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【絵本レビュー】 『ぞうのババール』
作者/絵:ジャン・ド・ブリュノフ
訳:やがわすみこ
出版社:評論社
発行日:1974年10月
『ぞうのババール』のあらすじ:
森で狩人におそわれ、にげだしたババール。どんどんにげて、とうとう人間の町までやってきた。はじめて見るものばかりで、ビックリの連続。そして…。ぞうのババールの、ゆかいな冒険と心温まる愛と友情の物語。
『ぞうのババール』を読んだ感想:
お母さんを狩人に殺されてしまい、逃げてたどり着いたのはパリ。お金持ちのおばあさんと知り合い欲しいものはなんでも買ってもらえる生活を悠々と送り、突然訪れて来た従兄弟たちと森へ帰ったらちょうど王様がなくなってしまったので、王様になってしまったと言う話。なんだか物事がスムーズにいき過ぎていませんか。そう思ってもう一度読んでみます。やはり、「こんなにうまいこと行くはずがない」と思ってしまいます。それで、絵本ができた背景を見てみました。
作者のジャン・ド・ブリュノフさんには、マチューとロランという二人の子どもがいました。
幼い二人を楽しませるために、妻のセシルさんが作った小さな象のおはなしを原点にして、「ババール」が生まれたのです。
実は、ブリュノフさんは当時、結核にかかり、自らの余命がいくらもないことを知っていたそうです。
そんな状況で誕生した「ババール」シリーズは、1931年の第一作から、1937年にブリュノフさんがわずか37歳で亡くなるまでに、ほとんど一年に一冊というペースで描かれ続けたのです。
彼を創作に駆り立てたものは、まだ幼い二人の子どもを残してこの世を去らなくてはならない父親としての、命がけのメッセージではないでしょうか。
これを読んで人生には予期せぬ不幸や大きな問題など自分ではコントロールできない出来事が起こります。それでも人生は続いて行くし、楽しいこともいっぱいあるよ、と言うことを伝えようとしているのではないかと思いました。
泣いた。時計を見た。五分しか経ってなかった。
なんだ、それだけのことか。
学生の時に見た今井美樹さんによるSEIKOのCMがなぜか心に残っていて、いろいろな場面で思い出します。ロンドンで大失恋(と思った)をして眠れない夜を過ごした時にもこのフレーズが頭に浮かんで来ました。もちろん五分以上は泣いていたのですが、死ぬほど泣いたと思っても、それまでの二十数年の人生においてはたった一晩なんです。「こんなに辛いことって、きっとまたあるのかもしれないな」そんなふうに思ったことを覚えています。
その翌日私はいつもの電車に乗って、いつもの道を通り、いつもの同僚と仕事をしました。私があんなに泣いて寝ずに夜を過ごしたのに、電車はいつも通り走っているし、同僚たちはいつも通りくーすか寝ていたのです。私以外の世界は全く同じだと言うことに、私は軽いショックを受けました。
「私に何が起きようとも、世界は動いている」
作者のジャン・ド・ブリュノフもそう考えたのではないでしょうか。結核でこの世からいなくなってしまうことがわかっていた彼は、父として夫として、家族に「私がいなくなった悲しみに沈んで生きて行くのではなく、周りを見て人生を楽しみなさい」と言うことを伝えたかったのではないでしょうか。
そう思ったら、家族全員で作られたババールのお話が断然素敵で尊いものに思えて来ました。
『ぞうのババール』の作者紹介:
ジャン・ド・ブリュノフ(William Steig)
1899年、フランスのパリ生まれ。フランスの絵本作家。エコール・アルザシェヌで学び、画業に励み個性的な静物画や風景画を描く。息子が病気の時、妻が語って聞かせた象の活躍する物語にヒントを得、息子のアイディアを容れてババールのキャラクターを創造する。「象のババール」(1931年)の始まりである。人間の日常生活を象の生活に当てはめ、ペーソスとユーモアに富み、童心を魅了して世界の人気者となる。彼の死後、息子のローランが跡をつぎ「ババール」の続編を次々と出版する。他の作品に「おうさまババール」(’33年)、「ババールのこどもたち」(’38年)など。
ジャン・ド・ブリュノフさんの他の作品
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