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asobinotudukiの想像


とっかかり

あそぶ/思考/感覚/そこにあること/きく/かく/はなす/よむ/受容を耕す要素の一つ/セーブポイント/日常
これらのことをキーワードとして、気の向くままに活動しているのがasobinotudukiです。

多くの人が「なんとなくこういう感じ」をイメージする一言……と考えたときに、最近は「哲学」という言葉を用いるに至りました。そうするとそれはそれで、「難しくて自分には関係ない世界だ」と思われる方もあるようなので(その方たちとお話できる可能性が減ると思うと悲しいし勿体ないので)、「そんなことないです」とどこかに書いておこうと思いまして、こちらに。……「思う」って連続でたくさん使っちゃった。「思う」って何かいいですよね。

想像

さて、テツガクムズカシクナイヨーというお話です。
というか、少なくともasobinotudukiが言っている哲学は、こうでなければならないという制限や義務などが入り組んだものではない、ということです。
asobinotudukiが言っている「哲学」をシンプルに説明すると、【日常やそこにあることを感じて考えること】です。それって、最大級の娯楽であると共に最小級の基本でもあると思うのです。
例えば、〖風を受けたことに細胞の変化を感じたら、更にそれをカラフルなモザイクの入れ替わりのように思ったら、今自分が動き出したいのだとか変わろうとしているとかいう考えに辿り着き〗得ますよね。
(私こういうのを一人でしては、ぶわって喜んだりしてたのですが、近ごろ共有したくなりまして。それでasobinotudukiをやっているところがあります。)
応用すると、概ね何にでも(例えば、絵を描く方でも観る方でも、文を書く方でも読む方でも、勉強でもスポーツでも、家事や恋愛などでも)使えます。
これは主に受容の能力です。世界を自分というフィルターで濾過して、どう受け容れる(解釈する)か。

創造

「その受容を経てどうするか」が、表出で行動で表現などで、つまりasobinotudukiで言うところの「あそぶ」という能力です。前述の、最大級の娯楽であると共に最小級の基本という部分は、この「あそぶ」ということにも通じていて、それは【試す、余白、熱中する、ふらふら歩く、漂う、など】でもあると思っています。これはほぼ、各々が自分として生きることと同義かな、と。つまり、各々が生きていること自体が、既に表出で行動で表現だと思うので、何をして生きるかというより、「どういうつもりで生きるか」が大切なのではと思います。
例えば、〖世界中周って平和を歌う歌手の人も素敵だけど、日々を感じて工夫して笑う百姓の人も同じように素敵だ。なぜならどちらも、自分で世界を感じて考えて、世界に自分を表出させて関わり合っている〗と言えますよね。
もちろん、どう表現したいかによって、それぞれの技術が要ることと思いますが、その技術の取捨選択などは好みの問題で、表出させる(あそぶ)においてはオプションのような位置にあると認識しています。誤解やケンカをふっかけたいわけではないので、私の解釈としてはですよ、と改めて書き添えておきます。心配性な一面があるのです。

今回の結論

気楽にお会いしましょう。いつもと違う遊びでもするような気分で、ふらりと来てくださいね。

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