立ち上げのきっかけ【現代の子どもの危機感】

【きっかけ】
 人生のやりたい最終点である保育分野に着地し、「公務員だし安定。親も安心させられただろうし、これが地方で生きるしあわせなんだろう」と思っていた。
 県内でも、「やまほいく」の認定制度が開始されるなど、学生の時に思い描いていた村ならではの自然体験を生かした野外保育にも触れることができた。

 しかし、自然の中でも指示がないと遊べない、やったら怒られることがわかるから挑戦しない、困ったときにはヘルプの出し方がわからずただ止まって待つ、ご飯は残すのが当たり前、机に落ちた食べこぼしは床に捨てるなど、きっと、大人に手や口をだされすぎているのだなぁと、大人によって作られた枠の中にいる、ハングリー精神が薄い感覚があった。

 同時に、命を預かる立場であることを前提に、ちょっとだけ危険なこともやらせてあげたいけどやらせてあげられない、周囲の保育士と同調せざるを得ないという、自分自身への無力さもとてもあった。

 一方で、人生の根幹を獲得する幼児期に、貴重な経験を提供させる機会を損失しているのは、将来の生きる力を奪っているようなものだとも思った。

 大きなひとつのきっかけがあったというよりは、毎日漠然と沸き起こる違和感があったという感覚。

 きっとしあわせで平和なのだろうけど、いろんな経済状況や、いろんな業種の方と話している中で、この子どもたちの生きる力が薄い姿は、危機感でしかなかった。

 日本の食糧自給率は年々下がり、37%。戦争が起こっている世界で、将来食糧や資材を輸入できる知恵や交渉力はあるのだろうか?現在の仕事の半分以上がAIに代わるといわれている中、イノベーションに導けるような課題に気づき、チームで解決する力、試行錯誤を繰り返す挑戦心はあるのだろうか?コロナウィルスが象徴するように、ブーカの時代が来ると言われている中、その変化に対応できる柔軟性・自発的能動的な思考・行動力はあるのだろうか?彼らの底力は、幼少期に育まないでいつ育むのだろうか?

 しかし、この危機感は、20年後に顕在化しないと伝わらない危機感で、わかる人にしかわからない感覚でもあると感じている。


【現在】
 2021年より1年かけて自分の人生の棚卸しをして、アソビノの構想が振り降りてきた。

 周囲の起業家に比べて、私には突き抜けたなにかは持っていないことにぶち当たる。八方美人でありバランスタイプで凡人。でも短所は裏返せば長所になることを、受け持った子どもたちが教えてくれた。とくに発達障害の子たち。多動の子の行動力、自閉の子の集中力―。

 突き抜けたなにかはないけれど、私にはマルチで幅広い人脈がある。私の人生を豊かにしてくれている周囲のみんなは、人と違うリソースを持っている。私がどんな人とも信頼と絆を作れる強みを生かして、大好きな子どもたちにその人たちのリソースを提供するハブにはなれる。

 そこで、さまざまなカリキュラムを通して、非認知能力(目には見えない力のこと。人と関わる力、意欲、挑戦する力、表現力、想像力、粘り強さなど。社会的スキル・ EQ心の知能指数ともいわれている)を養う教室「アソビノ」を立ち上げる。

 アソビノの強みは、全12のカリキュラムを、その道のプロから学べること。非認知能力トレーナーを取得している私が、そこに非認知ワークのエッセンスを要所要所にちりばめ、子どもたちの遊び心をくすぐる仕掛けをしているのが特徴。

 非認知能力は、教えたり、暗記できるものではないため、アソビノでは、失敗経験や成功体験、どちらでもない経験ができる環境を提供している。子どもたちは、その環境から、自然に非認知能力を習得していく。

 全国には、スポーツやプログラミング等、なにかひとつに特化した非認知能力を育てる教室は存在しているが、これほど幅広いカリキュラムを提供している非認知能力に特化した教室は、おそらくないと思われる。

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