【絵本レビュー】 『うみのむこうは』
作者/絵:五味太郎
出版社:絵本館
発行日:1979年12月
『うみのむこうは』のあらすじ:
水平線のうえにひろがる世界。
うみのむこうへのおもいが次々に描かれていきます。
うみのむこうには何があるんでしょう。
『うみのむこうは』を読んだ感想:
うみは ひろいな おおきいな
いってみたいな よそのくに
みなさんご存知の歌だと思います。
「いってみたいなよそのくに」と思い続けたのは幼い頃の私でした。
変な名前と笑われることが多くていじけていた私に父は言いました。
「お前の名前は、将来世界で活躍する時にみんなにすぐ覚えてもらえるようにつけたんだぞ」
それを疑わずもせずに信じ込んで、「大きくなったら海外に行こう」そう思って生活していたように思います。うちで禁止だったテレビも、どうせ外国に行ったらこんなテレビの話する人いないよねと考えを変えたし、母から「彼氏の一人もいないの?」と笑われても、どうせ海外に行ったら別れなきゃだしねと、何をするにも「海外へ行く」が基盤になっていたように思います。
学生時代はいつも「変わってる子」でした。「ここにいるのに、どこにもいない感じがする」と言われたこともありました。私はいつもうみの向こうを見ていたんだと思います。
高校生になってしばらくして、東京湾近くに引っ越しました。湾までは歩いて十分ほど。ジョギングをしに、本を読みに、自転車を走らせに、父に嫌味を言われた時に、私は海を見に行きました。朝早く行くとアサリ採りの漁師さんがいたりして、なんだか別世界にいるようでした。水平線を見ていると、嫌なことも海に吸い取られて行くような気がしました。
海の向こうでは、今いる私は存在しない。海の向こうでは、私は誰にでもなれる。そんなことをよく考えてのを覚えています。海の向こうには可能性がありました。今背負っているすべてのものを捨てて、私は新しくなれるのです。
三浦綾子さんの『海嶺』とか津田塾大学を設立した津田梅子さんの体験などを思い浮かべていたのだと思います。言葉も知らない場所に連れて行かれ、名前も変えられて、生まれたての赤ちゃんみたいに新しい人生を始めること。私にとって海の向こうはそんな場所でした。
大学を卒業した時私には就職先がありませんでした。大学三年から就職活動を始め、送った履歴書の数は七十二通。うち面接に呼ばれたのは二社でした。母は「好きじゃなかったらやめればいいんだから、とりあえず入っちゃえばいいでしょ。」と言いましたが、私には働いている自分の姿がどの会社でも見えませんでした。もしかしたら私の魂はすでに日本を離れていたのかもしれません。
結局数年バイトや派遣をしてお金を貯めた後、私は日本を出てしまいました。海の向こうで私はそれなりに元気にやっています。名前こそ変えなかったけれど日本とは全く違った文化の中で、私は日本にいた時とは違う私になっているのだと思います。それでもやっぱり日本人であることは変わらず、二十年近く経ってまたnoteを通じて日本と繋がりが持てたことを嬉しくも感じているのです。
いつも私と絡んでくださるnoterさん、ありがとうございます。
『うみのむこうは』の作者紹介:
五味太郎
1945年東京生まれ。桑沢デザイン研究所卒業。絵本作家。 子どもから大人まで幅広いファンを持ち、その著作は450冊を超える。世界中で翻訳出版されている絵本も数多い。 「かくしたのだあれ」「たべたのだあれ」(以上文化出版局刊)でサンケイ児童出版文化賞受賞のほか、ボローニャ国際絵本原画展等、受賞多数。「みんなうんち」(福音館書店刊)、「きいろいのはちょうちょ」(偕成社刊)、「さる・るるる」(絵本館刊)などの作品がある。