そこにあることをうむ
asobinotudukiをしていて、最近よく思うことがある。
現在、この仕事における場の提供の対価は、参加してくれる人のフィルターの提供かもしれない、と(もちろん、それだけではないにしても)。
フィルターというのは、主体が客体を見たとき何を感じ考えるか(濾しとるか)、を指す言葉。として、ここでは使っている。
そして多分、人はいくらでもフィルターを持てる。というより、かかわれる、のじゃないかな、と思う。「こんなフィルター(感じ方/考え方)を持つ人が居る」に始まり、そのフィル