『哲学あそび』#10
2024年6月23日に『哲学あそび』というイベントの第十回を開催した。
このイベントは、今回でひとまず休止することになっている。この向こうには他の企画が続くのだけれども、詳細はまた後日。
商店街の一角のいつものお寺。一人、二人とやってきて、結局用意した席は全て埋まってくれた。静かな空間に絵具のような熱がさす。
哲学あそびがどんなものであるかは、過去のnote(マガジンに『哲学あそびレポート』としてまとめてあります)をご覧いただければ嬉しいです。
――下記に当日使用したイベント内容の用紙より一部掲載する。(2024年度は、原則、毎回同じ形ですすめた)
――というものだった。
今回はまず、「健康について」という問いが提供された。そこから話の流れは「健康と健全の違い」に発展し、「そもそも健全って?」から「不健全って?」(←noteに共に掲載したホワイトボードの画像)という方向へ掘り下げられていった。
問いは、具体的なものでも抽象的なものでもよいのです。その場に居合わせた者同士で、何かを感じたり考えたりできれば。そういうあそびなのです。
「健康について」という問いにおいても、「不健全って?」という問いにおいても、今回は時の経過に視線を向けた意見がみられた。時の経過とともに、心身の状態や社会通念は変化する。もちろん、個人の感覚によっても。自分がもっているものだけが正解ではないことを、この場に居た皆が知っている。それがなんだかいいなと思った。
「健全って?」の問いのとき、皆、あまり事例が思い浮かばなかった。それで逆に、「不健全って?」と問うたとき、比較にならないほどたくさんの事例が挙がった。社会による刷り込みは、不健全についてのほうが強いのかもしれない。また、「健全って?」について出た数少ない意見には、スローガンっぽい、道徳を連想する、法律っぽい、などがあった。具体的な像を連想させないことは、多種多様なものそれぞれの素敵さを見つけ受容される環境であれば、受け取る側に優しく作用するかもしれない。しかし、操作する側とされる側とに分断された環境においては、像の挿げ替えが容易で、受け取る(操作される)側にとっては排除される口実になりかねない。言葉のもつ力は、どういう思いで使うかで変わる。今を生きる者の感覚として、スローガンっぽい、というような意見が率先して挙がったということは、そういうことだろうと思う。今は、まだ。
10カ月、あっという間だった。……ような、そうでもないような(笑)。
いずれにしても楽しかったです。
これまで、この哲学あそびというイベントに参加してくれたことのある皆様も、それぞれの方法で楽しんでいただけたなら嬉しいです。
お越しいただいた皆様、ご協力いただいた皆様、気にかけていただいた皆様、ありがとうございました。
また遊びましょう。