asobinotuduki

こちら(note)は雑記帳のような形で、気の向くままに私の個人的な視点を書いていきたいと思っています。 HP→https://asobinotuduki.localinfo.jp/

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こちら(note)は雑記帳のような形で、気の向くままに私の個人的な視点を書いていきたいと思っています。 HP→https://asobinotuduki.localinfo.jp/

マガジン

  • 哲学あそび HACCOAmode やってみた

    『哲学あそび HACCOAmode』 のご紹介と、asobinotudukiが各回のガイドシートに沿って『やってみた』を置いていきます。 哲学あそびHACCOAmodeというイベント自体の詳細はこちらから→ https://asobinotuduki.localinfo.jp/pages/5463855/STATIC

  • お話

    asobinotudukiがかいてみたお話を不定期で置いていきます。

  • 哲学あそびレポート

    不定期(大体月一)開催している『哲学あそび』のレポートです。 『哲学あそび』とは、asobinotudukiが行っている気楽な哲学的座談会です。 (→詳細は https://asobinotuduki.localinfo.jp/pages/5463855/STATIC にて)

最近の記事

宗教、経済、科学、芸術、数学、文学、音楽、ダンス、スポーツ、演劇、家事、仕事、日常、お祭り、感じること、考えること、その他多数。 どれも、哲学ともいえる気がします。 どれも、『そこにある世界をどうみるか』が根本にあるように思うからです。 念のため。 「だから、全てが哲学だぜ!」といっているのではなく、 「だから、どれも全くの別物でもないよね」といっています。 世界をどうみて(受容)、自分がどうあるか(表出)。 今これを書いている私には、先述のどれもが受容と表出の間にある手

    • そこにあることをうむ

      asobinotudukiをしていて、最近よく思うことがある。 現在、この仕事における場の提供の対価は、参加してくれる人のフィルターの提供かもしれない、と(もちろん、それだけではないにしても)。 フィルターというのは、主体が客体を見たとき何を感じ考えるか(濾しとるか)、を指す言葉。として、ここでは使っている。 そして多分、人はいくらでもフィルターを持てる。というより、かかわれる、のじゃないかな、と思う。「こんなフィルター(感じ方/考え方)を持つ人が居る」に始まり、そのフィル

      • 哲学あそびHACCOAmodeやってみた#7,#8,#9

        ※この文章は、asobinotudukiが開催している『哲学あそびHACCOAmode』というサークルで用いたガイドシートに沿って、asobinotuduki本人が哲学あそびを『やってみた』というものです。正解があるわけではなく、考える習慣をつけるあそびの一つなので、気が向いたら一緒にやってみてくださいね。   2024年度〈夏秋期〉のガイドシートは下記を用いました。

        ¥300
        • (告知)イベント【哲学×穏やか人狼】予約開始しました

          2024年10月19日㈯夜、三重県津市久居にて 哲学ドア イベント 【哲学×穏やか人狼】-time of philosophy- を開催します。 ------------------------------------------------------------------------ イベントや哲学ドアについては asobinotuduki HP 今後のevent (https://asobinotuduki.localinfo.jp/pages/5463855/ST

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        • 哲学あそび HACCOAmode やってみた
          7本
        • お話
          2本
        • 哲学あそびレポート
          11本

        記事

          青い朝

          ここは青い。いまは青い。 そちらから薄黄色くなって、白々とした朝を迎えるまでに、眠ってしまいたい。 夜も昼も、いったい何をしていたのだろう。 そう思うとすぐに、 心身が疲れているな、という評価を貼り付ける。 付箋で。 ある自分1(仮)を、ある自分2(仮)から閉め出して、KEEP OUTを張り巡らす。 マスキングテープで。 青い朝が居る。 来たり往ったりしない。 さっきまで居て、さっきから居ない。 代わりにある自分3(仮)が居て、頭を撫でて、居なくなる。 頭を撫でるのは叱

          まぁまぁ、と言えること

          家族同士が友人同士が隣人同士が他人同士が、人間同士が行き違ったとき。 当人たち以外はどうするのか。 まず、「まぁまぁ」と言って話をきけたらいいと思う。どちらの敵にも、ある意味では味方にもならずに(→点になる)。初めにこちらの答えありきで話をきくのではなく、相手の気持ちを汲もうとして話をきけたら(→線を出す)。それぞれの気持ちを汲んで、それが行動として表出されたら(→線をつなげる)。 (→→→)そうして三角になったら、バランスがとりやすいと思う。 自分が当人である場合を除いて

          まぁまぁ、と言えること

          (告知)イベント【哲学×写真】予約開始しました

          延期しておりました【哲学×写真】-time of philosophy- の日程が決まりました! 2024年12月14日㈯夜、三重県津市久居にて 哲学ドア イベント 【哲学×写真】-time of philosophy- を開催します。 実は『銘銘便り』のまとめイベントも兼ねております……! (もちろん、『銘銘便り』をご存じない方も楽しんでいただけるワークショップです!) ご予約お待ちしております^^ ----------------------------------

