は家から北側にあるので、毎朝向かい風の中を駅までたどり着こうと誰もが懸命に進みました。私はいつもギリギリに家を出ましたから、十分で駅に着かないといつもの電車に乗れません。風が緩ければ余裕で着きますが、運悪く風が強いと本当に前に進まなくなります。横のサラリーマンのおじさんもハンドル近くまで体を倒して、できるだけ抵抗を少なくしています。
あるときあまりの進まなさにしびれを切らし、私は全身の力を込めて漕ごうと思い立ち漕ぎをしようとしました。大きな間違いです。立った瞬間スカートは帆のように風を受け、胸に押されているような感覚を覚えました。踏み込もうとしているペダルは下に降りず、私は数秒ほどその体勢のまま完全に止まっていました。ぐらり、と身体が横に揺れ私は倒れそうになって片足を地面に着きました。横を走っていた他の学生たちは、遅いながらももう随分先に行ってしまいました。体勢を立て直し、顎がハンドルバーにつくくらい身体を倒してまた漕ぎ始めましたが、その日は電車に乗り遅れてしまいました。あまりに風が強いと電車が鉄橋を通れず止まることもしばしばあるので、学校に着いただけ良かったのですけれどね。
最悪なのは雨の日です。この向かい風の中を片手で傘を持って漕ごうとしますが、大抵失敗に終わります。前からの風に傘が持って行かれ、裏表が逆さになることもしばしば。何より、傘が帆のようになってさらに前に進みづらくなるのです。バス停まで行っている時間もなく、何度びしょびしょになって駅に着いたことでしょう。
逆に駅から家へ帰るときは追い風のことが多いです。川を渡る橋の降り口で勢いをつけて(本当は「降りて渡ること」と書いてあるのですが。。。)坂を下りると、風の勢いで数百メートル離れたトンネル付近まで一気に運んでもらえます。そこが私は大好きで、大人になってからも心の中で一人「ひゅううううううん」と言いながら下りて行っていました。
今では湾沿いに新しい高層マンションが建ち、住宅地内の風は少しやわらかくなりましたが、駅への道はやはり変わらずの向かい風。「ああ、帰ってきたなあ」と思う瞬間でもありますが、幸い毎日の通勤はありませんから向かい風にも笑って対応できます。横を走る学生さんたちは必死の形相ですけどね。「ああ、わかるわかる。一分の争いなんだよねえ」なんてちょっと同情しながら、私はハーレーダビッドソンでも操るバイカーみたいにのんびりと、自転車で川沿いを走るのでした。
『かぜ』の作者紹介:
イブ・スパング・オルセン(Ib Spang Olsen)
1921年、コペンハーゲンに生まれる。教職に就きながら、王立美術大学でグラフィック・アートを学ぶ。絵本のほか、TV番組制作、ポスターや陶器のデザインなど、活動の幅は広く、1972年度国際アンデルセン賞画家賞、1976年デンマーク優秀グラフィック・インダストリー賞など数々の賞を受賞している。2012年逝去。