『哲学あそび』#2
2023年10月29日に『哲学あそび』というイベントの第二回を開催した。
今回も会場としてお借りしたのは、商店街の一角にある静かなお寺。
穏やかな午後の日差しのなか、この日ご縁のあった皆さんがぽつぽつと集ってくれた。
哲学あそびがどんなものであるかは、過去のnote(『哲学あそび』#1)をご覧いただければ嬉しいです。
――下記に当日使用したイベント内容の用紙より一部掲載する。
――というものだった。
今回のnoteに共に掲載した画像は、各々の「答え」に思いを巡らせている時に、それまで出た話の一部をホワイトボードに抜粋したものだ。
初めに参加者さんから提供された話も面白くて、
「豊臣の埋蔵金があるかもしれないらしい。秘密を守れと言われた、その人自体も実在したのかわからなくて、発見される宝の地図などはほぼ偽書らしい。しかし偽書にしては精巧すぎるし、そもそもなぜ偽書なんて世に出したのだろう。」
という旨の内容だった。
その話題から問いを掘り出したり磨いたり(……この表現は埋蔵金というワードにもぴったりだな、とか思ったり)するわけだけれど、そうこうしていたところ、話は段々と『嘘について』フォーカスしていくこととなった。「どういうときに嘘をつくのか」「どこまでが嘘なのか」「嘘の定義」「うそという言葉の多面性」などの色々な方向を覗くことができた。
参加者の皆さんによる、今回の問いへの今回の答えは、こんなかんじ。
・うそとは、包括的なマジックワード。約束の反故や、信じられないことにも使える。
・嘘の疲れについて。嫌な嘘もあるし、相手を思っての嘘も、嘘のつもりのない嘘もある。「口から虚」と書く、これはネガティブな感じがするけど、(嘘は)ネガティブなものばかりではない。リアクション「うそー!」への新たな疑問。
・「嘘」の反対語をスマホで調べたところ、本当、真(まこと)、実(まこと)、誠(まこと)と出てきた。嘘をつく側かつかれる側かで感じ方が違う(自分のみならず、他の誰かに感情移入することも含め)。そう思うと、「本当」の反対語も色々だな、と思ったり。嘘の境界線は難しく、追っていくと本当にもなり得るな、と。
・自分がよく使っていた嘘は、会話の質感を変えるものだ。それはトークを軽妙にもできるけど軽薄にもできる。故に相手を見て使っていたな、と思う。素直な人や繊細な人には、寧ろ使わなかったかも。社会において、嘘を技術として捉える場面も出てくるときがある。
・「うそ」と「lie(ライ)」は同じなのかな?ここにどれほどの共通概念が含まれているのだろうか。それぞれ共通することも違うこともあって、色々な側面がある。
上記のような、たくさんの考えに触れ、私も嘘への認識の幅が広がりました。
今回お越しいただいた、初めましての方も、お久しぶりの方も、最近ぶりの方も、皆様のおかげで面白い座談会になりました。ありがとうございました。
ご協力いただいた皆様、気にかけていただいた皆様も、ありがとうございました。
また遊びましょう。