          (告知)イベント【哲学×写真】予約開始しました

          asobinotudukiの想像

          とっかかり あそぶ/思考/感覚/そこにあること/きく/かく/はなす/よむ/受容を耕す要素の一つ/セーブポイント/日常 これらのことをキーワードとして、気の向くままに活動しているのがasobinotudukiです。 多くの人が「なんとなくこういう感じ」をイメージする一言……と考えたときに、最近は「哲学」という言葉を用いるに至りました。そうするとそれはそれで、「難しくて自分には関係ない世界だ」と思われる方もあるようなので(その方たちとお話できる可能性が減ると思うと悲しいし勿

          asobinotudukiの想像

          哲学ドア~「哲学とは何ですか?」~

          常設の哲学の場(哲学ドア→HP 今後のeventより)をひらくにあたって、改めて思い巡らせてみた。哲学について。 それから、哲学ドアで何をしたいのかについて。 「哲学とは何ですか?」という質問をよくされる。 そうですよねぇ、と思う。訊きたくなりますよねぇ、と。 哲学というのは、辞書的には「世界や人生などの根本原理を追求する学問」など説明される。 しかし、訊いてくれているのは、おそらく『私(asobinotuduki)にとって』哲学とは何か、ということだろう。 なので、この場

          哲学ドア~「哲学とは何ですか?」~

          (告知)イベント【哲学×コーヒー】予約開始しました

          2024年7月7日㈰、三重県津市久居にて 哲学ドア プレイベント【哲学×コーヒー】 ------------------------------------------------------------------------ 詳細は asobinotuduki HP 今後のevent (https://asobinotuduki.localinfo.jp/pages/5463855/STATIC) をご覧ください。

          (告知)イベント【哲学×コーヒー】予約開始しました

          哲学あそびHACCOAmodeやってみた#4,#5,#6

          ※この文章は、asobinotudukiが開催している『哲学あそびHACCOAmode』というサークルで用いたガイドシートに沿って、asobinotuduki本人が哲学あそびを『やってみた』というものです。正解があるわけではなく、考える習慣をつけるあそびの一つなので、気が向いたら一緒にやってみてくださいね。   2024年度〈春夏期〉のガイドシートは下記を用いました

          ¥300

          哲学あそびHACCOAmodeやってみた#4,#5,#6

          ¥300

          『哲学あそび』#10

          2024年6月23日に『哲学あそび』というイベントの第十回を開催した。 このイベントは、今回でひとまず休止することになっている。この向こうには他の企画が続くのだけれども、詳細はまた後日。 商店街の一角のいつものお寺。一人、二人とやってきて、結局用意した席は全て埋まってくれた。静かな空間に絵具のような熱がさす。   哲学あそびがどんなものであるかは、過去のnote(マガジンに『哲学あそびレポート』としてまとめてあります)をご覧いただければ嬉しいです。   ――下記に当日使用した

          『哲学あそび』#10

          『哲学あそび』#9

          2024年5月25日に『哲学あそび』というイベントの第九回を開催した。 商店街の一角のいつものお寺。庭の銀杏も桜も、生命力の濃い緑の葉をつけている。柔らかな日蔭と日向を通って、参加者の方々がやってくる。 いつものように雑談をしつつ、緩やかに哲学あそびが始まった。   哲学あそびがどんなものであるかは、過去のnote(マガジンに『哲学あそびレポート』としてまとめてあります)をご覧いただければ嬉しいです。   ――下記に当日使用したイベント内容の用紙より一部掲載する。(2024年

          『哲学あそび』#9

          感覚について

          大きな形の中で、粒が浮かんだり沈んだりしている。 その粒たちのなかで目についたものが、そのときの感覚なのだと思う。 目につく粒は、一つだけの場合もあれば、たくさんある場合もある。 目につくものが有とするなら、目につかないものが無となる。 自分は対象に何を感じて何を感じなかったのか。 粒の組み合わせや目につき方で、感覚はあらゆる彩を呈す。 また、どんな形のなかにあるのか、そのなかにはどれだけの粒があって、そのなかでもどれだけの粒のことを認知しているのか、などによっても彩は変

          感覚について

          『哲学あそび』#8

          2024年4月21日に『哲学あそび』というイベントの第八回を開催した。 穀雨の季節、やさしく力づよい雨の中、商店街の一角の静かなお寺に明かりを点ける。 この日は店舗としてのasobinotuduki時代に知り合った方も寄ってくれて嬉しかった。いつもの方、お久しぶりの方、初めましての方までいて、皆様とお会いできたことにじ~んとする。 哲学あそび、今回の場は、そんなふうにして始まった。   哲学あそびがどんなものであるかは、過去のnote(マガジンに『哲学あそびレポート』としてま

          『哲学あそび』#8

          何と向き合うか

          誰かと向き合うことは大事だ。 けれども、自分と向き合うことも大事だ。 埒があかないときには特に。 (もちろん、攻撃されている状態なら離れることが最優先だと思う。) 埒があかないと感じる他者の中には、埒があかない自分が居る。 世界には自分を通してアクセスしている。 だから、他者というのは「自分を通して見た他者」ということになる。 他の誰かが同じ他者を見ても、自分が見た他者とは違う像を拾うと思う。 拾うものが多い人もいれば少ない人もいて、多ければ良いとも少なければ良いとも言い切

          何と向き合うか